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JEWEL

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完結済小説:金の鐘を鳴らして

2013年01月20日
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『止めろ!』

正義とクラリッサの間に、中川が割って入ってきた。
彼の鮮血が正義の頬に飛んだ。

「中川さん、しっかりしてください!」
「正義、生きろ。」
首を切られた中川は、息も絶え絶えにそう言うと正義を見た。
「必ず、朝敵の汚名を晴らしてくれ・・」
「わかりました。」
「頼むぞ・・」
中川はそっと正義の手を握ると、数回痙攣した後果てた。
(中川さん・・俺が必ずや、朝敵の汚名を晴らしてさしあげます。だから・・そのときまで俺のことを見守ってください。)
『マサ、火事よ!』
奥の方から火薬のような臭いがしたかと思うと、厨房の扉の下から黒煙がまるで蛇のようにスルスルと出てきた。
『この家はわたくしにとって苦痛しか与えなかった!お前を手に入れられない以上、燃やしてやる!』
そう言って目を見開いたクラリッサの顔は、狂気に満ちていた。
『そこを退け!』
正義は自分の前に立ち塞がるクラリッサの頬を殴りつけると、彼女は階段から転がり落ちてピクリとも動かなくなった。
『逃げるぞ、アリエル!』
『ええ。』
中川の遺体を背に担ぐと、正義はアリエルとともに炎に包まれるアルネルン子爵邸から脱出した。
この火事によって、近隣の民家5軒が全焼した。
正義は命からがら逃げ出したものの、左足に火傷を負っていた。
『マサ、気分はどう?』
『いいよ。』
入院先の病室で、アリエルは正義の左足に巻かれた包帯を見て俯いた。
『ごめんなさい、わたしの所為で・・』
『何を言うんだ、アリエル。君の所為じゃないよ。それよりも、中川さんの遺体はどうした?』
『彼の遺体なら、荼毘に付されたわ。』
アリエルはそう言うと、白い布に包まれた中川の遺骨を正義に見せた。
『そうか。生きて中川さんと帰ることはできなかったが、魂は共に帰れるな。』
『ねぇマサ、ひとつお願いを聞いてもらってもいいかしら?』
『ああ、何なりと。』
『あのね・・わたしとずっと一緒に居てくれる?』
アリエルからプロポーズされ、正義は頬を赤く染め、返答に困った。
『・・ああ、わかったよ。』
退院後、正義はアリエルの養父母に彼女と結婚することを話すと、彼らは正義のことを家族の一員として歓迎してくれた。
『マサ、結婚おめでとう。』
『ありがとう、ジュリアン。』
新緑の季節に行われた二人の結婚式には、ジュリアンをはじめ、大学の友人達や教授達、そしてアリスが出席してくれた。
『おめでとう、二人とも。あなた達はいつかこうなるとわかっていたわ。』
鮮やかな緑のドレスを纏ったアリスは、そう言って新郎新婦に微笑んだ。
『ありがとうございます、アリス様。』
『アリエル、お幸せにね。じゃぁわたしはこれで失礼するわ。』

アリスはそう言って彼らに背を向けると、表で待たせていた馬車へと乗り込んだ。

数日後、正義とアリエルは港でアリエルの両親に別れを告げ、船へと乗り込んだ。

『やっといけるのね、あなたの故郷に。』
『ああ。』

正義はそう言うと、新妻の肩を抱いた。

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最終更新日  2013年01月29日 22時21分47秒
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1928(昭和3)年、9月。

旧会津藩主・松平容保の孫娘・勢津子と、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)との婚儀が行われた。

