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2024/04/23(火)00:34

列王紀上14章より

列王紀上14章を読んで思うこと。「ダビデのようではなかったので」という、不思議な言葉。 ダビデは、神のしもべとして、完全ではなかった。罪を犯してドン底にも陥った。 しかし、この章での神の評価(ダビデに対する)は、「わたしの命令を守って一心にわたしに従い、ただわたしの目にかなった事のみを行った」とあります。何故でしょうか。 それは、「この世は私に対して死に、私もこの世に対して死んでしまった」という、悔い改めの信仰により、ダビデが犯した罪は完全に葬られ、神に赦されて、忘れ去られてしまったのです。 「ダビデのように」とは、完全潔癖という意味ではなく、神の前に素直に自分の罪を認め、悔い改める心を持つ故の、神の勝利なのです。 ここで登場する北王国のヤラベアム。彼も出発は神により、ソロモン王に反逆する器として選ばれ、ソロモン王に対する刑罰の執行者として用いられた人でした。 しかし、ヤラベアムも神の言葉に従えなかった。現実は、全く逆の方向にイスラエルの民を導いてしまった。人の心を得ようと自分の為に、間違った宗教を取り入れ、偶像を取り入れてしまった。 その結果、ソロモンにまさる罪を犯してしまったのです。北王国イスラエルは、ヤラベアムにより最初から躓き、神に背いてしまったのです。 「国をダビデの家から裂き離して、それをあなたに与えたのに、あなたはわたしのしもべダビデが、わたしの命令を守って一心にわたしに従い、ただわたしの目にかなった事のみを行ったようにではなく」(列王紀上14:8) レハベアムも、同じ人なり。ソロモン王国が二つに分裂して、南王国ユダの初代の王は、ソロモンの息子レハベアムです。彼も偶像を拝んで、主の目の前に悪を行ってしまったのです。 「ユダの人々は、その先祖の行ったすべての事にまさって、主の目の前に悪を行い、その犯した罪によって主の怒りを引き起した。彼らもすべての高い丘の上と、すべての青木の下に、高き所と石の柱とアシラ像とを建てたからである。」(列王紀上14:22〜23) これから、北王国はヤラベアム、南王国はレハベアムで動き出します。これから、王の名前は、ドンドンと変わります。 「ヤラベアム、並ぶ、馬車、エラ …  レハベアム、浴びアム、朝」と動き出します。さあ、覚えましょう。

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