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2017.10.05
全85件 (85件中 1-10件目) 連載小説:茨~Rose~姫
カテゴリ:連載小説:茨~Rose~姫
“仁錫(イソク)、今回の事はお父様とそのご友人の完全な誤解だったようです。人騒がせな人達だったわね。” 仁錫は椰娜(ユナ)の手紙を読みながら、思わず苦笑してしまった。 『何やら楽しそうね?何かあったの?』 『いいえ、こちらの話です。それよりも最近、義姉上のお姿を見ませんね?何かあったのですか?』 『ええ、あの子は婚約者とデートしているのよ。』 『そうですか・・それはおめでとうございます。カトリーヌ義姉上のことがありましたから、暫くそういったお話は来ないのかと思いましたよ。』 棘を含んだ言葉を仁錫がエリザベスに投げつけると、彼女はムッとした表情を浮かべた。 『まぁ、あなたもそろそろいい歳だし・・』 『申し訳ありませんが、わたしはまだ結婚など考えておりませんよ?まだ男として半人前ですからね。』 自分に縁談を持ちかけようとするエリザベスの言葉を途中で遮った仁錫は、さっと彼女の脇を通り過ぎた。 『全く、可愛げのない子だこと・・』 一人廊下に取り残されたエリザベスは、そう言うと歯噛みした。 『お帰りなさい、父上。ロシアでは色々とおありになりましたね。』 『あ、ああ・・』 その夜、ロシアから帰国したマッケンジー大尉を笑顔で迎えた仁錫は、そう言って彼にあの話を振ると、彼は笑顔を浮かべた。 『まぁ金を騙し取られなくてよかったですね。』 『イソク、お前には迷惑を掛けてしまったな。』 『そんなこと、お安いご用ですよ。それよりも、わたしの友人には会いましたか?』 『ああ、ユナさんにお会いしたが、聡明な人だな。ああいう人がイソクの奥さんになってくれるといいんだが。』 『それは無理でしょう。男同士で結婚など出来ませんから。』 仁錫の言葉を聞いたマッケンジー大尉がワイングラスを落としそうになったが、慌ててそれを掴んだ。 『ユナさんは、男なのか?』 『ええ。ですがとある事情により、貴族の令嬢として生きています。さてと、わたしはそろそろ出掛けなければなりませんから。』 『そうか・・』 『余り遅くには帰ってきませんので、ご心配なく。』 玄関ホールでさっと外套を羽織った仁錫は、門まで歩いて向かった。 『イソク様、どちらへ?』 『パーシバル・・まだ居たのか?今夜は妹の家に泊まるんじゃなかったのか?』 『そのつもりでしたが、あなたが最近不審な行動をなさっておられるので、それを探ろうとしているだけです。』 パーシバルは、そう言うと仁錫の腕を掴んだ。 『心配するな。ただ知人に会うだけだ。』 『そうですか。ではお気をつけていってらっしゃいませ。』 それ以上彼は仁錫を追及する事はなく、門の前で仁錫に頭を下げて彼を見送った。 だが彼の胸には、仁錫への不信が生まれ始めていた。 (最近イソク様は何をなさっておられるのだろう?) 仁錫が行き先を告げずに何処かへと外出して行く姿をまた見たパーシバルは、彼を尾行する事にした。
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『どうって・・わたしは、あなた方のお話を聞く為にご招待したのです。いけませんか?』 『いえ、ですが彼を同席させることは聞いておりませんでしたな。』 そう口火を切ったマッケンジー大尉は、そう言うとアルフレドを睨んだ。 『それは申し訳ございません。騙し討ちのようなことをしてしまって・・』 『全くです!失礼極まりない!』 マッケンジー大尉はそう言うと、腰を浮かして椅子から立ち上がろうとしていた。 『マッケンジー様、そうお怒りにならないでください。どうぞおかけになってください。』 『そうは言われましてもね・・』 『さぁ、どうぞ。今日はお二人の為に特別なワインを用意したのですよ。』 アレクセイはそう言ってマッケンジー大尉とアルフレドに微笑むと、指を鳴らした。 すると、ダイニングに入って来た数人のメイド達が料理を運んできた。 