イラスト素材提供:White Board様
初と洋館で揉み合いとなり、ピアノに頭をぶつけた千尋だったが、幸い後遺症もなく一日病院で入院しただけで済んだ。
「奥様、お帰りなさいませ。」
「お帰りなさいませ。」
千尋が大岩とともに母屋の玄関先に立つと、部屋の奥に居た女中達が慌てて彼らを出迎えた。
「あら、初さんは?」
「お初さんなら、昨夜里の方へお帰りになられました。」
「そう・・」
「千尋、そげなところに突っ立っとらんで、中に入らんか。」
「はい・・」
千尋が大岩とともにダイニングルームに入ると、そこには大岩の秘書である大杉の姿があった。
「大杉さん、どうなさったの?」
「奥様がご入院されたと聞いて、居てもたってもいられずこちらに伺ってしまいました。お元気そうで、良かったです。」
「わざわざわたくしの為に来てくださって有難う。大杉さん、朝ごはんはまだ召し上がっていらっしゃらないの?」
「ええ。」
「あなた、わたくしお腹が空きましたわ。」
「そうか。おい、朝飯の支度をせい。」
「かしこまりました。」
「あら、亜紀ちゃんは?」
「あいつは、部屋に引きこもっとる。母親が突然居らんくなって寂しくなったんやろう。」
「母親って・・あなた、もしかして亜紀ちゃんの母親は、初さんですの?」
「ああ。」
大岩から亜紀の母親が初であることを知らされ、千尋は一気に食欲が失せた。
「千尋?」
「あなた、わたくし離れで休ませていただきます。」
逃げるように母屋から出て、離れの洋館のリビングに入った千尋は、ピアノの前に座り、無意識に漆黒の蓋を開け、象牙の鍵盤の上に両手を滑らせていた。
(初さんが、亜紀ちゃんの母親なんて・・)
初が亜紀の母親であることを、千尋以外大岩家の者たちは皆知っていた。
大岩は、自分を騙していたのだ。
初を大岩家から追い出し、自分に離れの洋館とピアノを与えたのは、罪滅ぼしのつもりなのだろうか。
千尋はショパンの『幻想即興曲』を奏でながら、涙を鍵盤の上に落とした。
大岩に騙された怒りと屈辱に身を震わせ、千尋は狂ったようにピアノの鍵盤を叩いた。
両手首が悲鳴を上げても、千尋はピアノを弾き続けた。
今ピアノを弾くのを止めてしまったら、心が壊れてしまいそうだからだ。
「奥様、おやめください!」
リビングに入った大杉は、千尋が狂ったようにピアノを弾いているのを見て、彼にピアノを弾くのを止めさせようとした。
だが、千尋は大杉を無視して、ピアノを弾き続けた。
急に彼は胸の底から何かがせり上がってくるのを感じ、演奏を止めて口元を両手で押さえた。
彼の白い指の隙間から、真紅の血が滴り落ちた。
「奥様、しっかりしてください!」
朦朧とした意識の中で、千尋は総司が自分に微笑んでいるのを見た。
裁縫学校の校長室で、歳三は何故か胸騒ぎをおぼえた。
「校長、電報が届いております。」
「有難う。」
事務員から電報を受け取った歳三は、千尋が筑豊の自宅で喀血したことを知り、すぐさま筑豊へと向かった。
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