JEWEL

2013/10/10(木)13:37

空蝉 第2章-36

完結済小説:紅き月の標(221)

1923(大正12)年9月1日。 千尋が流産してから7年の歳月が過ぎたが、彼女は未だに不妊に悩んでいた。 毎年この季節になると、彼女は夫の実家へ農作業を手伝いに来ていたが、子どもらを連れた親族の女性達を見るたびに、流産した子が生まれていれば今頃子どもと歳三と三人で幸せな生活が送れたのではないのかと思うと、流産した自分を責め、憂鬱な気持ちになった。 「千尋さん、すいません。子ども達の面倒を見て下さって。」 「いいえ、子どもが居ないわたくしが一番暇なんですもの。これ位しないとね。」 「そんな・・」 農作業を終えた育実(いくみ)が千尋に子ども達の面倒を見てくれた礼を言うと、彼女はそう言って溜息を吐いた。 「育実さんはいいわねぇ、四人もお子さんが居て。末っ子の春ちゃんなんか、今可愛い盛りじゃないの?もしあの子が生きていたら、春ちゃんと同級生になっていたのかもしれないわねぇ。」 「千尋さん、すいません・・あの時、わたしが・・」 「いいのよ。わたくし、あなたを責めているんじゃないわ。ただ、あなたが今旦那さんと上手くやっているのかどうか気になっただけよ。」 千尋はそう言うとさっと立ち上がって部屋から出て行ってしまった。 結婚した当初、年が近いということもあり、千尋と育実は実の姉妹のように仲良くしていたが、千尋が流産してしまったのをきっかけに、二人の間には深い溝が出来てしまった。 「母ちゃん、どうして泣いてるの?何処か痛いの?」 「母ちゃんは大丈夫だから、春は姉ちゃん達と外で遊んでおいで。」 末娘の春が心配そうに自分の顔を覗きこんでいるのを見て、育実は無理に彼女に笑顔を浮かべ、そう言って彼女を自分から遠ざけた。 「もうお昼にしましょう、皆さん。」 「そうね。育実さんもどうぞこちらへ。」 「はい・・」 「ああそうだ、歳三さん達を呼んで来て頂戴な。わたくし今手が離せないのよ、お願いね。」 「わかりました・・」 昼食の準備をしている千尋を台所に残して、育実は外で作業をしている歳三を呼びに行った。 その時、不意に激しい揺れに襲われ、育実は悲鳴を上げて地面に蹲った。 「おい、大丈夫か!?」 「ええ・・でも、千尋さんが台所に・・」 「何だって!?」 歳三が血相を変えて千尋が居る台所へと向かうと、彼女は無事だった。 「千尋、怪我はないか?」 「ええ。それよりもさっきの揺れは・・」 「かなり大きかったな。家の方が安全だ。」 「そうですわね・・」 この日、神奈川県相模湾沖で発生したマグニチュード7.9の地震は、東京府を中心に甚大な被害を及ぼした。 東京府に於けるこの震災の死者数は、約7万人だった。 「お父様とお母様達は大丈夫かしら?」 「大丈夫だ。」 その日の夜、千尋の元に一通の電報が届いた。 “ハハ、キトク。スグニカエラレタシ。” にほんブログ村

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