戊辰の戦に於いて、“朝敵”の汚名を着せられていた旧会津藩士達にとってこの出来事は、全身が震えるかのような感動的な出来事であった。
その婚儀の様子を報じた新聞記事を読みながら、正義もまた、感動に打ち震えていた。
『あなた、どうしたの?』
『やっと、朝敵の汚名を返上できた・・』
『まあ、良かったわね。』
アリエルはそう言うと、夫の背中越しに新聞記事を覗き込んだ。
『お仕事はもうよろしいの?』
アリエルは正義にそう話しかけると、彼は眼鏡を外して目頭を押さえた。
『ああ。』
『生徒の皆さんには、あなたは体調を崩して休んでいると言っておきますね。』
『余計なことを言うな。』
『はい、わかりました。じゃぁ奥でスコーン焼いてきますから、お茶にしましょうか。』
アリエルはそう言うと、キッチンへと向かった。
正義は溜息を吐くと、朝刊を折り畳んで椅子から立ち上がった。
アリエルと結婚してから50年、正義は帰国してすぐ京都の大学で英文学の教授として教鞭を取った。
稼ぎは少なかったが、アリエルは不平不満を言わずに自分を支えてくれた。
二人の間には一男三女の子宝に恵まれたが、既に子ども達は結婚して独立し、今は夫婦二人暮らしだ。
『手伝おうか?』
『まぁお珍しい、あなたがお台所に行かれるなんて。』
『そんな事を俺に言うな。これからの時代、男女関係なく家事が出来ないと結婚できなくなることがあるさ。』
『だから、今のうちに家事を?さすが、わたしの旦那様ですね。』
アリエルは嬉しそうに隣でスープを作っている正義を見ると、笑った。
「先生、来ました~!」
「おう、来たか!」
正義は弾かれたようにキッチンからリビングへと出ると、そこには数人の学生達が息を弾ませながら彼を待っていた。
『いらっしゃい。』
『奥様、お邪魔しております。』
『今スコーンを焼いているところなの。皆さんもよろしければどうぞ。』
『ありがとうございます!』
「お前ら、調子に乗りよって。余り妻をこき使うな。」
「いいじゃないですか、奥様が作るスコーンは絶品なんですから。」
「まぁ、それはそうだがな。」
正義は照れ臭そうな顔をしながら、学生たちとダイニングへと向かった。
テーブルには、6人分の紅茶がグラスに入れて置いてあった。
『まだまだ暑い日々が続きますからね。さぁどうぞ。』
『ありがとうございます。』
正義達の前に、焼きたてのスコーンが置かれた。
「あの、先生はどのようにして奥様とお知り合いになられたのですか?」
「話せば長いな。まぁ今日は仕事の予定はないし、スコーンでも食べながら話すとしよう。」

正義は一口大にスコーンを齧ると、学生達に妻との馴れ初めを話し始めた。


―FIN―

あとがき

『金の鐘を鳴らして』、これで完結です。
幸せなアリエルと正義さんの生活をラストに書いてみました。

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最終更新日  2013年01月20日 21時54分34秒
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『あなたは?』
『あなたの母親だと言っているじゃないの。どうして信じてくれないの?』

クラリッサ=アルンネルンはそう言うと、アリエルの腕を掴んだ。

『やめて、離して下さい!』
アリエルはクラリッサの拘束から逃れるかのように身を捩(よじ)ったが、クラリッサは彼女を無理矢理馬車に乗せようとしていた。
『お待ちください。突然あなたが母親と名乗り出ても、アリエルは混乱するだけです。お願いですから、落ち着いて三人で話す場所へ行きませんか?』
『そうね。ではお二人とも、お乗りなさい。』
『わかりました。アリエル、行こう。』
正義はそう言ってアリエルに手を差し出したが、彼女はそれを握ろうとはしなかった。
『アリエル?』
『わたし、行きたくない・・』
アリエルの顔は、少し恐怖に引き攣(つ)っていた。
『大丈夫だ、俺がついてる。』
『そう。マサが言うなら、一緒に行くわ。』
アリエルはそう言うと、正義の手を握り、馬車へと共に乗り込んでいった。
二人が大きな邸の前に着いたのは、貧民街の中にある病院を後にして30分後のことだった。
『さあ、あちらで暫く待っていてね。お友達からパリの美味しいマカロンを頂いたのよ。』
客間へと二人を通した後、そう言ったクラリッサの顔は何処か嬉しそうだった。
『ねぇ、わたし本当にあのおばさんの子どもなの?』
『わからないよ。アリエルは、彼女が言ったことが真実だと思うの?』
『いいえ。わたしは貴族の娘なんかじゃない、ロンドンで仕立て屋を営む、アーリア家の娘よ!』

