「柚聖(ゆずまさ)ちゃん、遅かったわね。」
「うん・・少し遠乗りにね。何かあったの?」
帰宅すると、千里が血相を変えて自分の方へと駆け寄ってきたので、柚聖はそう言って彼女を見た。
「あのね、さっき柚聖ちゃんの部屋に獣の毛が落ちてたのよ!」
「そうそう。それに邸の上空に黒い靄のようなものが立ち込めていたし。」
江梨花は恐怖で身を震わせながら、千里と顔を見合わせた。
「そうなんだ。」
「あんまり一人になっちゃだめよ。特に夜道ではね。」
「わかった。」
自室に戻った柚聖は、江梨花達の話を聞いてあの忌まわしい出来事を思い出していた。
あの時、自分の貞操を奪ったのは黒妖狐だった。
闇に包まれた洞穴だったので、顔ははっきりと見えなかった。
しかし、蜜匡と会った時、微かにあの禍々しい気配を感じた。
(気の所為かな?)
まさか蜜匡に限って、あんな禍々しい化け物である筈がないーそう思いながら柚聖は眠りに就いた。
「一体これはどういうことじゃ!」
「女御様・・」
「妾にわかるように説明せよ!何故そなたがこの人形を持っておる!?」
一方後宮では、梅壺女御・儷子(れいこ)が憤怒の形相を浮かべて呪詛の人形を一人の女房に突きつけているところであった。
「これはあの藤壺女御が宿す腹の子を、男児(おのこ)から女児(おなご)へと変えさせるものぞ!誰にも見られてはならぬと申したであろう!」
「大変申し訳ありませぬ、女御様!以後、気をつけますゆえ・・」
「もうよい、さがれ。」
儷子は女房が去った後、苛立ち紛れに檜扇を乱暴に閉じた。
最近帝に寵愛されている藤壺女御が懐妊し、有爾(まさちか)の東宮の座が脅かされるのではないかと彼女は焦りを感じ、女房に呪詛の人形を藤壺女御の寝所へしのばせるよう命じたのだが、失敗に終わってしまった。
(あの女には国母の座は渡さぬ!この国を統べるのは有爾ぞ!)
女帝の目が、我が子を帝にしようという壮大な野望の光を宿し、その脅威をなる存在を排除することを彼女は決意した。
無論、その中にはあの忌まわしい鬼の子も含まれていた。
「柚聖ちゃん、あなたにお客様よ。」
「客?」
柚聖が眠い目を擦りながら狩衣姿で寝殿へと向かうと、そこには墨染の衣の上に袈裟を纏ったあの美貌の僧の姿があった。
「あなたは、昨日の・・」
「初めまして。わたくしは稜雲(りょううん)と申す者。こちらの若君様にお話があってこちらに参りました。」
そう言って僧―稜雲は、紫紺の瞳で柚聖を見た。
「僕に話とは、何でしょうか?」
「実は先日、あなたの背後にこの世のものではないものが憑いておりました。」
「この世のものではないもの?」
稜雲の言葉に、柚聖は眉を顰めた。
「ええ。少し失礼を。」
稜雲が柚聖の顔を覗き込むと、彼の黒髪がサラリと柚聖の頬に触れた。
「あの・・」
稜雲は柚聖の額に手を当てると、そこから微かに反応があった。
(やはり・・間違いなさそうだな。)
「あの、もうよろしいですか?」
「ええ。ではわたくしはこれで。」
稜雲は柚聖に微笑むと、邸から出て行った。
有髪の僧・稜雲と再び思いがけぬ場所で再会することとなろうとは、柚聖はまだ知る由もなかった。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.11.15 10:54:25
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る