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Jun 23, 2022
全1件 (1件中 1-1件目) 1 薔薇王の葬列 音大パラレル二次創作小説:幸せの交響曲
テーマ:二次創作小説(744)
「薔薇王の葬列」二次創作小説です。
作者様・出版者様とは関係ありません。 二次創作・BLが嫌いな方は閲覧なさらないでください。 イギリス・ロンドンの中心部にあるイングランド音楽大学には、今年も期待と不安に胸を膨らませながら約800人の新入生が入学式を迎えた。 「新入生の皆さん、この度はご入学大変おめでとうございます。我が校は歴史と伝統ある音楽大学として皆さんのような優秀な学生を今年も迎えられて大変光栄に思います。四年間の学生生活が皆さんにとって充実なものとなるよう祈っております。」 学長であり、声楽科の主任教授であるマーガレットの挨拶が終わると、新入生達はそれぞれ所属する学部毎に教室へ移動した。 「リチャード、入学おめでとう。」 「父上!」 声楽科へ入学したリチャードは、父であり指揮科の主任教授であるプランタジネット公爵から祝いの言葉を受け、破顔しながら彼と抱擁を交わした。 「お前ならこの大学に合格すると思っていたが、入学式でお前の姿を見た時に安心したよ。」 「有難うございます、父上。」 「お前は声楽科だったな?マーガレット教授は厳しいが優しい方でもあるから、しっかりと彼女の下で学んできなさい。」 「はい、父上。では、俺はこれで失礼いたします。」 声楽科のオリエンテーションが行われる教室へと入ったリチャードは、ほぼ満席の中で長い赤毛を三つ編みにしている少女の隣が空いている事に気づいた。 「ここ、いいか?」 「どうぞ。貴女も、声楽科の方なの?」 「ああ、俺はリチャード=プランタジネットだ。」 「アン=ネヴィルよ、どうぞ宜しく。」 少女―アンと握手を交わしたリチャードが彼女の隣に座ると、丁度マーガレット教授と、リチャードの母でありこの大学の声楽科副主任教授であるセシリーが教室に入って来た。 「声楽科の皆さん、それぞれ一人ずつ自己紹介をお願いします。」 アルファベット順で始まった学生の自己紹介は、あっという間にリチャードの番になった。 「リチャード=プランタジネットです。」 「貴女ね、入学試験で首位の成績を収めた方は。パンクファッションがお好きなようだけれど、好きな音楽のジャンルは何ですか?」 「ロックやクラシック、ポップスが好きです。好きなものはジャンルに捉われれずにのめり込むタイプなので。」 「そう・・では、自己紹介代わりに何か貴女が好きな曲を一曲、ここで歌ってごらんなさい。」 セシリーの突然の無茶ぶりに、周囲がざわめきだした。 「いいでしょう。では、モーツァルトの歌劇『魔笛』から、“復讐の炎は地獄のように我が心に燃え”。」 リチャードはそう言って深呼吸すると、オペラの難曲を歌い始めた。 (凄い・・こんな難しい曲なのに、音程が安定しているし、何よりも夜の女王に彼女がなりきっているわ!) リチャードの歌声は、遠く離れたピアノ科やヴァイオリン科、そして指揮科の教室にも響き渡った。 「アカペラであの曲を歌えるなんて、凄いわね、彼女・・」 「セシリー先生のあの顔、見てよ!凄く悔しそうな顔をしているわ。」 「先生、まだ続けても宜しいでしょうか?」 「もう結構よ。貴女の才能は充分伝わりましたから。」 オリエンテーションは無事終わり、マーガレットとセシリーが教室から出て行った後、他の学生達がわっとリチャードの元へと集まって来た。 「貴女、どこで声楽を学んだの?」 「今度一緒にランチでもいかが?」 「みんな、済まないが一人ずつ質問してくれないか?」 リチャードは彼女達の勢いに少し押されながらも、これから始まる明るい学生生活に期待していた。 ランチタイムとなり、学内で一番人気のカフェテリアは安くて美味しいランチを求める学生でごった返していた。 