そう言ったアリエルの瞳は、まっすぐだった。

『え、ここでは暮らせない?どうして?』
『わたしはあなたの娘ではありません。』
『あなたがそういうのはわかるわ。でも、実の母子として今からでも一緒に・・』
『突然やってきて、あなたのことを母親だと言われてもわかりませんし、わかりません。それに、わたしの両親は、今までわたしを育ててくれたアーリア夫妻です。』
『あんな貧乏人の何処がいいって言うの!?どうして誰もわたくしを認めてくれないの!』
クラリッサは突然ヒステリックに叫んだ後、紅茶を入ったカップをテーブルから叩き落した。
『帰りましょう、マサ。』
『では、これで失礼致します。』
正義の手を掴み、アリエルは床を拳で叩きつけながら嗚咽を漏らすクラリッサを冷たい目で睨んだ後、そそくさと客間から出て行った。
『無駄足だったわね。さっさと日が暮れる前に帰りましょう。』
『ああ、わかった。』
正義とともにアリエルが玄関ホールへと向かおうとした時、二階の部屋から誰かが出てくる人影の気配がした。
「正義?」
「中川さん、どうしてここに?」
「それは・・おい正義、危ない!」
中川の鋭い声に、正義が振り向くと、そこにはクラリッサが今まさに自分にナイフを突き立てようとしているところだった。
正義はとっさに身を捩り、クラリッサに足払いを食らわせた。
『娘は誰にも渡さない!』
『狂ってる。あなたは自分のことしか考えていない!』
『うるさい、黙れ!』

正義の言葉に激昂したクラリッサは、彼に向かってナイフを振り上げた。

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最終更新日  2013年01月20日 17時05分42秒
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『・・貴様、また来たのか?』

ドアの近くに人の気配を感じた中川は、またあの女が来たことを知り顔をしかめた。
『ねぇ、こんな不潔な所よりも、わたくしの家で暮らさないこと?』
『お断りだ。』
中川はそう言うと、枕を投げた。
『あら、元気だこと。その様子じゃ、すぐに退院できそうね。』
その女性は、中川の頬を撫でた。
『あなたはわたしに恩がある筈よ。あの時、わたしが助けなかったらあなたは死んでいたのよ。』
女性は勝ち誇ったような笑みを浮かべると、中川は彼女にそっぽを向いた。
『今日は帰るわ。いい返事を待っているわね。』
ドアが閉まった後、中川は深い溜息を吐いた。

(全く、嫌な女だ・・)

中川はあの女性―アルネルン子爵夫人と出会ったのは、テムズ川が凍結した冬の夜のことだった。

渡英したものの、商売の共同経営者に逃げられ、無一文となったところに馬車が突っ込んできた。
その馬車には、劇場帰りのアルンネルン子爵夫人が乗っていたのだ。

『あなた、大丈夫?』

そう言って自分を助け起こしてくれた彼女はあの時天使に見えたが、今になって思えばあれも作戦のうちだと考えれば、納得がいった。
あの女に魅入られたときから、中川の終わりのない悪夢は始まったのだ。

『わたしと一緒に暮らさない?』

彼女がそう言い出し始めたのは、去年の夏ごろだった。
彼女がそう言い出した理由は、子爵夫人が産み、生き別れた娘・アリエルを引き取ろうとしていることだとわかっていた。
『あの子には父親が必要なのよ。だから、あなたが父親になってちょうだい。』
一方的に理不尽な要求ばかり押し付けてくる彼女のことを、中川は最近辟易していた。
視力さえ戻れば、あの女から逃げられるのにーそう思いながらもままならない己の身体に、中川は焦りを感じ始めていた。
「中川さん。」
数日後、正義はアリエルとともに中川とともに彼の病室へと向かうと、そこには何もなかった。
『すいません、この部屋に居た患者さんは何処へ?』
『ああ、彼なら今朝早く退院されましたよ。』
『退院?』
看護師の言葉を聞いた正義は、アリエルと顔を見合わせた。
『あなたのご友人、一体何処へ消えてしまったのかしら?』
『さぁ、見当もつかん。盲目の中川さんが一人で勝手に退院するわけがないし・・』
正義がアリエルと中川の退院についてそう話しながら病院の外から出ると、突然彼らの前に一台の馬車が停まった。
『アリエル、迎えに来たわよ。』
『あなたは?』
『わたしはあなたを産んだ、実の母親よ。さぁ、お母様と一緒にお家に帰りましょう?』