『お二人はお互いに騙されたとおっしゃっておられるようですが、いい機会なので双方の主張を聞きたいと思います。』 椰娜(ユナ)はメインディッシュのステーキに舌鼓を打ちながら、そう言ってマッケンジー大尉とアルフレドを見ると、彼らは互いに目を合わせようとはしなかった。 『では、わたしから説明いたしましょう。この男にいい投資話を持ち出され、わたしは全財産を彼に預けそうになりました。しかし後日調べてみると、その投資話は嘘だったんです!』 『おい、口を慎め!大体、貴様がそんな話にホイホイと乗ったのが悪いんだ!』 『何だと!』 『お二人とも、落ち着いて下さい。マッケンジー様、あなたはアルフレド様に大金を渡したりはなさっていないんですよね?』 『当たり前だ、こんなペテン師に渡す金などない!』 いきり立ち、椅子から乱暴に立ち上がろうとするアルフレドを、アレクセイが何とか押さえつけていた。 『それならば、何のトラブルも起きておりませんね。』 『それは、そうですが・・』 『実はわたくし、マッケンジー様のご子息から手紙を頂きましたの。父を助けて欲しいと。』 『イソクが?』 『ええ。大事なのかと思って、こうしてお二人を昼食にご招待してお話を伺いましたが、どうやら勘違いだったようですね?』 椰娜はそう言って二人を見ると、彼らはバツの悪そうな顔をして俯いた。 『ユナお嬢様、ワインは如何致しましょう?』 『そろそろ出して頂戴。あとデザートもお願いね。』 『かしこまりました。』 アレクセイはさっと椅子から立ち上がると、ダイニングから出て行った。 『どうやら今回の事は、互いに誤解していたようだ。あなたのお手を煩わせてしまって、申し訳ない。』 『いいえ。これで安心して仁錫(イソク)に手紙で報告できますわ。さぁ、ワインを頂きましょう?』 椰娜はそう言って二人に微笑んだ。 『またいらしてくださいね。』 『ええ。では、これで。』 『お気をつけてお帰り下さいませ。』 入って来たのとは対照的に、上機嫌な表情を浮かべて外へと出る二人を、椰娜は妓生(キーセン)時代に“武器”と称していた最高の笑顔を浮かべて彼らを送り出した。
最終更新日
2013.09.04 10:23:16
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『それは、一体どういう意味でしょうか?』 『言葉どおりです。あいつは助けが必要な時にわたしを裏切ったんです。』 アルフレドは苦痛に満ちた表情を浮かべながら椰娜(ユナ)を見た。 『おかしいですわね、マッケンジー様からはあなたにもう少しでお金を騙し取られそうになったとおっしゃっておられたのに。』 仁錫(イソク)からの手紙の内容をそのままアルフレドに話すと、彼は目をカッと見開いて声高にこう叫んだ。 『あいつは嘘吐きなんだ!俺はあいつに騙されただけだ!』 椰娜が周囲を見渡すと、何事かと貴族達がバルコニーの方をチラチラと見ていた。 ここで騒ぎを起こすのはまずいーそう思った椰娜は、彼を昼食に招待することにした。 『あなたのこと、もっと知りたいわ。ここでは会う時間が限られているでしょう?もしあなたのご都合が良ければ、昼食にご招待したいのだけれど・・』 『是非伺わせていただきます。』 アルフレドはそう言って椰娜に背を向け、バルコニーから去っていった。 “アルフレドという方と会いました。どうやら彼とあなたのお父様との意見が食い違っているようです。彼はあなたのお父様に騙されていると言っています。明日、彼を昼食に招待する事にしました。” 帰宅後、椰娜が仁錫(イソク)に向けた手紙をしたためていると、アレクセイがドアをノックして部屋に入って来た。 『それは、お友達へのお手紙ですか?』 『ええ。友達のお父様が、ある人にお金を騙し取られそうになったトラブルが起きたんですって。何でも、その方はお父様のご友人だったとかで・・』 『親しいご友人同士でも、金銭の話はしないものです。一体何のトラブルがあったのかわからない限り問題の解決は無理ですね。』 『ええ。明日昼食にその方をご招待したのだけれど、その友達のお父様もご招待したいのよ。