イラスト素材提供:十五夜様
1945(昭和20)年8月2日、長崎。
「ねぇお母様、お父様はいつ帰って来るの?」
「9日に帰ってきますよ。」
子供達は2年ぶりに歳三が自分たちの元に帰って来ることを知り、毎日歳三が帰って来る日を指折り数えながら待っていた。
「凛子、女学校はどうなの?」
「普通の勉強をする時間より、工場で兵器を作ったりしている時間の方が多いわ。それに、好きな本を一冊も読めないのよ。」
凛子はそう言って溜息を吐いた。
「そんなことを言うものではありませんよ。」
「お母様、さっき婦人会の斎田さんがうちから出て行くのを見たけれど・・あの人からまた嫌な事を言われたの?」
「あなたが気にするようなことではありませんよ。それよりも凛子、そろそろあなたの嫁ぎ先のことを考えなければね・・」
「止してよお母様、結婚なんてわたしまだ考えていないわ。」
「そうだったわね。」
千尋はそう言って笑うと、針仕事を再開した。
「何だかこの町も随分と寂しくなってしまったわね。わたしがこの町に来た頃は、通りが活気に満ち溢れていたのに・・」
「戦争中だから仕方がないわ。うちだけではなく、大きな置屋や女郎屋も営業停止になって、いつ再開できるのかわからないし・・」
「映画館は開いているけれど、戦争を題材にした映画ばかりが上映されているから、あまり観に行きたくないわ。」
「凛子、夕飯の支度を手伝って。」
「わかりました、お母様。その前に玄関前の水撒きをしてきます。」
凛子が『いすず』の暖簾をくぐって外に出ると、真夏の陽光が凛子の白い柔肌を突き刺した。
「暑い・・」
凛子はハンカチで額の汗を拭いながら、玄関前の水撒きをした。
「凛子ちゃん、元気そうだね。」
「あら、斎藤の小父(おじ)様、お久しぶりでございます。」
「千尋さんは中に居るのかい?」
「ええ。今呼んできましょうか?」
「そうしてくれないか、少し千尋さんと話したいことがあるんだ。」
「わかりました。」
数分後、千尋は奥の部屋で斎藤と向かい合って座っていた。
「斎藤さん、お話とは何でしょうか?」
「千尋さん、3月に東京で大規模な空襲があったことはご存知ですよね?」
「ええ、それが何か?」
「実は、その空襲で土方さんのお姉さんの、信子さんがお亡くなりになりました。」
「え・・そんな・・歳三さんはそのことを・・」
「わたしが、電報で土方さんに知らせました。千尋さん、ここから先の話は、決して外には口外しないでください。」
「はい・・」
斎藤はそっと中庭に面した襖を閉めると、千尋の隣に座った。
「実は、米軍が密かに新型兵器を開発しているという噂があります。」
「新型兵器?」
「ええ。何でも、それを日本の主要都市の上空に投下すれば、あっという間に日本が滅びてしまうという恐ろしい爆弾です。」
「まぁ・・その情報は、確かなのですか?」
「ええ。」
8月6日、斎藤が言っていた“米軍の新型兵器”が、広島市上空で炸裂した。
「恐ろしいわね、お母様。」
「凛子、もしわたしに何かあったら、弟たちのことを宜しく頼むわよ。」
「わかりました。」
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