「リチャード様、どうします?席、空いていないようですけれど・・」 「空くのを待つしかないな。」 食べ物を載せたトレイを両手に抱えながら、リチャードとアンは空席を探したが、中々見つからなかった。 「ねぇ、もしよかったらここに座りなよ!」 背後から声がしたのでリチャード達が振り向くと、そこには金髪碧眼の青年が二人に向かって手を振っていた。 何故か彼は四人掛けのテーブルに一人で座り、空いている椅子には熊や猫、そして白い猪の縫いぐるみが置かれてあった。 「いいのか?」 「うん。お昼はいつもこの子達と一緒に食べているんだ。」 青年はそう言うと、慌てて縫いぐるみ達を箱に入れ、空いた椅子にリチャード達をエスコートした。 「君、朝のオリエンテーションの時に歌っていた子だよね?綺麗な歌声だったよ。」 「あ、ありがとう・・」 不思議ちゃんオーラが漂う青年に歌声を褒められ、若干リチャードは戸惑いながらも彼に礼を言った。 「僕、ヘンリー、これから仲良くしようね!」 「リチャードだ、彼女は・・」 「アン=ネヴィルです。ヘンリーさんは、何科の方なのですか?」 「僕はヴァイオリン科だよ。君達は声楽科だよね?」 「はい、そうです。」 「ねぇ、これから毎日僕とランチを一緒に食べようよ。ここで会ったのも何かの縁だし。」 「そう、ですね・・」 「やったぁ!」 リチャードの言葉に破顔して笑うヘンリーは、そう言うと美味しそうにオムライスを頬張った。 「何だか、変わっていましたね、ヘンリーさん・・」 「そうだな。」 ランチタイムが終わり、カフェテリアから午後の授業がある教室へとリチャードがアンと共に向かっていると、その途中リチャードは一人の青年とぶつかった。 「済まない、怪我はないか?」 「ああ。これ、落ちたぞ。」 そう言ってリチャードが青年に持っていた楽譜を手渡すと、彼はそれを受け取った後、じっとリチャードを見つめた。 「何だ?」 「別に・・ただあんたに興味が湧いた、それだけだ。」 リチャード達がイングランド音楽大学に入学してから、一週間が経った。 はじめは色々と大変だったが、一週間も経つと次第に慣れて来た。 「音大で体育の授業があるなんて、聞いてないです!」 「必修科目だから、仕方がないだろう。それに、長時間の演奏にも耐えられるほどの体力作りが必要だろう。」 「それは、そうですけれど・・」 学内にあるスポーツジムの女子更衣室で、私服から水着に着替えながらリチャードとアンがそんな話をしていると、リチャードが何の躊躇いもなくタオルで身体を隠しもせずに水着に着替えようとしたので、慌ててアンがリチャードを止めた。 「お願いですから、せめてタオルで身体を隠してください!」 「女同士だから、別にいいだろう?」 「そういう問題じゃありません!」 結局アンに説得され、渋々とタオルを身体に巻きつけながら水着へと着替えたリチャードだったが、アンと共にプールサイドに現われると、周囲からざわめきが起こった。 「アン、さっきから俺の胸の方に視線が集まっているんだが、気のせいか?」 「きっと皆さん、リチャード様の胸が大きいから羨ましいんでしょう。」 いつも黒一色のファッションで固め、その上補正下着をつけている所為で男にしか見えないリチャードが競泳用の水着を着ると、どうしても豊満な胸と細くくびれた腰の部分が強調されてしまう事に本人は全く気づいていなかった。 「おいエドワード、何見てる?」 「あ、あいつ、やっぱり女ぁ~!」 プールサイドで準備体操をしていたピアノ科のエドワードは、そう叫ぶと鼻血を噴いてプールサイドに倒れてしまった。 エドワードは、リチャードとは家族ぐるみの付き合いをしていたので、幼い頃は良く二人で遊んでいた。 だがエドワードは、リチャードの事を完全に男だと思い込んでいた。 