でもどのホテルに泊まっていらっしゃれるのかわからないし・・』 『ご心配には及びませんよ、お嬢様。マッケンジー大尉にはわたくしから招待状をお送り致しました。』 『まぁ、いつの間に?』 『実は昨日、マッケンジー大尉にお会いして、今回の問題についてお話を伺いました。彼はその元友人の方に騙されていると主張しております。問題を解決するには、両者を会わせるしかないでしょう。』 『そうね。一方的にどちらかの言い分を聞いて誰が悪いかを決めつけるのはよくないことだもの。』 椰娜はそう言ってアレクセイに微笑むと、明日に備えて眠ることにした。 『お嬢様、おはようございます。』 『おはよう。あら、お義母様とお姉様は?』 『お二人は既にお出かけになられました。それよりも昼食の準備は全て整っておりますので、ご心配なく。』 『そう。全てあなたにお任せするわ。』 どうか上手くいきますように―椰娜はそう思いながらコーヒーを飲んだ。 そろそろ約束の時間だというのに、二人が一向に姿を現さないことに椰娜は不審を抱き始めた。 『何かあったのかしら?』 『事故か何かに遭われたのでしょうか?』 玄関ホールを椰娜が右往左往していると、ドアが開き、玄関ホールにマッケンジー大尉とアルフレドが不機嫌そうな表情を浮かべながら入って来た。 『ようこそいらっしゃいました。どうぞ、こちらですわ。』 『ユナさん、これは一体どういうことかね?』 椰娜が顔を上げると、二人の男達は剣呑な視線を椰娜に揃って向けていた。
最終更新日
2013.09.04 10:21:48
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“仁錫(イソク)、わたしは出来る限りの事をしてあなたのお父様をお助けしたいと思っております。だから、心配しないでね。” 便箋の上に羽根ペンで仁錫への手紙を書いた椰娜(ユナ)は、それを封筒に入れようとした。 しかしその前に、誰かがドアをノックした。 『どなた?』 『ユナお嬢様、お客様です。』 『お客様ですって?どなたかしら?』 『アルフレド様とおっしゃる方です。』 その名を聞いて、椰娜は無意識に身構えてしまった。 『今行くとお伝えして。』 『はい、わかりました。』 メイドが部屋から出て行くのを確かめた椰娜は、手紙を封筒の中に入れ、蜜蝋を捺(お)した。 『アレクセイ、何処?』 『お呼びでしょうか、ユナお嬢様。』 階下へと降りる途中、椰娜はアレクセイに仁錫への手紙を託した。 『これは友人宛の手紙なの、至急郵便局に行って出してきてくれない?』 『わかりました。それよりもお客様をお待たせしてはいけませんよ、お嬢様。』 『わかっているわ。』 数分後、椰娜が客間に現れると、そこには長身の男がソファに座ってクッキーを頬張っていた。 『お待たせしてしまって申し訳ありません。』 『こちらこそ急に押しかけてきてしまい、申し訳ありません。わたくしはこういう者です。』 男は椰娜の姿を見ると慌ててソファから立ち上がり、椰娜に名刺を渡した。 『金融コンサルタント・・聞き慣れない職業ですね。』 『まぁ、銀行家とは違いますがね。殆どの方はわたしのことを金貸しだと勘違いしていらっしゃるんですよ。』 『そうでしたの。でも名刺を拝見しただけでは、あなたのお仕事がわかりませんわ。わたくしにも解るように説明して下さるかしら?』 椰娜がそう言って自称金融コンサルタント・アルフレドを見ると、彼の顔がパァッと輝いた。 『わたしは企業や個人に儲かりそうな株を勧めているんですよ。』 アルフレドはそう言うとおもむろに鞄の中から一枚の書類を取り出した。 『これは?』 『実はもうすぐ、南米で鉄道事業が始まりましてね。絶対損はさせませんから、投資してはいかがです?』 胡散臭い話だと椰娜は思い、彼に笑顔を浮かべながらこう言った。 『申し訳ございません、わたくしそういったものに興味はありませんの。』 『これは失礼致しました。では、わたしはこれで。』 『お客様をお送りしなさい。』 