そう言った女性の目は、全く笑っていなかった。

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最終更新日  2013年01月20日 16時02分33秒
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2013年01月18日

「中川殿、その目は?」
「ああ、これか?これは戦で敵の砲弾が目に当たってな。命拾いはしたが光を失ってしまった。」
「そうですか・・てっきり死んだものだと思っておりましたから、こうして再び会えるとは・・」
正義はそう言って少し涙ぐみながら、中川の手を握った。
「わたしも、そなたに再び会えるとは思ってもみなかった。詳しいことは中で話そう。」
「はい。」
中川の病室に入ると、そこは花すらも飾られていない殺風景な部屋だった。
「こんなところで、中川殿は暮らしておられるのですか?」
「ああ。さっき言ったように、わたしは光を失ってしまったからな。耳と手足はついておるから、何があっても生きてゆける。」
中川はそう言ってベッドの端に腰を下ろすと、何かを手探りで探し始めた。
「どうしました?」
「これを、お前に渡そうと思ってな。」
中川はシーツの下から取り出したものは、朱塗りの櫛だった。
「中川殿、俺は女子ではありませんよ?」
「そうであったな。だがお前に槍の稽古をつけていた頃、お前の姉と並んで槍を振るっている時、女子かと思うほど華奢な体つきをしていた。今はさぞや立派な青年に成長しているだろうな。」
そうしみじみとした口調で話す中川の姿を見た正義は、今にも泣き出しそうになったが、それをぐっと堪えた。

彼が失明したことを嘆いても、憐れんでもいけない。

それは彼がもっとも嫌うことだと、正義はわかっていた。
彼はいつだって誇り高い侍だ。
目が見えないことで、中川が特別扱いを受けることを一番嫌う性格だということを幼い頃から家族ぐるみで付き合っていた正義は知っていた。
「正義、勉強はどうだ?捗っておるか?」
「はい。この前の試験で全科目首席となりました。」
「それはようやった。あの世でお前の姉上と兄上は喜んでおられることだろう。」
「ええ。」
それから、正義は中川と昔話に花を咲かせながら、互いの近況を報告しあった。
「では、また来ます。」
「ああ、いつでも来い。待っておるぞ。」
病院を出た正義が寒さに身を震わせながら人気のない通りを歩いていると、向こうから貧困層が住むこの通りには似つかわしくない四頭立ての馬車がやって来た。
正義は脇に立つと、馬車の窓から見覚えのある女性が顔を出していることに気づいた。

(あれは・・)

馬車はやがて、中川が入院している病院の前に停まった。

(一体あの方は、あの病院に何の用なのだろう?)

