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ヨブ記4章より 苦難のヨブと共に生き、黙って重い空気を担う事が、友の使命。 しかし語り出す時、心は離れていく。友は自分の視座で、苦難のヨブに語り出す。それが人間の本性、現実の姿。 長老エリパズ、第一ラウンド開始。彼の長い長い人生経験から、苦難のヨブに対して、長い長い言葉が溢れる。 ごもっともな、有り難いエリパズの言葉。しかし苦難のヨブには、傷口に塩。苦難と共に、エリパズの言葉は重い。何の助けにもならない。 以下、1分de聖書を引用しています。 おはようございます。今日はヨブ記4章「エリファズの言葉」です。 さあ、思い出せ。だれか、潔白なのに滅びた者があるか。:ヨブ記4章7節 ◆要約 すると、ラマン人エリファズが話し始めました。 ーーー もし、人があなたにことばを投げかけたら、あなたはそれに耐えられるか。 しかし、だれが語らないでいられるだろう。 あなたは多くの人を訓戒し、つまづいた者を起こし、くずおれる膝をしっかりさせてきた。 しかし今、これがあなたに及ぶと、あなたは、あなたはそれに耐えられない。 これがあなたに至ると、あなたはおじ惑う。 あなたの敬虔さは、あなたの確信ではないか。 あなたの誠実さは、あなたの望みではないか。 さあ、思い出せ。 だれか、潔白なのに滅びた者があるか。 どこに、真っ直ぐなのに絶たれた者があるか。 私が見てきたところでは、不法を耕して害悪を蒔く者が、自らそれらを刈り取るのだ。 人は神の前に正しく有り得ようか。 その造り主の前にきよくあり得ようか。 見よ。神は御使いたちのうちにさえ、誤りを認められる。 まして、泥の家に住む者はなおさらのこと。(岡崎道成)
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Last updated
2019/05/23 07:47:09 AM
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