「それで?何故今更になって俺に会いに来たのですか、父上?」
「・・お前が会津で辛酸を舐めたことは知っておる。」
「そうですか。戦火に包まれた故郷を捨てた人間には到底わからぬでしょうね。」
正義の言葉は棘を含んでいた。
彼は父親を睨みつけながら、椅子の上に腰を下ろした。
「それは、事情があったからで・・」
「いいわけなど聞きたくありません!あなたは会津から、俺達家族の元から逃げた!あなたは卑怯者だ!」
正義に罵倒されても、正成は何も言わずに黙っていた。
「確かに、わたしは卑怯者だ。今更のこのことお前の前に顔を出せる立場ではないことくらい、わかっている。だがこうしてお前の前に顔を出したのは、頼みがあるからだ。」
「頼み、ですか?」
「ああ。お前、中川殿を覚えておるか?」
「中川殿、ですか?」
正義の脳裏に、武芸師範であった中川道義の顔が浮かんだ。
彼は確か、籠城戦で討ち死にした筈ではなかったか。
「中川殿は戊辰の戦で亡くなられた筈。何故、中川殿の話が?」
「中川殿は死んではおらぬ。生き延びていたのだ。」
「何と・・」
正義は中川が生きていることを知り、絶句した。
「ここに、中川殿が居る。」
正成はそう言うと、一枚の紙切れを正義に渡した。
「今度暇がある時にここに書かれている住所へ行くがいい。」
「そうですか。わかりました。」
「これで、失礼する。」
ほんの数分間の、短い父子の会話はあっけなく終わった。
(確か、ここだな・・)
数日後、正成から渡されたメモを頼りに、正義はそこに書かれている住所がある路地へと入った。
辛うじて人一人が通れる程の広さがある道を歩くと、急に広場のようなところに出た。
中央には噴水があり、その向こうには近くにある工場の煙によって黒くなっている煉瓦造りの建物が見えた。
そこには“ヴィトラム病院”と、銅版に刻まれてあった。
『すいません・・』
『なんだい?』
病院内は狭く、冬だというのに熱気がこもって暑苦しかったし、その上動物園のように耳を劈くほどの騒音が絶えず響いていた。
正義は看護婦の詰め所で大声を上げていると、関取のような看護婦が巨体を揺らしながら不機嫌そうに正義を見た。
『この病院に、ナカガワっていう人が居ると聞いたのですけれど・・』
『ああ、あの人かい?あっちの階段を上がってすぐのところに居るからね。』
看護婦はそう言うと、再び巨体を揺らしながら奥へと消えていった。
数分後、正義は赤茶けて錆びた階段の手摺りを掴みながら、二階へと上がった。
一階もひどい有様だったが、ここは一階以上に酷いもので、病室の前には患者の排泄物らしき悪臭がひっきりなしに漂ってきた。
正義はなるべく息をしないように努めながら、奥の病室の前へと立った。
「中川殿?」
ドアをノックしたが、中から返事がなかった。
こんな酷い場所には中川はおらず、父は嘘を吐いたのではないかと正義がそう思い始めたとき、軋んだ音とともにドアが開いた。
「その声は・・正義か?」
耳元に懐かしい声が聞こえたかと思うと、両目に包帯を巻いた男が正義の前に現れた。
彼こそが、正義がかつて尊敬してやまなかった旧会津藩武芸師範・中川道義だった。
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