愛媛から戻ってきた直輝を待っていたのは、義母・恵子からの縁談だった。
「どう、直輝さん?お相手の方はとてもいいお嬢さんで、お医者様なのよ。」
「お義母さん、わたしは暫く結婚はしないと言ったつもりですが?」
「何を言っているの、あなたもう28でしょう?早く身を固めて、わたくし達に孫の顔を見せて頂戴。ねぇ、あなた?」
恵子は一方的に直輝にそう言うと、彼の父・直人に同意を求めた。
「最近は結婚しない男女が多い。わたし達の時代は適齢期の男女が結婚するのは当たり前だったが、今ではそんなものは過去のものに過ぎん。直輝の自由にしてやってもいいんじゃないか?」
「まぁあなたまで・・とにかく直輝さん、今度の日曜は必ず空けること、いいわね!」
恵子は憤然とした様子で椅子から立ち上がり、ダイニングから出て行った。
「恵子にはわたしから言っておくから、お前は仕事に励め。」
「ありがとうございます、お父さん。」
直人は直輝の母親が彼を捨てた事も、その理由も知っていたから、直輝が結婚を躊躇している事も解っていた。
幼い頃母親に捨てられ、人間ではないというだけで周囲から迫害されてきた彼にとって、自らの忌まわしい血を次世代に引き継ぎたくないという思いは充分に理解できた。
再婚した今の妻・恵子は、単に直輝が結婚せずに独身を貫いているのは我が儘だと思っている。
(直輝に深い心の傷を負わせてしまったのは、わたしと奈緒子だ。)
20年前、奈緒子は自分と直輝の前から黙って姿を消した。
『お父さん、僕お母さんに捨てられたの?』
ある日突然奈緒子が姿を消し、まだ幼かった直輝はそう言って自分に泣きついた。
(そうじゃない。お母さんは・・)
息子を慰めようとする言葉を頭で何度も思い浮かべた筈なのに、いざ息子と向き合って口を開こうとすると何も出てこなかった。
その所為で、息子は母親に捨てられたと思い込み、実母を恨んでいる。
その実母・奈緒子から電話があったのは、直輝が愛媛へ出張中の時だった。
『あなた、久しぶりね。』
20年振りに聞いた奈緒子の声は、あの頃と同じように若々しいままだった。
「20年も連絡を寄越さないでどういうつもりだ?一体何処で何をしていた?」
『そんなに怒らないでよ。ねぇあなた、少し助けて頂戴よ。電話じゃ話せないから、少し会えない?』
息子を捨てておいて前夫に会いたいなとどいう厚かましい事を言ってくる奈緒子に直人は憎しみが湧いたが、会うだけでもいいだろうと思い、奈緒子と会うことにした。
「あなた、助けて欲しいの。直輝に、検査をして貰えるよう説得して頂戴。」
駅前の喫茶店で会うなり、奈緒子はそう言って直人に頭を下げてきた。
「検査だと?どういう検査だ?」
「実は・・あたしは再婚して娘と息子が一人ずつ居るんだけれど、息子が今病気なのよ。助かるには骨髄移植しかないのよ。」
「それで?直輝でなくとも、娘さんや君が検査をすればいいことじゃないか?」
「娘はまだ10代だし、あたしは腎臓に持病を持っていて、検査は出来ないの。このままだと息子が死んじゃう、お願いだから直輝を説得してよ。」
「この事、直輝は知っているのか?」
「ええ、ソウルで偶然会って話を持ち出そうとしたけれど、顔を見るのも嫌だと言って拒絶されたわ。」
「当たり前だろう。捨てた癖に今更困った時には図々しく助けてくれと頼みに来るなんて・・」
直人は嫌悪の表情を浮かばせながら、奈緒子を見た。
もうこの女と同じ空気を一秒たりとも吸いたくない。
「ねぇあなた、お願い・・」
「もうこれ以上、わたしと直輝の前に近づくな。」
帰宅した直人は、20年振りに再会した奈緒子の身勝手さに腹が立っていた。
それと同時に、彼女を絶対直輝に会わせてはいけないと思った。
「あなた、どうなさったの?」
「何でもないよ。」
「そう・・」
恵子は最近夫の様子が変だと少し感じ始めていた。
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