「吉田、わたしと話したいこととは何だ?」
「最近江戸からやって来た浪士組とかいう輩が幅を利かせているという話を、聞いているか?」
「ああ。だが、どうやら浪士組は水戸天狗党の残党どもと、百姓崩れの者どもとの間で派閥争いが起きていると、この前わたしが放った間諜から文が来た。」
「仲間割れか・・将軍警護の為に上洛してきたとか聞いたが、奴らの心は一つではないようだな。」
「そうらしい。だが、相手を深く侮っていては、いずれこちらが泣きを見ることになる。吉田、くれぐれもはやまった行動はするなよ。」
「わかった。」
吉田はそう言うと、座布団から立ち上がって部屋から出て行った。
「貴助、お前に頼みたいことがある。」
「頼みたいこと、ですか?」
「ああ。お前が話していた金髪の少年と、親しくなって貰いたい。」
「何故ですか?」
「間諜を浪士組の中に潜ませてはいるが、いつ向こうにこちら側の動きが露見するのかは時間の問題だ。そこでだ、浪士組の隊士と顔見知りのお前が間諜として潜り込めば、向こうも警戒しなくて済むだろう?」
「良い案ですね、桂先生。」
「上手くやってくれよ、貴助。」
「はい。」
貴助はそう言うと、桂に深く頭を下げた。
「この任務、必ずやり遂げてみせます。」
「頼りにしているぞ。」
桂はそっと貴助の肩を叩くと、部屋から出て行った。
翌日、千尋が八木邸の中庭で洗濯物を干していると、そこへ貴助がやって来た。
「よう、また会ったな。」
「貴助さん、お久しぶりです。」
「俺、浪士組に入隊することになったんだ。これから宜しく。」
「こちらこそ、宜しくお願いいたします。」
長州の間諜として壬生浪士組に潜入した貴助は、千尋に親しげに話しかけ、彼の警戒心を解いた。
「これからあんたのこと、千尋って呼んでもいいかい?名字で呼び合うのも、堅苦しいからさ。」
「ええ、構いません。」
「じゃぁ千尋、お前ぇさんは京に来たのは初めてなのかい?」
「いいえ。わたくしは昔、京に住んでおりましたので、少し土地勘があります。」
「へぇ・・俺はまだ江戸から来たばかりで、全然土地勘がないから、よく道に迷うんだよ。」
「沖田先生も、そう仰られます。まぁ、毎日洛中を歩いていれば、慣れてきますよ。」
「そうか。」
「荻野君、ここに居たんですか。おや、そちらの方は?」
縁側から声がしたかと思うと、貴助は自分達の前に黒髪を背中で一括りに結んだ優男がやってくることに気づいた。
「沖田先生、こちらはこの前、洛中でお会いした・・」
「貴助さんですね。初めまして、壬生浪士組一番隊組長の、沖田総司です。」
「改めまして、自己紹介させていただきます。貴助です。」
「名字は何というのですか?」
「実は・・俺は自分の名字を知らないのです。」
「まぁ、そうなのですか。すいません、失礼な事を聞いてしまいましたね。」
「いいえ。名字を知らなくても、俺には貴助という名があるだけで充分ですから。」
貴助はそう言うと、屈託のない笑みを総司に浮かべた。
「貴助さん、これから荻野君と茶店に行こうと思っているのですが、あなたも一緒に如何ですか?」
「お言葉に甘えさせてご一緒させていただきます。」
(こいつが壬生浪士組一の剣の遣い手と言われる、沖田総司か・・そんな風には見えないな。)
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