メイドに連れられて客間から出て行くアルフレドの背中を見ながら、この程度のことで彼が簡単に諦めるわけがないだろうと椰娜はそうにらんでいた。 その予想が的中したのは、数日後のことだった。 父に連れられ、とある貴族の舞踏会に出席した椰娜は、そこでアルフレドと再会した。 彼は貴族達にあの胡散臭い話をしていた。 『あら、奇遇ですわね。』 『これはユナお嬢様、今宵はいつにも増してお美しい。』 『お世辞でも嬉しいわ。』 自分の手の甲にキスをするアルフレドの目的を聞きだすにはいいチャンスだと思った椰娜は、彼をバルコニーへと誘いだした。 『アルフレド様、マッケンジー大尉というお方をご存知?あなたの昔のご友人だと聞いたのだけれど・・』 『あいつはもう友人でも何でもありません。』 アルフレドはそう吐き捨てるような口調で言うと、月を眺めた。
最終更新日
2013.09.04 10:20:12
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カテゴリ:連載小説:茨~Rose~姫
社交界の集まりから、エリザベス達は除外されるようになった。 原因は、バロワ伯爵のお気に入りである仁錫(イソク)を蔑ろにしたことだった。 元々エリザベス達は自己中心的な性格で、自分達に逆らう者に対して盗みの濡れ衣を着せたりして自分達のコミュニティから除外したりといった陰湿な嫌がらせを繰り返していた。 その所為か、彼女達を嫌う者は多く、仁錫の件で彼女達を見限った者が多かったのである。 『まったく、どうかしているわ、あの人達!』 エリスはそう叫びながら、苛立ちを枕にぶつけた。 『お嬢様、落ち着いてくださいませ。』 『そんな事言われても落ち着いていられないわよ!』 『あの方達はきっとお嬢様のことを誤解しているんですわ。だから、気に病まれることは・・』 『うるさいわねぇ、あなたわたしに説教するなんて何様のつもりなの!?さっさと出て行ってよ!』 エリスに怒鳴られたメイドは、そそくさと部屋から出て行った。 『またあの人のヒステリーの発作が起きたんですね。あなたも苦労なさることだ。』 メイドが廊下を歩くと、仁錫はそう言って彼女を見た。 突然この家にやって来た彼は、いつの間にかエリザベス達よりも上の立場に立っていた。 『ええ、困ったものですわ。一体何が気に入らないのかわかりません。』 思わず本音をこぼしてしまった彼女が慌てて口を両手で押さえると、仁錫はクスクスと笑った。 『あんな人は放っておきなさい。』 『わかりました。ではこれで失礼致します。』 そう言って仁錫の前から立ち去ったメイドの顔は、少し赤くなっていた。 『イソク様、ロシアにいらっしゃる旦那様からお手紙が届きました。』 『父から?』 パーシバルから父の手紙を渡された仁錫が手紙の封を切ると、パーシバルは仁錫の前に腰を下ろした。 『何と書いてあったのですか?』 『父は帰りが遅くなるそうだ。何でも、向こうで厄介事に巻き込まれたとか。』 『厄介事とは?』 『何でも、昔縁を切った友人と再会したらしい。』 『それは厄介ですね。旦那様のご友人だった方は、アルフレド様でしょうか?』 『何者なんだ、そいつは?』 『旦那様と同じ寄宿学校に通っていらした方で、卒業後は金融業で成功いたしました。かなり阿漕な方法で金を稼いでいたようで、ご友人の多くが縁を切られたとか。』 『そうか。その男が何故今更父にすり寄って来たんだ?』 『それは手紙ではわかりませんね。旦那様にお会いしたいのですが、何せロシアまで行くのは骨が折れますからね。』 『そうだな・・』 父の身に一体何があったのか仁錫は直接彼に会って確かめたかったが、多忙の身でそれは無理だった。 父に会う代わりに、彼は椰娜(ユナ)にある手紙を書いた。 “親愛なる姫様、急にお手紙を出す無礼をお許しください。実はわたしの父、マッケンジー大尉がロシアで厄介事に巻き込まれてしまいました。どうやら父はアルフレドという男と再会して何かがあったようです。そこで姫様にお願いがあります。アルフレドの正体を探って下さい。無理なお願いだということはわかっております。 仁錫より” 仁錫からの手紙を読んだ椰娜は、すぐさま彼に返事を書き始めた。
