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2024/03/22(金)05:10

サムエル記下24章より

サムエル記下24章を読んで思うこと。それは「最終章の重要性」について。 この章は、王制開始のサムエル記と、王国衰退の列王紀を結ぶ「大切な章」です。 この章のダビデの罪と神の裁き、そして最後の祭壇の犠牲は、やがてくる歴史を示しています。 まず目の前の列王紀にある、王制の分裂と王国衰退、民の捕囚と解放の歴史を示しています。 またこの章は、終末の歴史をも意味し、やがてくるメシア(御子キリスト)による「完全な贖い」をも、意味しています。 まことの王の王であり、主の主であるキリストによる王制「千年王国の確立と、新天新地の到来による解決」をも意味しています。実に深いものです。 ダビデの姦淫の罪は、誰でも分かりますね。しかし人口調査の罪は、理解しにくいので、なかなか注目されません。深い罪とは、見えにくいものです。 人口調査の中には「隠れた野心により、自惚れに至り、王国を私物化する」という恐ろしい罪が存在します。 まさに御子キリストは、皇帝アウグストの人口調査の勅令(ルカ福音書2章)の世界に来られました。  上に立つ者(ダビデ)の悪しき思いと政策が、部下や民に災いとなって返ってくる事に、ダビデは王として、自分の罪の深刻さを思い知らされたのです。 事実、このダビデの罪により、イスラエルの7万人の民が、疫病で死にました。これは後のイスラエルの王が、神の支配から逸脱して、イスラエルの国全体を滅びに至らせる警告を意味しています。国の崩壊は7万人どころか、何百万人という民が犠牲になるのです。 ダビデの最後は悔い改めて、礼拝に至ります。ダビデは主の為に、祭壇を築きます。 ダビデは、預言者ガデを通して、エブス人アラウナの麦の打ち場に「主の為に祭壇を築く」よう、命じられました。ダビデはその命令に従います。 結局ダビデは、アラウナの土地と必要な物を買い取り、神に全焼のいけにえを捧げます。 このダビデが買い取った土地が、大きな意味を持つのです。 この地は、アブラハムがイサクを捧げたモリヤの山であり、ダビデの死後にソロモンが神殿を建てた地でもあり、神の御子イエス・キリストが十字架によって贖罪の死を遂げられた、カルバリ山でもあるのです。 永遠の都エルサレムは、終末の千年王国の時には、買い取ったダビデの手に返され、永久の約束・ダビデ契約は完成します。そして新天新地がやってくるのです。このサムエル記下の最終章は、終末と永遠にも繋がっています。

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