歳三に会わせろと言ってきている男は、大坂の呉服問屋の主で、何でも注文していた着物の代金を歳三が踏み倒した為、その取り立てに来たのだという。
「失礼ですが、貴方のお名前をお聞かせ願えませんでしょうか?」
「わたしは梅澤屋の宗介と申します。」
「梅澤様ですね。大変申し訳ございませんが、副長はただいま外出しておりますので、こちらにお名前とご住所をご記名頂けないでしょうか?」
千尋はそう言うと、懐紙と筆、硯を男に手渡した。
「ありがとう。ほな、後で土方さんによう伝えてくれへんか。早う着物の代金払うてくれへんと、商売上がったりやとな。」
はじめは語気が荒く喧嘩腰な口調で話していた梅澤翁は、千尋に自分の氏名と住所を記した懐紙を手渡した時には、穏やかな笑みを浮かべていた。
「後日副長にわたくしが伺って参りますので、数日お時間を頂けませんでしょうか?」
「構わんわ。わたしは三条の白松屋という旅籠におりますよって、土方さんに連絡取れたら文を送ってくんなはれ。文を受け取り次第こちらにまた伺いますよって。」
「承りました。」
梅澤翁を屯所の門前まで送った後、千尋はすぐさま副長室へと向かった。
「副長、荻野です。今よろしいでしょうか?」
「少し待て。」
暫くすると、歳三が副長室の襖を開け、千尋を中へと招き入れた。
千尋は歳三に梅澤翁の氏名と住所が書かれた懐紙を手渡しながら、梅澤翁が話していた事を彼に伝えた。
「着物か。確か二月前に姉貴の為に注文していたのを忙しくてすっかり忘れちまってた。お前が居てくれて助かった。」
「いいえ、滅相もございません。梅澤様は三条の白松屋という旅籠に滞在されております。」
「後で俺が白松屋に文を使いの者に寄越しておこう。」
「わかりました。ではわたくしはこれで失礼いたします。」
千尋が副長室から出ると、中庭の茂みの方で誰かが言い争う声が聞こえた。
「一体どういう事だ、これは!?」
「それはわたしにもわかりませんよ。それよりも平田さん、そんなに大声を出さないでください、誰かに聞こえでもしたらどうするのですか?」
そう言って男を窘(たしな)める天童は、何処か醒めた目をしていた。
「誰も聞いていないさ。それにしても天童、よくあの土方の隠し子だと嘘を吐いてここへ潜入できたな?」
「土方には女の噂が絶えないと知っていましたし、江戸で少し情報収集しましたからね。まぁ、子供のふりをして土方の事を父上と呼ぶのは反吐が出ましたけれど。」
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