正義は首を傾げながら、馬車の中からあの女性が出てくるところを見た後、通りを足早に立ち去った。

『あの方は?』
『今はお休みになられております。』
『そう・・』

馬車から降りた一人の女性は、看護婦の言葉を聞くと不安定な階段を慣れた様子で上り、中川の病室へと入った。

『良く寝ているわ・・』

彼女はうっとりとした表情を浮かべながらそう言うと、そっと中川の頬を撫でた。

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最終更新日  2013年01月18日 21時05分20秒
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「それで?何故今更になって俺に会いに来たのですか、父上?」
「・・お前が会津で辛酸を舐めたことは知っておる。」
「そうですか。戦火に包まれた故郷を捨てた人間には到底わからぬでしょうね。」
正義の言葉は棘を含んでいた。
彼は父親を睨みつけながら、椅子の上に腰を下ろした。
「それは、事情があったからで・・」
「いいわけなど聞きたくありません!あなたは会津から、俺達家族の元から逃げた!あなたは卑怯者だ!」
正義に罵倒されても、正成は何も言わずに黙っていた。
「確かに、わたしは卑怯者だ。今更のこのことお前の前に顔を出せる立場ではないことくらい、わかっている。だがこうしてお前の前に顔を出したのは、頼みがあるからだ。」
「頼み、ですか?」
「ああ。お前、中川殿を覚えておるか?」
「中川殿、ですか?」
正義の脳裏に、武芸師範であった中川道義の顔が浮かんだ。
彼は確か、籠城戦で討ち死にした筈ではなかったか。
「中川殿は戊辰の戦で亡くなられた筈。何故、中川殿の話が?」
「中川殿は死んではおらぬ。生き延びていたのだ。」
「何と・・」
正義は中川が生きていることを知り、絶句した。
「ここに、中川殿が居る。」
正成はそう言うと、一枚の紙切れを正義に渡した。
「今度暇がある時にここに書かれている住所へ行くがいい。」
「そうですか。わかりました。」
「これで、失礼する。」

ほんの数分間の、短い父子の会話はあっけなく終わった。

(確か、ここだな・・)

数日後、正成から渡されたメモを頼りに、正義はそこに書かれている住所がある路地へと入った。
辛うじて人一人が通れる程の広さがある道を歩くと、急に広場のようなところに出た。
中央には噴水があり、その向こうには近くにある工場の煙によって黒くなっている煉瓦造りの建物が見えた。
そこには“ヴィトラム病院”と、銅版に刻まれてあった。
『すいません・・』
『なんだい?』
病院内は狭く、冬だというのに熱気がこもって暑苦しかったし、その上動物園のように耳を劈くほどの騒音が絶えず響いていた。
正義は看護婦の詰め所で大声を上げていると、関取のような看護婦が巨体を揺らしながら不機嫌そうに正義を見た。
『この病院に、ナカガワっていう人が居ると聞いたのですけれど・・』
『ああ、あの人かい?あっちの階段を上がってすぐのところに居るからね。』
看護婦はそう言うと、再び巨体を揺らしながら奥へと消えていった。
数分後、正義は赤茶けて錆びた階段の手摺りを掴みながら、二階へと上がった。
一階もひどい有様だったが、ここは一階以上に酷いもので、病室の前には患者の排泄物らしき悪臭がひっきりなしに漂ってきた。
正義はなるべく息をしないように努めながら、奥の病室の前へと立った。
「中川殿?」
ドアをノックしたが、中から返事がなかった。
こんな酷い場所には中川はおらず、父は嘘を吐いたのではないかと正義がそう思い始めたとき、軋んだ音とともにドアが開いた。
「その声は・・正義か?」

耳元に懐かしい声が聞こえたかと思うと、両目に包帯を巻いた男が正義の前に現れた。
彼こそが、正義がかつて尊敬してやまなかった旧会津藩武芸師範・中川道義だった。

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最終更新日  2013年01月18日 20時34分14秒
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アリスがグスタフに一方的に婚約破棄を告げた頃、正義の下宿先には日本から一通の手紙が届いていた。

そこには、母が危篤であるから早く帰国しろという旨が書かれてあった。

『どうしたの、マサ?』
『母が、危篤だと・・』
『まぁ、何ですって!?』
アリエルはそう言うと、蒼褪めている正義の身体を支えた。
『ねぇ、これからどうするの?日本に帰るの?』
『そうするかもしれない。だが、俺にはまだここでやることがある。母上は自分のことよりも、俺の身を案じて帰るなとおっしゃってくれる筈だ。』

