*幕末の千尋の幼少期の話です。まだ続きます*
千尋が荻野家に引き取られて四日が経った。
美祢(みね)は頑なに千尋を荻野家の人間である事を認めようとせず、千尋を使用人と同じ扱いをした。
京から来た時に彼が着ていた華やかな着物や簪、櫛などは女中達によって取り上げられ、何か千尋が粗相をすると彼女達は容赦なく罵詈雑言を千尋に浴びせた。
「全く、旦那様はこの子のどこが良くて引き取ったのかしら?」
「さぁ・・でもまぁ、女のあたし達でさえも嫉妬するような可愛い顔をしているんだから、色子としての利用価値はあるんじゃないの?」
「まぁ、そうかもね!」
井戸で洗濯をしながらそんな事を女中達が話していると、そこへ義正が通りかかった。
「若様、今日はお早いお帰りですね?」
「千尋は何処に居る?」
「ああ、千尋でしたら、奥方様にお使いを頼まれて外出しております。」
「そうか・・」
義正は何だか嫌な予感がして、道着姿のまま邸から飛び出した。
一方、美祢に頼まれたお使いを終えた千尋は、茜色に染まる道を一人で歩いていた。
早く帰らなければ、美祢に厳しく叱られて食事をまた抜かれてしまう―そんな事を思いながら千尋が歩いていると、突然彼は何者かによって口を塞がれた。
「暴れるな、大人しくすればいい思いをさせてやるからよ。」
そう言って自分を見つめている男は、臭い息を吐いた。
「へぇ、上玉じゃないか?」
突然誰かに提灯で顔を照らされ、千尋がその眩しさに目を細めると、男の連れの女が、狐のような細い目で千尋を見つめていた。
「異人とのあいの子なんて、江戸じゃぁ滅多に見られないし、粗末な身なりをしているけれど、何処かの女郎屋か陰間茶屋にでも売れば高値で売れるんじゃないかい?」
「流石姐さん、頭がいいや。おい嬢ちゃん、お前ぇ名前ぇは何ていうんだ?」
「千尋・・」
「千尋ちゃんかい、いい名前だねぇ。千尋ちゃん、ちょいとあたしらに付き合っておくれ。なぁに、取って食おうって訳じゃあないんだ―」
女の手が千尋に伸びようとした時、突然夜の闇を切り裂くかのように甲高い呼子の音が鳴り響いた。
「糞!」
「さっさとここからずらかるよ、弥吉!」
自分達の方へと徐々に迫りくる提灯の群れに悪態を吐いた男の袖を引っ張った女は、千尋をその場に置いて闇の中へと消えていった。
「千尋、無事か!?」
「兄上ぇ~!」
千尋は涙と鼻水で顔を濡らしながら、正義に抱きついた。
「怖かっただろう。でも兄上が来たから、もう怖くはないぞ。」
「うん・・」
その日以来、千尋は使用人としてではなく、荻野家の一員として扱われるようになった。
「千尋、稽古に遅れるぞ!」
「待ってください、兄上!」
千尋は正義が通っている剣術道場に通い始め、その身体の奥底に眠っている戦士としての本能、そして剣の才能を徐々に目覚めさせていた。
「千尋、最近剣の腕が上達したな。」
「有難うございます、兄上。」
稽古帰りに正義と千尋がそんな話をしながら歩いていると、突然千尋は背後から強烈な視線を感じて振り向いた。
すると、柳の木の陰にあの日自分を攫おうとした女が立っていた。
女は千尋の視線に気づくと、口端を上げてニヤリと笑うと、何処かへと消えていった。
「千尋、どうかしたのか?」
「いいえ、何でもありません、兄上。」
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