最終更新日
2013.09.04 10:19:20
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翌日、仁錫(イソク)はその足で「ニューディール日報」の本社ビルを訪れた。 『あなたが、イソクさんですね?初めまして、社長のリスターと申します。』 そう言って仁錫を出迎えたニューディール日報社長・アレックス=リスターは笑顔を浮かべた。 『お忙しい中、わざわたしの為にお時間を割いていただきありがとうございます。』 『いえいえ、こちらこそ。あなたのことをいつかは取材したいと思っていたんですよ。さぁ、こちらへお掛け下さい。コーヒーで宜しいですか?』 『コーヒー、ですか?』 『ええ。最近アメリカで流行している飲み物なんですよ。』 リスター氏はそう言って奥のオフィスへと引っ込むと、ティーカップに黒褐色の液体を淹れた後、それを仁錫の前に置いた。 『どうぞ。』 『いただきます。』 仁錫はその液体を訝しげに見つめた後、一口飲んだ。 その瞬間、口内に苦味が広がった。 『これは・・』 『わたしもはじめはこの苦さに慣れませんでしたが、角砂糖を入れれば大丈夫ですよ。』 『そうですか。』 仁錫はコーヒーに角砂糖を入れて飲むと、苦さが少し和らいだ。 『それだけでは口寂しいでしょうから、これもどうぞ。』 そう言ってリスター氏が紙袋から取り出したのは、焼き立てのパンだった。 『不思議な形をしていますね。中央に穴が開いています。』 『ベーグルといって、元々はユダヤ人が食べていたようですよ。それがアメリカに伝わって広まったとか。』 『色々と珍しい物があるのですね、アメリカには。』 『ええ。それよりも、わたしにお話とはなんでしょう?』 『あなたは、ロマの問題を積極的に取り上げているとお聞き致しました。』 仁錫の言葉を聞いたリスター氏の顔から、笑顔が消えた。 『確かにわたしは、ロマの問題を取り上げて居ます。一言にいっても、ロマの雇用や教育、結婚などで様々な差別を彼らは受けている。数週間前、イーストエンドでロマの少年が殺されましたが、スコットランド=ヤードは動こうとはしなかった。』 『それは、被害者がロマだからですか?』 『ええ。スコットランド=ヤードはロマを一方的に犯罪者扱いし、治安の悪化は彼らの所為であると言う乱暴な意見を言うものまでいる。』 『そうですか。それで、犯人は見つかったのですか?』 『いいえ。捜査を打ち切られたので、事件は迷宮入りになりました。』 リスター氏は溜息を吐きながら、今朝発売されたばかりの新聞を仁錫に渡した。 その一面には、ブタペストでスラブ系住民達による暴動を取り上げた記事が載っていた。 『ブタペストでは、ロマを排斥する運動が我が国よりも激しい。その上、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下によるスラブ系の迫害も起きている。この世の中は不条理に溢れている・・そう思いませんか?』 『ええ。』 数時間後、仁錫がニューディール日報のビルから出て行くのを、一人の男が木陰から見ていた。 『ただいま戻りました。』 『最近、帰りが遅いのね。』 『ええ。奥様、今夜は婦人会の集まりではなかったのですか?』 『急に都合が悪くなったと、バーンズ夫人から電報が届いたのよ。』 『そうですか、それは残念でしたね。バーンズ夫人はあなたと懇意にしていらっしゃる方でしたのに。』 仁錫は嫌味をエリザベスに言うと、彼女は不快そうに顔を顰(しか)めた。
最終更新日
2013.09.04 10:17:50
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カテゴリ:連載小説:茨~Rose~姫