母の容態が気がかりだったが、正義は日本に帰国しなかった。

英国に留まり、学問を修めることこそが母の為、そして自分の為でもあると正義はそう信じていた。
「正義、母上のことは残念だったな。」
翌日、正義は義則と会い、母親の訃報を知った彼から哀悼の言葉を聞いた。
「母上は今頃、あの世で姉上や兄上と共に俺のことを見守っておられることだろう。」
「そうだな。そういえば、お前のことを近くの書店で尋ねていた男が居たぞ。」
「本当か、それは?」
「ああ。身なりは和装で、言葉にかすかに会津訛りがあった。それに、右頬に傷があった。」

義則の言葉を聞き、正義の眦がかすかにつり上がった。

右頬に傷がある会津訛りの男―それは義則が生まれる前に行方を眩ました父・正成に間違いなかった。
「それで、お前は何と答えた?」
「余り詳しいことは言わなかった。ただ、あの男は少しやつれていたな。」
「そうか・・」
正義は本を開きながら、試験勉強を再開した。
年明けに始まった四日間の試験で、正義は全科目首席という優秀な成績を修めた。
「俺はお前を誇りに思うぞ。」
「ありがとう。母上にこのことを報告できなかったのは残念だ。」
正義はそういいながら、天を仰いだ。
『マサ、また手紙が届いているわよ。』
『ありがとう。』
日本から来た手紙を正義が目を通すと、そこには父・正成がロンドンで見つかったという内容が書かれていた。
『どうしたの?』
『いや、何でもない。』
正義はそう言って暖炉で手紙を燃やした。

今更父は、何故自分の前に姿を現したのだろうか。

父の目的がわからぬ今、正義は父とでくわさぬことを祈りながら、自分の部屋へと引き上げていった。
翌朝、正義がベッドから起き上がると、階下でドアを叩く音が聞こえた。
こんな朝早くに誰だろうと思いながら正義がドアを開けると、そこには父が玄関先に立っていた。
「久しぶりだな、正義。」
「父上、一体何をしにきたのです?」
正義はそう言うと、正成を睨みつけた。
「そなたの前に今頃姿を見せるのも、ずうずうしいと思っている。だが、話をさせてくれないだろうか?」
「わかりました。」

正義は渋々と正成を家の中へと招き入れた。

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最終更新日  2013年01月18日 14時17分20秒
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あの舞踏会から数日が経ち、アリスがあれから一体どうなったのか知りたい正義は、ブリュノー伯爵家へと向かった。

『アリス様はおられますか?』
『アリスお嬢様は体調が芳しくなく、誰ともお会いしたくないとの仰せです。』
『そうですか・・では彼女に宜しくとお伝えください。』
正義は伯爵家のメイドから門前払いを食らい、溜息を吐きながらブリュノー伯爵家を後にした。
あの夜のことは、彼女にとって遊びには過ぎなかったのだろうか。

(忘れろ、あの夜のことは。)

アリスへの想いを振り切るように、正義は前を向いて歩き出した。
一方、アリスは自室の鏡で赤紫色に腫れあがった頬を見た。
『お嬢様、失礼致します。』
メイドが部屋に入ってくると、アリスは醜い痣を化粧で隠そうと必死に白粉をはたいていた。
『まぁ、こんなお顔になられるまで殴るだなんて・・』
『あの人の虫の居所が悪かっただけよ。わたくしは大丈夫だから。』
『ですが・・いくら婚約者だからって、お嬢様に手を上げる権利などありません!』
『お前は優しいのね。もう自分の持ち場に戻りなさい。お母様に怒られてしまう前に。』
『わかりました、では失礼致します。』
メイドは頭を下げて部屋から出て行くと、厨房へと戻った。
『あんた、何処行ってたんだい?』
『アリスお嬢様のお部屋へお花をお届けに。』
『さっさと仕事しとくれよ、今日は忙しいんだからさ!』
メイドはできたての料理を皿に載せながら、ワゴンを押して厨房から出て行った。
『いやぁ、結婚式が待ち遠しいですな。うちの息子がアリス様のような聡明なお嬢さんをもらう事になるとは。』
『あら、わたくし達も娘がこんなにも早く結婚するとは思いもしませんでしたわ。』
アリスの両親は、突然やって来たグスタフと彼の両親に面食らいながらも、シェフが作らせた最高の料理で彼らをもてなし、いつしか子ども達の結婚話となった。
『これから、親戚同士となられるんですね。娘を余り苛めないでくださいね?』
『こちらこそ、宜しくお願いいたします。』

