「千尋ちゃん、どないしたん?」
「いえ、何でもありません。」
「またあの子にちょっかい出されたんか?」
橘太夫の禿に突っかかられたところを見ていた他の太夫がそう言って千尋を見た後、溜息を吐いた。
「姐さんは、あの子の事をご存じなのですか?」
「まぁなぁ。あの子は千里いうて、音羽屋の前に赤子の時に捨てられていた子なんや。橘姐さんは千里の事をよう可愛がってはるから、あんたに姐さんを取られるんやないかと思うてちょっかい出したんやない?」
「そうですか・・」
「あんまり気にせん方がええわ。」
「わかりました。」
その太夫に頭を下げると、千尋は他の振袖新造達とともに鳴り物の稽古がある部屋に入った。
「お師匠さん、有難うございました。」
「あんたはええ筋をしてはるなぁ。立ち居振る舞いも洗練されとるし・・あんた、どこぞの武家のお嬢様やったん?」
「ええ。家はわたくしが幼い頃に没落してしまいまして、祖母からは名家の誇りを忘れるなと、色々と鳴り物やお茶などの習い事を受けました。」
「そうか。まぁあんたのような訳ありの子はようさん見てきたわ。この前もなぁ、ここにわけありの子が来ていたなあ。」
「そうですか・・」
「何でも、大坂の大店の娘やったけれど、家が賊に襲われて売り飛ばされたて聞いたえ。」
「その子の名前は、わかりますか?」
「さぁ、忘れてしもうたなぁ。その子はもう、島原から急に消えたしなぁ・・」
三味線の師匠から興味深い話を聞いた千尋は、すぐさまその話を文にしたため、監察方に手渡した。
「大坂の大店の娘ねぇ・・その娘が、長州の浪士どもと連絡を取り合っているかもしれねぇなぁ。」
「大坂にはまだ、禁門の変で京から追い出された長州の浪士どもが再起を図って潜伏しているという噂がある。引き続き、荻野君には警戒を怠らないようにしてくれと伝えてくれ。」
「わかった。」
副長室の中で歳三と近藤がそう話をしているのを襖越しに千が聞いていると、誰かが彼の肩を叩いた。
「君が、千君だね?」
「はい・・」
千が振り向くと、そこには参謀として新選組に入隊した伊東甲子太郎が立っていた。
「君にひとつ、頼みたいことがあるんだ。」
「何でしょうか?」
「ここでは人目がつくから、離れに来てくれないか?」
「はい・・」
千は伊東とともに離れへと向かうと、伊東は自分の隣に座るよう勧めた。
「あの、僕に頼みたいことって何でしょうか?」
「君は土方君と親しいようだね?」
「親しいというよりは、ただ仕事を与えて貰っただけです。」
「そうか。」
千の言葉を聞いた伊東は、急に千に興味を失くしたようだった。
「君はもうさがっていい。」
「はい・・」
(伊東先生は、僕に何を頼みたかったんだろう?)
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