そんな中、エドワードとリチャードがサッカークラブで練習していた時、エドワードはバランスを崩してリチャードに覆い被さるような形で転んでしまった。 その時、エドワードは思わず両手でリチャードの胸を触ってしまった。 その柔らかな感触を、エドワードは未だに忘れることが出来なかった。 「ふん、この程度の事で倒れるなど情けない。」 「何だよバッキンガム、お前は一体どうするつもりなんだ?」 「そんな事をお前達に俺が教えると思うか?」 バッキンガムはそう言って同級生達をチラリと見た後、ゴーグルをつけてプールへと飛び込んだ。 リチャードが25メートルのレーンをバタフライで泳いでいると、隣のレーンで泳いでいた男子学生がいつの間にか自分の背後に迫ってきている事に気づき、彼女はスピードを上げて先にプールサイドへと上がった。 「残念だな、あんたの隙を狙って胸を触ろうと思ったのに。」 背後から妙に気取った神経の障る声が聞こえ、リチャ―が背後を振り向くと、そこにはゴーグルを外して金色の瞳で自分を見つめる青年の姿があった。 「お前、この前の・・」 「この前あんたに会った時は自己紹介を忘れたな。俺はピアノ科一年のバッキンガム、ヘンリー=スタッフォードだ。あんたは確か、リチャード=プランタジネットだな?」 「ああ、そうだが・・俺の事を、何故知っている?」 「プランタジネット公爵家の秘蔵っ子であるあんたを、ロンドンの社交界が放っておくわけがないだろう?いい加減あんたは自分の魅力に気づいた方が良い。」 バッキンガムはそう言って擦れ違いざまにリチャードの胸を触ろうとしたが、すぐさまその手をリチャードが邪険に払い除けた。 「余計なお世話だ。」 アンと共にプールから去っていくリチャードの背中を、バッキンガムは欲望に滾った目で見つめていた。 「あいつ、一体何者なんだ?初対面の癖に随分と馴れ馴れしそうだし、偉そうな態度だった。」 「彼は入学試験の時、トップの成績だったそうですよ。」 「成績がトップだったとしても、人間性もトップとは限らないだろう。」 リチャードはそう言うと、シャワーのコックを捻り、頭から冷水を浴びた。 「俺はこのまま寮の部屋に戻るが、アンはどうする?」 「わたしはイザベラと用事があるので、お先に失礼します。」 「そうか、じゃぁまた明日。」 スポーツジムの前でアンと別れたリチャードは、そのまま学生寮へと向かった。 実家と大学は目と鼻の先の距離で、自宅通学も出来たのだが、自分を何かと疎ましがる母と毎日顔を合わせたくないし、それに一人暮らしをしてみたかったので、リチャードはタイミングよく空いた一人部屋で入学式翌日から暮らしていた。 誰にも干渉されることなく、自分のペースで起きて食事をする自由な空間は、リチャードにとっては天国そのものだった。 冷蔵庫から今日の夕飯の食材をリチャードが取り出していると、突然外からチャイムが鳴った。 インターフォンの画面を見たリチャードは、そこに白い猪の縫いぐるみを抱き締めているヘンリーの姿が映っている事に驚いた。 「ヘンリー、どうした?」 『家出したんだ・・』 「わかった、詳しい話は中で聞こう。」 オートロックを解除し、リチャードがヘンリーを部屋の中に招き入れると、彼はリュックサックを背負ったまま部屋の隅に座り、白い猪の縫いぐるみに顔を埋めた。 「家出したとは、どういうことだ?」 「パパが、この子を捨てようとしたんだ。男の癖にこんな物をいつまでも持って女々しいって言うから、僕はパパを殴ってこの子達を連れて家から出たんだ。僕にとってこの子は大事な家族なのに・・」 「飯、食うか?今からミートソースパスタを作ろうと思っていたところなんだ。」 「有難う、頂くよ。」 キッチンでリチャードがミートソースパスタを作り、それをリビングへと持って行くと、ヘンリーは白い猪の縫いぐるみを抱き締めながら眠っていた。 「ったく、しょうがないな・・」 リチャードはそう言って溜息を吐くと、ヘンリーの上に暖かい客用の毛布を掛けた。 