「姫様、お聞きになりましたか?」
「淡路、どうしたの、そんなに慌てて?」
「実は、近々東宮の座にあの光明様が就かれるという噂をさっき皇太后さま付きの女房から聞きました。」
「まぁ、それは本当なの?」
「ええ、確かでございます。」
「光明様は主上の亡き兄君の血をひいていらっしゃるから、東宮となられるには何ら問題はないけれど・・周りの者が何と思うかしらねぇ?」
「さぁ・・」
「光明様は、今頃大変でしょうね。」
「そうですわね。それよりも姫様、口を動かすよりも手を動かさねばなりませんよ。」
「うるさいわね、わかったわよ。」
淡路にそう指摘され、美鈴は口を閉じて途中で放り出したままになっていた針仕事を再開した。
―ねぇ、陰陽寮の方からお聞きしたのだけれど・・
―聞いたわよ、陰陽博士様が東宮様になられるんですってね?
―今の陰陽博士様って、安倍兄弟の弟君よね?
―陰陽師が東宮様になられるなんて、前代未聞だわ。
皇太后・信子が光明を東宮にすると宮中に発表して以来、光明は廊下を歩くたびに女達が自分の事を話しているのを聞いて溜息を吐いた。
(まったく、正式に決まった訳ではないのに、騒がしいな・・)
信子が勝手に話を進め、光明を東宮にさせようとしていることに対し、帝は何も言わない。
信子は帝よりも宮中での発言力が強く、陰では“女帝”と呼ばれているほどの権力を持っている。
そんな彼女に、帝が逆らえる筈がない。
(もう皇太后さまに、何を言っても無駄か・・)
「光明、どうした?浮かない顔をしているな?」
「何だ、お前か。」
書物から顔を上げた光明は、自分の前に立っている紫雲を見てそう言って彼を見た。
「おいおい、何だとはないだろう?なぁ、お前が東宮になるってことで、色々と周りが騒いでいるようだが・・」
「あれは皇太后さまが勝手に決めたことだ。」
「あの方は一度決めたことは頑として変えないお方だからなぁ。」
「人の苦労を知らないで、よくそんな暢気な事を・・」
光明がそう言って紫雲を睨むと、部屋の前に女童(めのわらわ)が立っていることに気づいた。
「どうした?」
「あの、皇太后さまがお呼びです。」
「わかった、すぐに行く。」
読んでいた書物を閉じた光明は、そのまま信子の元へと向かった。
「皇太后さま、今日は何のご用でわたくしをお呼びになったのですか?」
「そなた、そろそろ身を固める気はないか?」
「いいえ・・」
「東宮妃となる姫君は、わたくしが選んでおくから、そなたはわたくしのいう事を黙って聞いていればよい。」
「皇太后さま・・」
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