『少し、酒を飲みながら俺の昔話に付き合って下さいよ。』 『ええ・・』 緊張が解けた仁錫(イソク)は、そう言うと椅子に腰を下ろした。 『俺ぁ、ロマとの混血でねぇ。父親はハンガリーだかルーマニアだかの貴族の男で、母親はその愛人だったロマの女さ。それで、二人の間に出来ちまったのが俺だ。』 『はぁ・・』 仁錫は、一体彼が何を言いたいのかがわからずにいた。 『母親は俺が産まれた後、親父の本妻に無一文同然で追い出された。まぁ、ロマの使用人に亭主を寝取られたって社交界に知られたら屈辱だもんな。それに、その本妻はハプスブルク家かなんかの遠縁に当たる娘だったらしいから、親父も彼女には頭が上がらなかったんじゃねぇかと思ってんだよ。』 『ジャック様、少しお話宜しいでしょうか?』 『何だい?』 『あの・・わたしに一体何をおっしゃりたいのでしょうか?』 『あんたが朝鮮人の母親を持つ混血児だってきいてね。あんたがどんな境遇で育ったのか興味があるから、その前に俺が自分の境遇を話したってことだ。』 『そうですか・・先日父の秘書が、ロマの事を少し話してくれました。』 『“犯罪者集団”だの何だのと言っていたのでしょう、その秘書は。言っておきますが、それは大きな誤解です。彼らは自ら喜んで犯罪に手を染めているわけではない、貧困ゆえにそうせざるおえなくなったのです。』 ジャックはそこで言葉を切ると、窓のカーテンを開けて工場から立ち上る煙突を眺めた。 『この国で産業革命が起きて、我が国は最強国となった。アフリカ・アジア諸国を植民地とし、その国の利益を我が国に還元させている。しかしその実、革命の利益で潤っているのは一部の資産家と貴族だけだ。大半の者は劣悪な環境下で長時間労働に耐え、低賃金で家族を養っている。その中でさえ、ロマは弾かれているのです。』 ジャックは窓から視線を外すと、ゆっくりと仁錫の方に向き直った。 『あなたは、この世界を変えてみたいと思いませんか?不平等かつ理不尽が罷り通る世の中を。』 彼の言葉を聞き、仁錫の脳裏に過去の辛い出来事が浮かんできた。 もう思い出したくもない過去を振り払うかのように、仁錫は頭を振った。 『ええ。わたしも色々と辛い思いをしましたから。』 『そうか。こっちだってロマに対する差別は激しいが、あんたの母国ではこっちよりも激しい差別に遭ったんだろう?』 『朝鮮人以外は人間ではない、と面と向かって言われたことがありました。何も悪い事はしていないというのに、一方的に責められて何度悔しかった思いをしたことか・・』 悔しそうに唇を噛んだ仁錫の肩を、ジャックは優しく叩いた。 『俺も色々と差別に遭ってきたから、あんたの気持ちは良くわかる。血筋だけで全てを手に出来る人間が甘い汁を啜る世の中なんざ壊してやろうと思わねぇのか?』 『どうやって変えろというのです?』 『いいか、フランス革命を思い出してみろ。革命を起こして国王達を処刑したのは、貴族の奴らに虐げられてきた民衆どもだ。一人じゃ何も出来ないが、仲間が集まればそれはやがて大きな力になるんだ。』 『大きな力に・・』 ジャックの言葉に、仁錫は大きく揺さ振られた。 (わたしも、この世の中を変えられることができるのだろうか?) 差し出されたジャックの手を、仁錫は取った。 その瞬間、何かが変わったような気がした。
最終更新日
2013.09.04 10:16:43
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扉を開けて仁錫(イソク)が中に入ると、そこには喧騒と音楽に満ちた空間が広がっていた。 ロマの男女が音楽に合わせて激しいダンスをし、その周りを彼らの仲間が囲んで酒を飲み交わしていた。 今まで貴族の社交場にしか顔を出さなかった仁錫は、この異国情緒あふれる酒場に一種のカル チャーショックを覚えたのだった。 『来てくれたのかい?』 『ええ。あなたからのお誘いをお断りしては失礼だと思いましたので。』 ルーマニア産のワインを堪能しつつも、ジャックは椅子から立ち上がって仁錫を迎えた。 『それは?』 『ああ、ルーマニアのワインだ。少し飲むか?』 『ではお言葉に甘えて頂きます。』 ジャックからワインを受け取った仁錫は、それを一口飲んだ。 何だか鉄錆のような味がした。 『どうです?』 『このワインが作られた樽(たる)は熟成されたものでしょうか?何だか鉄錆のような味がいたしますね。』 