「あんた、この世界は初めて?」
「ええ。」
「なにやら訳ありって感じだけど・・まぁいいわ、給料は沢山出すから働いてちょうだい。」
「ありがとうございます。」
こうして香帆は、スナックでホステスとして働くこととなった。
水商売は初めてだったが、酒が苦手な香帆は、客の興味をそそる話で徐々にお得意客を増やしていった。
「初めてにしちゃぁ、やるわねあんた。」
「ありがとうございます。」
ママに褒められ有頂天となった香帆だったが、そう甘くはなかった。
「悪いけど、あなた明日から来なくていいわ。」
「え?」
「こんなものが今朝うちのポストに入れられててねぇ。あんたがそんな女だとは知らずに雇ったあたしが馬鹿だったわ。」
ママが煙草を吸いながら香帆に見せたのは、例の週刊誌の記事だった。
「・・お世話になりました。」
香帆は頭を下げると、ママは溜息を吐いて店の奥へと消えていった。
それから香帆は何とかキャバクラに勤め始めたが、そこでもうまくはいかなかった。
「あんたが例の不倫女?可愛い顔してやるのねぇ?」
「そんな・・」
「退いてよおばさん、邪魔!」
店の稼ぎ頭であるホステス・留美に突き飛ばされ、香帆は無様に床に転がった。
「あ、あんたもう来なくていいって、ママが言ってたよ。」
「そんな、どうすれば・・」
「それは自分で決めなさいよぉ。さ、行こう。」
留美は取り巻きを従えて、更衣室から出て行った。
二軒目の勤務先を解雇された香帆は、途方に暮れながら夜の歓楽街を歩いていた。
一体どうしてこうなってしまったのだろうか。
歳三と不倫し、家族を失った結果、惨めな人生を送るとは、彼に抱かれている間はわからなかった。
世間から後ろ指を指されながら生きているのが辛くて、伊豆のアパートから飛び降りたが、死ぬこともできなかった。
もう、駄目だった。
(馬鹿なことをしたなぁ、わたし・・)
溜息を吐きながら、香帆は腹が減り、ファストフード店の前に来ていた。
財布の中を覗くと、千円札しかなかった。
だが、飢え死にするよりマシだろう。
「いらっしゃいませ。」
カウンターの前に立つと、そこには制服姿の香が立っていた。
「これのサラダセットひとつください。」
「640円です。」
「じゃぁ、これで・・」
「ありがとうございます、360円のお釣りです。」
香は自分の方をちらりと見ず、淡々と仕事をしていた。
もう彼は、自分のことなど忘れているのだろう。
いや、忘れようとしているに違いない。
自分は彼の家庭を壊し、父親を奪った悪い女なのだから。
「ありがとうございました。」
店を出た後、香の冷たく事務的な声が、香帆の胸に深く突き刺さった。
完
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