歳三が伊勢崎と飲んでいる頃、嘉久は愛人・真菜の職場である銀座のクラブ「ジュエル」で真菜達数人のホステスを侍らせてシャンパンを飲んでいた。
「ねぇよっちゃん、本当に大丈夫なの?」
「何がだ?」
「何がって・・よっちゃんが学校のお金を横領していること、まだ理事長には知られていないんでしょう?」
「そんな事を、大きな声で話すな!」
嘉久はそう突然大声で叫ぶと、テーブルを拳で叩いた。
グラスやシャンパンのボトルが大きな音を立てて落ち、ホステス達は悲鳴を上げてテーブルから逃げていった。
「落ち着いてよ、よっちゃん。あたしが悪かったわ。」
「なぁ真菜、お前がこの前開きたいって言っていた店の開店資金、俺が出してやってもいいぞ。」
「ホント?」
「ああ。あの婆さんはどうせもう長くはない。少しくらい金をちょろまかしたって気づきやしないさ。」
「悪い人ね、あんたって。」
「それはお互い様だろう?」
嘉久はそう言うと、真菜を抱き締めた。
「お母さん、まだお父さん帰ってこないの?」
「ええ。お父様はお仕事が忙しいからね。もう寝なさい。」
「わかったぁ・・」
夜の11時を回っているというのに、父親の帰りを待っている長男・聡にそう言った恵は、彼がまた女の所に行っているのだろうと勘で解った。
「ただいま。」
「あらお帰りなさい、あなた。今夜も女の所にお泊りになられるのかと思いましたわ。」
「聡は?」
「あの子はもう寝ましたわ。それよりもあなた、聡の転校についてですけれど・・」
「その話は後でいいだろう。俺は疲れているんだ。」
「また逃げるんですか、あなた?面倒な事は全てわたくしに押し付けて、女と遊べるだなんていいご身分だこと!」
「お前に何がわかる!」
嘉久はそう叫ぶと、恵の頬を平手で打った。
恵は短い悲鳴を上げ、ダイニングテーブルに倒れ込んだ。
「誰のお蔭でお前が生きていけると思っているんだ!お前のような穀潰しは、家の事だけをやっていればいいんだ!いちいち俺に口答えするな!」
嘉久はそう吐き捨てるように恵に言うと、ダイニングから出て行った。
「恵さん、大丈夫?」
「大丈夫です、お祖母様。お騒がせしてしまって、申し訳ございません。」
騒ぎを聞きつけた寝間着姿の菊恵は、そう言って自分に詫びる恵を抱き締めた。
「謝るのはわたくしの方だわ。あんな乱暴な子に嘉久を育ててしまったのはわたくしです。」
「お祖母様、顔を冷やして参ります。」
キッチンへと向かった恵は、氷嚢(ひょうのう)を頬に当てながら溜息を吐いた。
長袖のカーディガンを捲りあげ、露出した彼女の腕には嘉久に殴られたような青痣がいくつも残っていた。
嘉久が恵に暴力を振るうようになったのは、彼女と結婚してすぐのことだった。
料理の味付けや掃除の仕方など、些細な事が原因で、嘉久は突然激昂し恵に暴力を振るった。
それは聡が生まれてからも変わらなかった。
いつまでこの生き地獄が続くのだろう―そう思いながら氷嚢を頬に当てていた恵は、いつの間にか自分が泣いていることに気づいた。
「義姉さん、どうしたんです?」
「歳三さん・・」
にほんブログ村