「それにしてもお前は恐ろしい奴だ。何の罪もない妹分に殺人の濡れ衣を着せるとは・・」
「あの子が悪いんどす、うちより目立つさかい。」
鈴江はそう言うと、男の肩にしなだれかかった。
「お前は昔から悪賢い奴だったな、鈴江・・いや亮輔。」
「本名で呼ぶのはやめてくれない?本名で呼ばれると何だかあの女の事を思い出して虫唾が走るんだ。」
はんなりとした京言葉から急に砕けた口調でそう言った鈴江は、自分の幼馴染である男を睨んだ。
「すまん、すまん。数年とはいえお前の母親と結婚した仲だから、ついお前を本名で呼んぢまった。これからは源氏名で呼ぶことにするよ。」
「わかればいいんだよ。」
鈴江はそう言うと、窓枠に凭れかかった。
「なぁ鈴江、お前元の時代に戻りてぇと思った事はないのかい?」
「ないね。ここには俺を知る者は誰も居ない。金の無心ばかりしている社会の屑みたいな従兄も、そいつを野放しにしておきながら、偉そうに俺に説教を垂れる糞婆も居ない。不便な事が多いけれど、煩わしい人間関係から解放されて快適なんだよ、この時代で生きるのは。」
鈴江―楢木亮輔はそう言って男の方を見た後、咥えていた煙管に火をつけた。
亮輔は金沢市内でスナックを経営する母親と、ある資産家の御曹司である父親の私生児として生まれた。
ロシア人のクォーターである父親の血を色濃く受け継いだ亮輔は、金褐色の髪に淡褐色の瞳という日本人離れの容姿の所為で、近所の住民達や学校の教師、そして同級生達から苛めを受けた。
母親は亮輔がいじめられていることに気づきながらも見て見ぬふりをした。
それどころか、機嫌が悪い時は亮輔に暴言を吐くなどの精神的虐待を加えた。
何故、自分は生まれて来たのか―己の存在意義を見出せずに、高校生となった亮輔は、閉鎖的で陰鬱とした故郷を飛び出して上京した。
東北や九州からの出稼ぎ労働者などが集まっている東京という街は、外国人の姿も多く、故郷で常に侮蔑と好奇の眼差しを向けられてきた亮輔だったが、それらの視線よりも彼は憧憬と羨望の眼差しを周囲から向けられている事に気づいた。
「亮ちゃんって、スタイル良いし足も長いよねぇ。やっぱ外人の血が入っているといいわねぇ。」
年を誤魔化して働くことになったスナックのママから、初日に亮輔はそう言われて己の存在意義を漸く見出せたのだった。
自分には他人にはない物がある―それがやがて、亮輔の強みになっていった。
上京して数年経ったある日、亮輔はいつものように勤務先の高級クラブから自宅へと帰る道すがら、彼は強盗に襲われ、預金通帳と印鑑が入ったハンドバッグ、首に付けていた祖母の形見の真珠のネックレスを奪われそうになって抵抗したところを、ナイフで胸を刺されて路上に蹲ったまま倒れて意識を失った。
死んだとばかり思っていたが、目が覚めたのは幕末の京都で、亮輔は祇園の置屋の部屋の中に居た。
「目ぇ覚めたか?あんた、名前は?」
時代劇からそのまま出て来たかのような髪型をした女性からそう名を尋ねられ、亮輔は咄嗟に源氏名である鈴江を名乗った。
「鈴江か、ええ名やなぁ。鈴江、何処にも行く当てがなかったら、ここで暮らしてみぃひんか?」
そう言った女将の言葉に、鈴江は静かに頷いた。
こうして、鈴江は過去の自分と決別し、祇園の芸妓として生きることになった。
日本人離れした容姿に加え、卓越したコミュニケーション能力で、鈴江はたちまち芸妓として売れっ子になった。
このまま自分の天下が続いたらいい―そう思った矢先、鈴江の前に邪魔者、自分の不動の地位を揺るがす敵が現れた。
金髪碧眼の敵の名は、千尋といった。
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