双方の両親がそれぞれ握手をしていると、アリスがダイニング・ルームに入ってきた。

『あら、いらしていたのですか。』

アリスは不機嫌さを微塵も隠そうとせずに、そう言ってグスタフ達を見た。

『アリス、結婚式のことでグスタフ様とお話を・・』
『その必要はありませんわ、お母様。』
アリスはそう言うと、グスタフに贈られた婚約指輪を左手薬指から抜いて彼に手渡した。
『今この場で、わたくしとグスタフ様との婚約は解消いたしましたから。アグネス、出かけるわ。』
『は、はい、お嬢様!』
アリスはくるりとグスタフ達に背を向けると、さっさと家から出て行った。
『お嬢様、あのようなことをなさっても大丈夫なのですか?』
『構わないわ。どうせあの人には女が星の数ほどいるでしょうから。』
馬車に揺られながら、アリスはグスタフの面食らった顔を思い出しながら笑った。

今までにない爽快な気分を彼女は今、味わっていた。

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最終更新日  2013年01月18日 13時54分55秒
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2013年01月17日

『一体何をおっしゃっておられるのか、わかりかねますが?』

正義は怒り狂ったサザーランド教授を前に、冷静な口調で話しながら彼を見た。

『うるさい、全てお前の所為だ~!』
サザーランド教授は、怒り狂いながらステッキを闇雲に振り回した。
『お前が全てを壊したんだ!』
この男には何を話しても通じないーそう判断した正義は、余りサザーランド教授を刺激しないよう、慎重に言葉を選びながら彼に話しかけた。
『理事長、ここは穏便に・・』
『うるさい!』
サザーランド教授はそう言うと、巨体を揺らしながら正義に突進していこうとしていた。
もはや、彼とはまともに会話できる状態ではないと判断した正義は、サザーランド教授が自分の眼前に来た瞬間、素早く身をかわした。

彼は素っ頓狂な叫び声を上げながら、池の中へと勢い良く入っていった。

『うわぁ~!』
サザーランド教授は極寒の池で激しい水音を立たせながら、必死に岸へとたどり着こうとしていた。
『申し訳ございません、それでは失礼致します。』
正義はそう言って頭を下げると、そそくさとその場を後にした。
『やめて、離して!』
『うるさい、俺の言う事を聞け!』
一方、人気のない森へとグスタフに連れてこられたアリスは必死に彼に抗ったが、グスタフはアリスを離さなかった。
『一体あなたは何が目的なの?』
『あいつは誰だ?』
『あいつって?』
『お前と踊っていた奴だよ!一体何処のどいつなんだ!』
『あの人は、日本から来た留学生よ。あなたよりも紳士的で、暴力的な態度を取らない人よ。』
『何だよそれ・・俺が暴力的な男だって言ってるようなもんじゃないか!』
『だってそうでしょう、今あなたがわたしにしていることは何?これでも紳士的に振舞っていると思っているつもりなの!?』
『うるさい!』
グスタフはそう叫ぶと、アリスの頬を叩いた。
じわりと叩かれた頬が少しずつ痛んでくるのがわかり、アリスは彼の前で泣きそうになったが、貴族のプライドがそれを許さなかった。

“貴族の令嬢は、いついかなる時も己の感情をあらわにしてはいけない。”

幼い頃から淑女としての心得を叩き込まれ、感情を表に出さないことが唯一の美徳とされた。
だから、いつの間にかアリスは感情を表に出さないようにしていた。
今、グスタフに罵倒されている間も、怒りを全く顔に出さずに俯きながら。
『何とか言ったらどうなんだ!?』
『・・ごめんなさい、わたしが悪かったわ。』
『それでいいんだ。二度と俺に逆らうな!』
嗜虐的な笑みを口元に閃かせながら、グスタフは満足した様子でそう言うと、アリスを森の中へと置き去りした。

