扉を開けて仁錫(イソク)が中に入ると、そこには喧騒と音楽に満ちた空間が広がっていた。
ロマの男女が音楽に合わせて激しいダンスをし、その周りを彼らの仲間が囲んで酒を飲み交わしていた。
今まで貴族の社交場にしか顔を出さなかった仁錫は、この異国情緒あふれる酒場に一種のカル
チャーショックを覚えたのだった。
『来てくれたのかい?』
『ええ。あなたからのお誘いをお断りしては失礼だと思いましたので。』
ルーマニア産のワインを堪能しつつも、ジャックは椅子から立ち上がって仁錫を迎えた。
『それは?』
『ああ、ルーマニアのワインだ。少し飲むか?』
『ではお言葉に甘えて頂きます。』
ジャックからワインを受け取った仁錫は、それを一口飲んだ。
何だか鉄錆のような味がした。
『どうです?』
『このワインが作られた樽(たる)は熟成されたものでしょうか?何だか鉄錆のような味がいたしますね。』
ジャックは仁錫の言葉を聞くなり、大声で笑った。
『どうされましたか?』
『いえ・・思ったことをそのままはっきりと言うお方だなと思いまして。社交界の連中は、嫌な相手を前にしても笑顔を浮かべて世辞を言うのが当たり前ですから。』
『わたしは嫌いな相手に媚を売るほど、人間が出来ておりませんもので。』
仁錫の蒼い瞳を覗きこみながら、ジャックは彼に興味を持ち始めた。
彼の姉・エリスから仁錫を社交界から追放するようにと命じられたが、どうやら彼とは気が合いそうだ。
『さてと、あなたともっと話がしたい。奥の方に部屋がありますので、そちらでお話を。ここは騒がしい上に人目があって落ち着かないでしょう?』
『そうですね。』
酒を飲ませジャックが自分を油断させようとしていることを見抜いた仁錫は、その手には乗るまいと敢えて彼の誘いに乗った。
奥の部屋に入った仁錫は、暫くドアの前に立っていた。
『どうなさったのですか?』
『あなたは一体、何を企んでおいでですか?このような人気のない場所にわたしを誘い出したりする理由はただひとつ・・わたしを社交界から追い出そうと画策している義姉が絡んでいるのでしょう?』
『ほう、ご彗眼なことで。俺は嘘を吐けない性質(たち)でねぇ、あの女の顔を見るのもうんざりしていたので、ここで全てお話いたしますよ。』
ジャックは大仰な溜息を吐くと、椅子の上に腰を下ろした。
『あんたの姉さんは、あんたがバロワの爺さんに気に入られたことに相当腹を立てているんだ。その上、妹の不祥事があっただろう?』
『あの人の事は自業自得なのです。賭博に溺れ、身を滅ぼしただけのこと。』
『この世の誰もがあなたみたいに真っ直ぐな人間だったら、ちょっとは良い世の中になったもんかなぁ?』
ジャックはそう呟くと、仁錫にゆっくりと近づいた。
仁錫は咄嗟に身構えると、護身用の銃を外套の中で握った。
『大丈夫、あんたに手出しはしませんよ。あんたとは気が合いそうですしね。』
ジャックはサイドテーブルに置いてあったワインのボトルを手に取ると、それを一口飲んだ。
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Last updated
2013.09.04 10:15:23
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