「ん・・」
瑞姫がゆっくりと目を開けると、そこには病室の白い天井も、ホーフブルクの見慣れた美しい天井でもないものが広がっていた。
遠くから微かに水道管から水が漏れる音が聞こえる。
(一体、ここは何処なの?)
辺りを見回すと、壁には弾痕のような穴が数か所開いており、崩れた壁から見慣れぬ異国の街が見渡せた。
『漸くお目覚めか、皇太子妃様。』
不意に耳障りな男の声が背後からしたかと思うと、瑞姫は髪を引っ張られて床に叩きつけられた。
視界が一瞬白く染まり、口端が切れて血が茶褐色に汚れた床に飛び散った。
瑞姫は痛みに呻きながらゆっくりと顔を上げると、そこには顎鬚にサングラスをかけ、屈強な肉体を迷彩服に包んだ男が立っていた。
「あなた方は何者です? わたくしをどうするつもりですか?」
『なぁに、悪いようにはしねぇ。ただちょっと、痛い目に遭って貰うけどな。』
ドイツ語で話しかけた瑞姫に対し、男はセルビア語でそう言うと、口端を歪めて笑った。
この男が一体何者なのかは判らないが、早くここから逃げなくては―瑞姫はそう思い、立ち上がろうとした。
だが、自分の手首をふと見ると、そこに手錠が嵌められていることに気づいた。
『逃げると思ってあんたが気絶している時に付けたんだ。』
「ここは何処ですか?」
『いずれ、わかるさ。暫くそこで休んでな。』
男は瑞姫に投げキスすると、部屋から出て行った。
「皇太子妃様のご様子はどうだ?」
「異常ありません。」
男が高価なペルシャ絨毯が敷かれている部屋に入ると、暖炉の前に置いてあるソファに座っていたシャルルがゆっくりと立ち上がった。
「そうか・・今頃ブタペストでは、阿呆面をした連中が恐怖に震えていることだろう。」
一方ブタペストでは、パーティーに乱入してきた武装した数人の男女によって大広間は占拠されてしまった。
「妙な動きをしたら殺す。全員携帯をこちらに渡せ!」
客達は恐怖に慄きながら、バッグや夜会服の胸ポケットから携帯を取り出し、犯人グループが用意した紙袋の中へと次々と入れた。
(こいつらの狙いは何だ? 金品目的なら金目のものを要求する筈だが・・)
ルドルフが犯人グループの目的を探っている時、遼太郎の姿がないことに気づいた。
犯人グループに気づかれないようにルドルフがテーブルの陰に隠れながら移動していると、遼太郎は黒いボストンバッグの中を覗き込んでいた。
「リョータロウ、何をしている?」
「ててうえ、これなに?」
そう言って遼太郎がバッグの中から取り出したのは、スタンガンだった。
「これは危ないから、お父様に渡しなさい。」
「うん。」
遼太郎からスタンガンを受け取ったルドルフは、それを内ポケットに隠した。
「リョータロウ、お父様の傍を離れるんじゃないよ、いいね?」
「うん。」
「良い子だ。」
遼太郎を抱えてテーブルの下にもぐろうとした時、甲高い悲鳴が窓の方から聞こえた。
ちらりとルドルフがそちらを見ると、パーティーの主催者とその妻と思しき女性が犯人グループに命乞いをしていた。
「妙な動きをしたら殺すと言っただろう!?」
「お、お願いです、命だけはどうか・・」
「うるさい、黙れ!」
犯人グループの男が夫妻に銃口を向け、引き金を引こうと隙を見せたのを狙って、ルドルフは男の首筋にスタンガンを押し当てた。
男が悲鳴を上げようと口を開こうとしたのでルドルフは間髪入れずにもう一度スタンガンを彼の喉笛に押し当て、拳銃を奪った。
(何とかしてここから出なければ・・)
ルドルフが扉へと目を向けた時、自分の頭に銃口が押し当てられる感触がした。
「動くなと言った筈だ。」
ふと顔を上げると、そこには冷酷な光を湛えたアッシュモーヴの瞳で自分を見下ろす女が立っていた。
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