アリスは溜息を吐くと、涙を流した。

(もう嫌よ、こんな生活・・)

人気のない森の中でひとしきり涙を流すと、アリスは馬車が停まっている場所へと戻っていった。

いつものように凛とした、冷静沈着な貴婦人の仮面を被って。

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最終更新日  2013年01月17日 22時01分42秒
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『初めてにしてはお上手ね。』
『実は、初めてではないのですよ。渡英する前に、何度か船上で練習したんです。まぁ、船はいつも揺れてましたから、踊ることで船酔い防止にはなりましたけど。』
『まぁ、それは良かったこと。』
ワルツのステップを踏みながら、正義はアリスに、渡英前の武勇伝を聞かせた。
『あなたがさっきお話なさったレディ・ヤエー銃を持って敵を蹴散らすだなんて、まるでフランスを救ったジャンヌ=ダルクのようね。』
『ええ。八重様は俺達に射撃の訓練をつけてくださいました。明治の世となっても、あの方は逞しく生きておられることでしょう。』

故郷・会津の話となると、正義は饒舌となり、その瞳は美しく輝いた。

そんな彼の横顔を見ながら、アリスはひたすら己の道を貫く彼の生き様を羨ましく思った。
そして、半月後に控えている結婚式のことを思うと、彼女は憂鬱な気分になった。
陸軍将校・グスタフは、粗忽で女癖が悪い男で、貴族の爵位と財産が欲しいが為に、アリスと婚約しただけだった。
グスタフの家は貧しく、学校も碌に通わせて貰えなかった彼の唯一のとりえは、腕力と喧嘩が強いことだった。
だから彼が軍隊に入ったのは、自然の流れと言われれば当然のことだった。
彼が付き合う女達は、一夜限りの関係を喜んでもち、男とわかれば股を開く売春婦達だった。
しかし、アリスとの縁談が調い始めたとき、グスタフは女性関係を清算し、アリスを愛すことを誓った。
それがうわべだけのものだと思っていたアリスだったが、彼の気持ちは本物だった。
アリスを何とか振り向かせようとあらゆる手を尽くしたグスタフだったが、彼が贈るどんな高価なプレゼントには一度も彼女は見向きもしなかった。
だがいつか、彼女は自分に振り向いてくれる筈だとグスタフは信じていた。
彼のその自信に満ちたプライドは、目の前に繰り広げられる一組のカップルのダンスを前にして粉々に砕け散った。
アリスの笑顔は常に、彼女の前に立っている東洋人の留学生に向けられていた。
彼が何かを言うと、アリスは自分に見せたことがない笑顔を浮かべている。

(どうして、あいつにだけそんな顔をするんだ?)

グスタフの中で、激しい怒りの渦が巻き起こった。
『ねぇ、後でこっそりと二人で抜け出さないこと?』
『いいですね。』
正義とアリスが舞踏会をこっそりと抜け出す算段をしていると、突然アリスの腕を折れそうなほど掴みながら、グスタフが彼女を自分の方へと引き寄せた。
『そこで何をしてるんだ、アリス!』
『何をなさるの、グスタフ?乱暴な真似は止して!』
『うるさい、お前が悪いんだ!』
怒りで沸騰したグスタフは、感情に任せて公衆の面前で彼女の頬を平手で張った。
『お前は一体何様のつもりだ、こんな男に尻尾を振って!』
『何をなさるの、グスタフ!』
アリスは必死に抗ったが、男の腕力に叶うはずもなく、彼女はグスタフによって外へと引きずり出された。
『アリス様!』

正義はグスタフに引き摺られてゆくアリスが消えていった方向へと走っていこうとすると、サザーランド教授の巨体に遮られた。

『どうかそこを退いていただきたいのですが、理事長?』
『嫌だ。お前の所為で我が家の地位は地に墜ち、エリザベス一世の御世に築き、培われてきた名誉は泥に塗れようとしている・・お前の所為でな!』

サザーランド教授はそう叫ぶと、正義を睨みつけた。

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最終更新日  2013年01月17日 12時34分23秒
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