「ひぃぃ~!」
「どうか、有爾(まさちか)様、お許しを!」
それまで笑い合っていた貴族達は恐怖に顔をひきつらせながら、有爾に命乞いをした。
「今日のところは許してやろう。だが、もし母上を侮辱するようなことをすれば次はないと思え!」
有爾は太刀を一人の貴族の前に振り翳(かざ)すと、邸から出て行った。
「有爾様、いくらなんでもあれはやり過ぎでしょう?」
「よいのだ。あれくらい脅せば、奴らも下らぬ噂を流さぬだろうよ。」
そう言って山荘を後にする有爾の表情は、晴々としていた。
「ほう、そんなことがあったのですか。」
宇治での出来事から数日後、天海寺で件の貴族達の話を聞いた諒闇は、そう言って写経の手を止めた。
「有爾様は、きっと気が触れられたのに違いありません!」
「そうですとも!普段穏やかなあのお方が、まるで鬼のような形相を浮かべて・・思い出すだけでも、身震いがいたします!」
元はといえば自分達の噂が有爾の耳に入り、彼の逆鱗に触れた結果だというのに、それを棚に上げて彼らは諒闇に、“有爾様は気が触れている”と必死に訴えた。
「確か有爾様は次の帝にふさわしいと評されるお方。そのようなお方がいきなりあなた方に汚水を浴びせ、太刀を振り回すなどという暴挙をする筈がございませぬ。」
「おぬしは話がわからぬお方じゃな!」
貴族の一人が、そう言って苛立ったかのように扇子を膝に打ちつけた。
「有爾様には鬼が憑いておるのじゃ!そうでないと、あんな振る舞いをなさるはずがない!」
「そうじゃ、そうじゃ!」
「諒闇よ、今すぐ有爾様に取り憑いておる鬼を調伏せよ!」
「承りました。して、金子はいかほどに?」
老獪な僧侶の目がまるで獲物を狙っているかのような猛禽を思わせる鋭い光で貴族達を射抜いた。
「金子は前払いじゃ!必ずや、調伏するのだぞ!」
「よいな、わかったな!」
「頼みの綱はそなたしかおらぬ!」
好き勝手に貴族達は口々にそう言うと、こんな場所に一秒足りとも居たくないとばかりに、天海寺から足音荒く去っていった。
「全く、口ばかりは達者じゃな・・宮廷の利権のおこぼれを待つ下劣な犬どもめが。」
諒闇は誰にも聞こえぬほどの低い声でそう毒づくと、途中で止めていた写経を再び始めた。
「僧正様、文が届いております。」
「どなたから?」
「それは申し上げないでくれと、従者の方が。」
「そうか。もう下がってよいぞ。」
従者を通して文を出す相手は、高貴な身分の姫君だろうかーそう思いながら稜雲が稚児の手から文を受け取ると、そこには白い和紙に朱色の墨で、“呪”と書かれていた。
それを不気味に思いながらも、稜雲は文を読んだ。
そこには、いつ有爾の呪詛を行うのかという雅爾からの催促の文が書かれていた。
余りにも一方的な文に、稜雲はカチンと来たが、東宮に対して礼を欠いては天海寺の名に傷がつくと思い、返事を書くために硯で墨をすりはじめた。
「あ~、やっと終わった。」
溜まっていた仕事を漸く片付けた柚聖(ゆずまさ)は、凝り固まった筋肉をほぐしながら退勤しようとしていた。
その時、東宮殿から女の悲鳴が聞こえた。
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Last updated
2012.11.25 23:26:01
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