「今日は、貴方達二人に話したいことがあって来たのよ。」
「まぁ、何のお話でございますか、皇妃様?」
ヘレーネがエリザベートに尋ねると、彼女はアレクサンドラの方を見てこう言った。
「貴方の赤ちゃんの為に買った大量のベビー用品を、慈善団体に寄付しようと思っているの。」
「まぁ、それは素晴らしいですわ。」
アレクサンドラがそう言ってエリザベートに同意すると、彼女はアレクサンドラの下腹を優しく撫でた。
「それに、十代の母親達を支援する団体を立ち上げようと今考えているのよ。そのお手伝いを、貴方達にやって貰いたくて来たの。」
「まぁ、素晴らしいですわ。是非ともお手伝いさせて頂きます。」
「有難う、ヘレーネ。貴方が傍に居れば、アレクサンドラも安心して出産できるでしょう。王宮は、何かとストレスが溜まるところだから、実家で出産して育児に専念した方がいいわ。」
かつて末娘であるマリア=ヴァレリー以外の、三人の子達を姑から取り上げられた経験を持つエリザベートは、そう言ってコーヒーを一口飲んだ。
「皇妃様、最近よくウィーンに戻られていらっしゃるとお聞きしましたが?」
「アレクサンドラの事がどうしても心配で、旅行どころじゃないの。旅先でも、貴方の赤ちゃんへのお土産をつい大量に買ってしまって、いつもリヒテンシュタイン伯爵夫人に怒られてしまうのよ。それに、ルドルフが貴方の事をいつも心配していて、貴方の様子を見に行ってくれと煩く言うものだから、無視できなくて・・」
そう言って朗らかな笑みを浮かべているエリザベートの美しい横顔を見ながら、ヘレーネは静かに彼女の話を聞いていた。
「皇太子様が、そのような事を皇妃様におっしゃったのですか?」
「ええ。あの子にとっては初孫だから、気になって仕方がないのは解るわ。これを機に、あの子との関係が良くなればいいのだけれど。」
「まぁ、皇妃様・・」
宮廷で働いていた頃、エリザベートとルドルフの冷めた親子関係を知っているヘレーネは、アレクサンドラの妊娠を機に二人の関係が改善される事を密かに願っていた。
だが、血を分けた親子という複雑怪奇で濃密な人間関係は、一度拗らせてしまうと中々元には戻らないものであった。
アレクサンドラの妊娠を知り、エリザベートは彼女の様子を見に、以前より頻繁にウィーンへと戻り王宮に滞在するようになっていたが、相変わらず公務を欠席するエリザベートに対し、ルドルフは余り良い感情を抱いていなかった。
それに加えて、勤勉で公務に励んでいる嫁であるシュティファニー皇太子妃との軋轢(あつれき)があるエリザベートは、初孫であるエルジィには会いには来るが、皇太子夫妻の元を一度も訪ねることはしなかった。
「貴方が羨ましいわ、ヘレーネ。十五年間も生き別れて離れ離れになっていたとはいえ、母と娘がこんなにも仲良く暮らしているのだもの。わたしは一体何処でどうルドルフとの関係を間違えてしまったのかしら・・」
そう言って遠い目で何処かを見つめて溜息を吐くエリザベートの肩に、そっとヘレーネは自分の手を置いた。
「皇妃様、今からでも間に合いますわ。だからそう悲観なさらないでください。」
「そうね。ヘレーネ、後で貴方と二人きりで話がしたいのだけれど、いいかしら?」
「ええ。」
「お母様、少し部屋で休んでも宜しいでしょうか?少しお腹が張って苦しくて・・」
「まぁ、それは大変だわ。今すぐ病院に行きましょう!」
「そんな、お腹が少し張っただけですから・・」
「駄目よ、アレクサンドラ。少しでもおかしいと思ったら病院に行って診て貰わなくちゃ。」
「皇妃様、わたしも参ります。」
ヘレーネとエリザベートに連れられ、アレクサンドラが病院へと行くと、担当医は彼女を診察した後こう言った。
「切迫早産になりかかっていますね。暫く入院して安静にしていてください。」
「先生、どうか宜しくお願いいたします。」
その日、アレクサンドラはそのまま出産まで入院することになった。
「ヘレーネ、アレクサンドラは大丈夫なのか?」
「ええ、安静にしていれば大丈夫だそうですよ、皇太子様。」
ヘレーネから連絡を受け、病院に駆け付けたルドルフは、病室で心配そうにアレクサンドラの手を握っている母の姿を見た。
「母上、どうしてここに?」
「皇妃様はアレクサンドラの事を心配為さって、アレクサンドラを病院まで連れて行ってくださったのですよ。わたくし、何か飲み物を買って参ります。」
ヘレーネはそう言ってルドルフとエリザベートに軽く会釈すると、アレクサンドラを起こさぬように病室から出た。
「ルドルフ、貴方に聞きたいことがあるの。」
「何でしょうか、母上?」
「アレクサンドラのお腹の子の父親は、ルドルフ、貴方ではなくて?」
エリザベートの言葉を聞いたルドルフは、激しく狼狽した。
「母上、何故そのことをご存知なのですか?」
「やはり、そうなのね・・」
エリザベートはそう言ってドアの近くに立っているルドルフの方を見ると、彼の形の良い唇が微かに震えていた。
「アレクサンドラを貴方が引き取った時、貴方達の親子仲が良い事に最初は何の疑問も感じていなかったわ。けれどアレクサンドラが妊娠をして、貴方が何かとあの子の事を気に掛けている姿を見ていると、貴方が初孫の誕生を待ち望んでいる父親の姿のようには思えないのよ・・それよりも、我が子の誕生を待ち望んでいる父親の姿そのものに見えたの。」
「母上・・」
鋭い母の観察眼に、ルドルフは内心舌を巻いた。
「貴方がヘレーネの事を今でも想っていることを、わたしは知っていたわ。でも、知らぬ振りをしていたの。まだ貴方もヘレーネも若かったし、いつか二人の関係は冷めるものだとわたしは勝手に思い込んでいたのよ。でも、ヘレーネが宮廷を去った時、貴方が自殺未遂をしたと知って、わたしは母親失格だと落ち込んだわ。」
「母上・・」
エリザベートは、ルドルフの右手を自分の方へと引き寄せ、その掌に残っている火傷痕を見て溜息を吐いた。
「ルドルフ、貴方はこうなることを望んでいたの?」
「実の娘を抱き、彼女に自分の子を産ませることを、ですか?」
ルドルフはそう言った後、口端を上げて笑った。
「何が可笑しいの?」
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