ジャックは仁錫の言葉を聞くなり、大声で笑った。 『どうされましたか?』 『いえ・・思ったことをそのままはっきりと言うお方だなと思いまして。社交界の連中は、嫌な相手を前にしても笑顔を浮かべて世辞を言うのが当たり前ですから。』 『わたしは嫌いな相手に媚を売るほど、人間が出来ておりませんもので。』 仁錫の蒼い瞳を覗きこみながら、ジャックは彼に興味を持ち始めた。 彼の姉・エリスから仁錫を社交界から追放するようにと命じられたが、どうやら彼とは気が合いそうだ。 『さてと、あなたともっと話がしたい。奥の方に部屋がありますので、そちらでお話を。ここは騒がしい上に人目があって落ち着かないでしょう?』 『そうですね。』 酒を飲ませジャックが自分を油断させようとしていることを見抜いた仁錫は、その手には乗るまいと敢えて彼の誘いに乗った。 奥の部屋に入った仁錫は、暫くドアの前に立っていた。 『どうなさったのですか?』 『あなたは一体、何を企んでおいでですか?このような人気のない場所にわたしを誘い出したりする理由はただひとつ・・わたしを社交界から追い出そうと画策している義姉が絡んでいるのでしょう?』 『ほう、ご彗眼なことで。俺は嘘を吐けない性質(たち)でねぇ、あの女の顔を見るのもうんざりしていたので、ここで全てお話いたしますよ。』 ジャックは大仰な溜息を吐くと、椅子の上に腰を下ろした。 『あんたの姉さんは、あんたがバロワの爺さんに気に入られたことに相当腹を立てているんだ。その上、妹の不祥事があっただろう?』 『あの人の事は自業自得なのです。賭博に溺れ、身を滅ぼしただけのこと。』 『この世の誰もがあなたみたいに真っ直ぐな人間だったら、ちょっとは良い世の中になったもんかなぁ?』 ジャックはそう呟くと、仁錫にゆっくりと近づいた。 仁錫は咄嗟に身構えると、護身用の銃を外套の中で握った。 『大丈夫、あんたに手出しはしませんよ。あんたとは気が合いそうですしね。』 ジャックはサイドテーブルに置いてあったワインのボトルを手に取ると、それを一口飲んだ。
最終更新日
2013.09.04 10:15:23
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翌日、園遊会で仁錫(イソク)は、パーシバルが話す“吸血鬼”と会った。 彼は癖のある黒髪をなびかせながら、悠然とした足取りで仁錫の前に現れた。 『ふぅん、君が“氷の貴公子”様か?なるほど、冷たそうな顔をしているな。』 『お褒めの言葉、ありがたく頂戴いたします。あなたは確か、“吸血鬼”と呼ばれているお方ですね?初めてお会いした時、トランシルヴァニアの方からいらしたのかと思いました。』 『こりゃどうも。結構言うのですねぇ。』 ジャックはじろりと紫の瞳で仁錫を見た後笑った。 『これから宜しくお願い致しますね。』 『こちらこそ。』 ジャックに差しだされた手を、仁錫は力強く握った。 『ジャック様、こちらにいらっしゃられたのですか。』 仁錫がシャンパンを飲んでいると、ジャックの元に一人の男が現れた。 『アリョーシャじゃねぇか。ま、楽しんでけよ。』 ジャックはそう言うと、仁錫の方を見た。 『ちょっと失礼。』 彼は仁錫の方へと歩き出し、彼に向かって微笑みかけた。 『何でしょうか?』 『そんなにツンケンしていたら、誰も近寄って来ないぜ?』 『余計なお世話です。何のご用でしょうか?』 『あなたに、俺の友人を紹介するのを忘れてしまいましてね。アリョーシャ、来い!』 慌てて先程の男が仁錫の方へと駆けて来た。 『初めまして、わたしはアリョーシャと申します。』 『初めまして。』 アリョーシャはそう言うと、仁錫の前に手を差し出した。 『アリョーシャはロマの音楽家なんだぜ。』 『ロマ?』 『ああ、イソクさんはまだこちらに来て日が浅いんでしたよね?彼らは素晴らしい民族ですよ。一度お会いになられるといい。』 『そうですか。』 『それでは、俺達はこれで。』 アリョーシャとジャックの姿が見えなくなった途端、一人の貴婦人が仁錫の方へと駆け寄ってきた。 『あなた、あのロマとは親しいの?』 