ヘンリーの分のミートソースパスタの上にリチャードがラップを掛け、それを冷蔵庫に入れようとした時、再び外からチャイムが鳴った。 「どちら様でしょうか?」 『リチャード様、わたしです、ケイツビーです。』 「ケイツビー、こんな時間にどうした?」 自分専属の執事・ケイツビーが突然訪ねてきたので、リチャードは慌てて寝ているヘンリーを起こし、彼を寝室へと連れて行った。 「いいか、俺がここから出ていいというまで、ここから一歩も出るんじゃないぞ!」 「うん。」 「ケイツビー、急に俺の部屋を訪ねて来るなんてどうした?」 「いえ、少しリチャード様にお話ししたい事がありまして・・リチャード様、もしかしてお客様がいらっしゃるのですか?」 「何を言う、ここには俺一人しか居ないぞ?」 リチャードがそう言って慌ててヘンリーの分のコーヒーカップを片付けようとした時、ケイツビーが目敏くそれに気づいた。 「おかしいですね、そのコーヒーカップといい、二人前のミートソースパスタといい、それらはわたしが来る前にリチャード様がお客様をおもてなしするために用意したものに違いありません。それに、ソファの上に置かれている水色のリュック、あれはリチャード様のものではありませんね?」 まるで刑事の様に鋭い観察眼で部屋の様子を見ていたケイツビーは、その視線を寝室へと向けた。 「リチャード様、寝室を少し見せて頂けないでしょうか?」 「そっちには何もないぞ!」 「それならば、何故慌てるのですか?何か疚しい事でも隠しておられるからでは?」 これ以上ケイツビーを誤魔化せないと思ったリチャードは、溜息を吐きながら寝室のドアを開け、毛布に包まって寝ているヘンリーの姿を彼に見せた。 「彼は確か、ヘンリー=ランカスター様ですね?何故彼がリチャード様のお部屋にいらっしゃるのですか?」 「大事にしていた縫いぐるみを父親に捨てられそうになって、家出してきたそうだ。行く当てがないから、俺の所へ来たらしい。」 「そうですか。ご安心なさって下さいリチャード様、この事は旦那様達には黙っておきます。」 「有難う、ケイツビー。それよりも俺に話したい事とは、何だ?」 「最近、リチャード様の事を嗅ぎまわっている者がおります。」 「俺の事を嗅ぎまわっている者?」 「ええ。水泳の授業の後、わたしがジムで自主トレーニングをしていると、黒髪金眼の青年がわたしに突然リチャード様の事を尋ねてきたのです。」 「そいつなら知っている、確かバッキンガムとかいうピアノ科の一年だ。水泳の授業の時、俺の胸に触ろうとしていた。」 「何という事を・・リチャード様、わたしの方から彼にひと言言ってやりましょうか?」 「何もするな、ケイツビー。」 「わかりました。」 自宅へと戻ったケイツビーを見送ったリチャードが寝室へと向かうと、そこには幸せそうな顔をしながら眠っているヘンリーの姿があった。 「良い夢を、ヘンリー。」 リチャードはそう呟いてヘンリーの額に軽くキスすると、寝室から出て行った。 翌朝、リビングのソファの上で目覚めたリチャードは、キッチンから良い匂いがする事に気づいた。 「おはようリチャード、朝食はパンケーキのベリーソース添えでいいかな?」 「ああ。ヘンリー、お前料理が出来たのか・・」 「うん、といってもスイーツ類だけだけどね。僕アイスクリーム大好きだから、自分で作れるんだ!将来はヴァイオリン弾きながらアイスクリーム屋さんをするんだ!」 「何だか忙しそうだな。」 「好きな事を思う存分やってみたら、忙しいけれど楽しいと思うんだ!」 「そうか・・」 ヘンリーが淹れてくれた紅茶を食後に飲みながら、リチャードは音大を受験した時の事を思い出した。 はじめは父のような音楽家になりたくて、幼い頃からピアノやヴァイオリン、そして声楽のレッスンを受けていたリチャードだったが、彼女の身体には“ある秘密”があった。 それは、男女両方の性を併せ持つ両性具有として生まれた事だった。 