『いいえ、さきほど知り合ったばかりですが、それが何か?』 『ロマと親しくしてはなりませんよ。あいつらはならず者で、人の物を平気で盗む輩なんですからね。』 彼女は吐き捨てるかのような口調でそう言うと、仁錫の前から足早に立ち去っていった。 『パーシバル、ロマとは何だ?先程のご婦人の話を聞く限り、何だか疎まれているようだが・・』 『ロマは、余り歓迎されていない存在なのですよ。』 パーシバルはそう言うと、仁錫を見た。 『ある貴族の方は、ロマを犯罪者集団と憚(はばか)らずにおっしゃっております。それほど、ロマ絡みの犯罪が多いのですよ。』 『そうか・・』 ロマが本当に、“犯罪者集団”なのかどうか仁錫は知りたくなり、ジャックの友人・アリョーシャの元を訪ねることにした。 『来てくださったんですか。さぁ、どうぞ。』
最終更新日
2013.09.04 10:14:05
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仁錫(イソク)は社交界で、“氷の貴公子”と呼ばれていることに気づいたのは、パーシバルとともにある貴族の舞踏会に出席した時だった。 『君が、噂の氷の貴公子だね?』 『氷の貴公子とは?』 『おや、君は自分がどう呼ばれているのか知らないのかね?』 『申し訳ありません、自分の事に疎いもので。』 『これからは、自分がどう見られているのか気をつけなければね。』 『はい・・』 舞踏会の後、パーシバルに人気のない場所へと連れて行かれた仁錫は、彼に溜息を吐かれた。 『どうしたんですか?』 『イソク様、あなたは無意識に周囲に敵を作っているのではないですか?』 『それは一体・・』 『さきほどの方もおっしゃられた通り、あなたはご自分がどう見られているのかおわかりになられていないようだ。』 パーシバルは仁錫の肩を叩くと、中庭から去っていった。 (一体どういう意味なんだ?) 小首を傾げながら、仁錫は一晩中、パーシバルの言葉の意味を考えていた。 『おはようございます、イソク様。』 『おはよう。』 『これが本日のご予定です。』 パーシバルがそう言って仁錫に渡したのは、予定表が書かれた紙だった。 そこには、分刻みのスケジュールがびっしりと書き込まれていた。 『こんなに?』 『社交嫌いで気難しいバロワ伯爵の御心を射止めたあなたのお姿をご覧になりたい方が沢山いらっしゃるのですよ。これから休む暇はありませんね。』 パーシバルはそう言って、仁錫にニッコリと笑った。 彼の言う通り、この一週間仁錫は休む暇がなかった。 朝から分刻みのスケジュールに追われ、夜は夜で舞踏会や音楽会などで忙しい。 碌に睡眠も取れぬ日々の中、仁錫はついに倒れてしまった。 『過労ですね。』 『これ位でお倒れになるとは情けない。』 『うるさい、黙れ。』 ベッドから起き上がって仁錫はパーシバルを睨み付けた。 『社交界は、大変恐ろしい所ですよ。善人そうに振る舞っているお方がいつ牙を剥かれるか、覚悟した方がよろしいでしょう。』 『牙を剥くとは大袈裟な。吸血鬼でもあるまいし。』 『吸血鬼、ねぇ・・そう言えば、そう呼ばれて居らっしゃる方がおりますよ。』 パーシバルは眼鏡を拭きながら、仁錫を見た。 『ねぇ、次はいつ来てくれるの?』 『そうだなぁ、お前がもっと愛想よくしてくれたらまた来てやるよ。』 『ああ~ん、意地悪ぅ。』 イーストエンドの売春宿で、一人の娼婦にしなだれかかられながらある男がワインを飲んでいた。 『あんた、このワインばっかり飲むのね。』 『好きなんだよ、ルーマニア産のワインが。』 男の名はジャック―通称“社交界の吸血鬼”と呼ばれている。 『ねぇ、最近社交界では“氷の貴公子”が幅を利かせているようよ。』 『“氷の貴公子”、ねぇ・・一度会ってみたいもんだ。その前に、お前ともう一度楽しむことにしよう。』 ジャックは娼婦をベッドに押し倒すと、その豊満な肉体を貪(むさぼ)り始めた。
最終更新日
2013.09.04 10:12:53
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