リチャードは母・セシリーによって女性として育てられたが、自分を型に嵌めようとする母に反抗した彼女はよく二人の兄達と木登りやサッカー、乗馬、そして剣術などに興じ、男として生きようとしていた。 だが、それはリチャードが12歳の時に初潮を迎えた事で終わった。 「自分の運命を認めなさい、リチャード。お前は女として生きるしかないの。男として生きることは出来ないのよ。」 男として生きたかったリチャードにとって、セシリーの言葉は彼女の心を残酷に打ち砕くには十分だった。 それからリチャードは精神のバランスを崩すようになったが、そんな彼女を救ってくれたのは父のプランタジネット公爵だった。 いつものようにリチャードが声楽のレッスンに励んでいると、そこへプランタジネット公爵が見学に来た。 彼はリチャードの歌声を聴くと、彼女に音大へ進学するよう勧めた。 「お前には天賦の才能がある。その才能を活かすか、殺すかはお前自身だ。」 その父の言葉が、悩み苦しんでいたリチャードの心を救い、進路を迷っていた彼女の背中を押してくれたのだった。 「リチャードは、将来何をしたいの?」 「まだ決めていない。俺はこの歌声で、いつか沢山の人を癒せるようになりたいと思っている。」 「素敵な夢だね!」 「有難う。ヘンリー、お前今日は授業ないのか?」 「授業はお昼からだから、午前中は休みなんだ。」 「そうか。じゃぁ午前中はここでゆっくりと休むといい。俺はこれから授業があるから大学へ行くが・・ヘンリー、俺の留守中に来客が来ても無視しろ、それに絶対に勝手に外出しない事、いいな?」 「わかったよ、リチャード。気を付けてね!」 ヘンリーはそう言ってリチャードに微笑むと、突然リチャードの頬に唇を落とした。 「な、なんだ!?」 「行ってらっしゃいのチューだよ!」 「突然変な事をするな、馬鹿!」 羞恥で頬を赤く染めながら、リチャードはそうヘンリーに言い放つと、そのまま学生寮の部屋から飛び出していった。 「おはようございます、リチャード様。あの、顔が赤いですけれど、どうかされましたか?」 「いや、遅刻しそうになったので急いで走って来たんだ。」 リチャードがそう言ってリュックの中から今日の授業に使う楽譜を取り出そうとした時、入れておいた筈のそれがない事に気づいた。 (これから部屋に取りに行ったら、完全に遅刻する・・一体どうすれば・・) 「リチャード、忘れ物だよ!」 リチャードが楽譜を忘れた事に気づいて愕然としていた時、教室の入り口の方から部屋に居る筈のヘンリーの声が聞こえて来た。 はじめは幻聴かと思っていたリチャードだったが、その声は次第に大きくなり、いつの間にか自分の前にヘンリーが立っている事に気づいたリチャードは素っ頓狂な叫び声を上げてしまった。 「お前、部屋から出るなと言っただろう?」 「そんなに怒らないで、リチャード。忘れ物を届けに来ただけなのに・・」 そう言って楽譜を握り締めながら自分を涙目で見つめるヘンリーを、リチャードはこれ以上責めることが出来なかった。 「ありがとう、忘れ物を届けに来てくれて。それと、怒鳴って済まなかった。」 「あの、お二人とも付き合っていらっしゃるんですか?」 「え、いや、その・・」 「僕、昨夜家出してリチャードと一緒に住んでいるよ!」 「それって、同棲しているって事ですか!?」 “同棲”という単語がアンの口から出た瞬間、周りに居た女子学生達が一斉にリチャードの方を見た。 「いや、そうじゃない。ただこいつが家出して行く当てがないから、しょうがなく一緒に暮らしてやっているだけだ。」 「今朝はリチャードにベリーソース添えのパンケーキを作って、一緒に食べたよ!それに、行ってきますのチューもしたんだ!」 「やめろ、それ以上は言うな~!」 リチャードの必死のフォローも虚しく、ヘンリーによって彼と一緒に暮らしている事が周囲にバレてしまったリチャードは、昼休みまで死んだ魚のような目をして授業を受けていた。 「もう駄目だ、俺はもう生きていけない・・」 「そんなに落ち込まないでください、リチャード様・・」 「はは・・ありがとう、アン。」 リチャードがアンに励まされながら彼女と共に食堂に入ると、二人の前にバッキンガムが現れた。 「リチャード、俺とランチを付き合え。」 「断る。」 「さっきあんたに忘れ物を届けに来た男・・ランカスターのヘンリーと、あんたは付き合っているのか?」 「プライベートな質問には一切答えるつもりはない。」 リチャードは、バッキンガムに彼御用達の高級ブランドのブティックでフォーマルなロングドレスと小物一式をプレゼントされ、その後ロングドレスに着替えさせられた後半強制的に連れて来られたロンドン市内を一望できる五つ星ホテル内にある高級レストランで、彼とテーブルを挟んで向かい合う様な形で座っていた。 「あんたがそういう態度ならば、これ以上聞いても無駄だな。もう食べる物は決まったのか?」 「まだ決まっていない。」 「ここはステーキが美味い店で評判だ。」 「そうか、ならば俺は真鯛のアクアパッツァにしよう。」 「・・強情だな、まぁあんたのそういう所も俺は気に入っている。」 「まどろっこしい言い方はもうやめたらどうだ、バッキンガム?わざわざ俺をこんな所へランチに誘ったのは、仲良くランチを食べる為だけじゃないだろう?」 リチャードがそう言ってメニュー越しにバッキンガムを睨みつけると、彼は口端を歪めて笑った。 「あんたは、男女両方の声を出せると噂で聞いた。それは、あんたの身体の秘密にあると誰かに聞いた。」 バッキンガムは、リチャードの豊満な胸の谷間を凝視しながらそう言うと、前菜のサラダを一口食べた。 「俺の身体の秘密を知ってどうなる?俺と寝たいとでもいうのか?」 「・・随分と男の心理に詳しいんだな?」 「ああ。一番上の兄が女性の心を全て見透かす超能力者のような男だったから、彼が女性をデートに誘う時どんなことをするのかをずっと傍で見て来たから、男の下衆な企みなどすぐにわかる。」 リチャードはそう言うと、軽く椅子を引いて立ち上がろうとしたが、その時ウェイターがメインの魚料理を持って来たので、レストランから出て行くタイミングを彼女は失ってしまった。 「俺は、あんたが欲しい。」 「だからわざわざ俺にプレゼントしたドレスを脱がせようと、ホテルへ?」 「なぁ、こんな所で聞く事じゃないが・・あんたはまだ処女なのか?」 リチャードの白い頬が怒りで赤く染まったのを見たバッキンガムは、舌なめずりしながらメインのステーキを頬張った。 「熟成肉のステーキは美味いな。柔らかな肉を頬張り、口の中で肉汁が溢れ出す感覚は何度味わっても堪らないものだ。」 「お前はピアノ科だろう?畑違いの俺に声を掛けたのは俺と寝たい以外でどういう目的があるんだ?」 「今週末、この劇場であんたの父親が指揮を務めるコンサートが開かれる。そこで俺はゲストとしてピアノを弾くことになった。俺がどんな人間なのかを知るには、一度俺の演奏を聴くといい。」 デザートを食べ終えたバッキンガムは、そう言って椅子から立ち上がると、リチャードの細い腰をそっと撫でた。 「あぁ、ドレスは返さなくてもいいぞ。事前に俺があのブランドの専属デザイナーにあんただけの為に作らせたものだからな。」 レストランの前で別れるまで、リチャードに対して傲岸不遜な態度を崩さなかったバッキンガムが意気揚々とした様子でエレベーターに乗り込んだ。 リチャードは彼の姿がエレベーターの扉が閉まって見えなくなるまで、じっと憎しみに滾った目で彼の事を睨みつけていた。 (くえない奴だ・・) バッキンガムからプレゼントされたロングドレスから私服へと着替えようと、リチャードが女性用化粧室に入ると、運悪くそこのパウダールームから義姉であるエリザベスが出て来た。 「まぁリチャードさん、そのドレスとても貴女に似合っていて素敵よ。もしかして、素敵な殿方とランチをなさったのかしら?」 「貴女には関係のない事です、義姉さん。そこを退いていただけませんか?」 バッキンガムはいけすかない男であるが、エリザベスはリチャードにとって不倶戴天の敵であり、一筋縄ではいかない相手であった。 「その素敵なドレス、本当に貴女によく似合っているわ。もしかしたら、バッキンガムからの贈り物なのかしら?」 豊かなブロンドの髪を揺らしながら己の豊満な胸を誇示するかのように胸を張ってエリザベスはそう言うと、リチャードの前に立ち塞がった。 「義姉さん、俺とバッキンガムとは何もありません。」 「さぁ、どうかしら?それよりも今週末のコンサートには行くのかしら?」 「ええ、あいつから招待されたので、それを断るのは失礼ですからね。」 「まぁ、そうなの。」 エリザベスはリチャードの言葉を聞くと、意味深長な笑みを浮かべながらパウダールームから出て行った。 そんな義姉の背中を睨みつけたリチャードは、トイレの個室に入り、煌びやかなドレスから黒一色の私服へと着替え、ホテルから大学へと戻った。 「リチャード様がハイヒールなんて珍しいですね。」 「あぁ・・」 アンの妹・イザベラからそう指摘され、リチャードは自分の足元を見た。 ホテルのトイレでドレスには着替えたが、ハイヒールを脱ぐのをどうやら忘れてしまったようだった。 「ピアノ科のバッキンガム様がリチャード様の事を探していましたよ。バッキンガム様とはお知り合いなのですか?」 「まぁな。知り合いといっても、向こうがしつこく俺につきまとっているだけだが。」 「あら、でもまんざらでもなさそうですわね、リチャード様。」 「イザベル、やめなさい!」 「ジョージと約束があるので、これで失礼しますね。」 イザベルはそう言うと、食堂から出て行った。 大学の講義が終わり、リチャードが学生寮の部屋に戻ると、キッチンから何か焦げた臭いがした。 「あ、おかえりリチャード!」 「ヘンリー、この臭いはどうした?」 「あのね、リチャードの為にフレンチトーストを作ろうとしたんだ・・でも、上手くできなくて・・」 「泣くな、ヘンリー。俺が作り直してやるから。」 ヘンリーという奇妙な同居人との生活にも、リチャードは慣れてきた。 ヘンリーは少し不思議な性格をしているが、それが何故かリチャードを安心させた。 週末、リチャードはロンドン市内にある劇場で父親が指揮を務めるコンサートへと向かった。 ドレスコードが決められていたので、リチャードは嫌々ながらもバッキンガムから贈られたドレスを着た。 指揮者としての父の姿は幼い頃から何度も見ていたが、このコンサートでの父はリチャードの目にとって輝いて見えた。 コンサートの終盤、喝采に包まれながらバッキンガムがやって来た。 バッキンガムは客席に向かって一礼すると、ピアノの前に腰を下ろし、鍵盤の上に指を滑らせた。 ラフマニノフの、ピアノ協奏曲第2番第1楽章。 美しい繊細なバッキンガムのタッチと、その音色を聞いた瞬間、リチャードはまるで稲妻に全身を貫かれたかのような衝撃を受けた。 (これが、あいつの演奏・・) 炎のように激しい、彼の気性を思わせるかのようなバッキンガムの演奏が終わっても、リチャードは暫く観客席から動くことができなかった。 「彼の演奏、素晴らしかったでしょう。」 「義姉さん・・」 「バッキンガムが貴女を呼んでいるわ。早く行っておあげなさい。」 リチャードがバッキンガムの楽屋へ行くと、彼はいきなりドアを閉めてリチャードの唇を塞いだ。 乾いた音が楽屋内に響いた。 ![]() にほんブログ村
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Apr 8, 2022 08:37:01 PM
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