|
カテゴリ:カテゴリ未分類
1日のデイサービスのリハビリでした。担当者がお休みで、別の若い女性の理学士さんに、指導してもらいました。自分自身では。バランンスがと思って、歩行してみましたが、フラフラとしていました。
前の席の方と、色々とお話しができました。色々と研究をされていて。医療についての事とか、へーーそうなのという事を教えてくれました。つばめは、あの小さいのに、他の国に渡るし、たいしたものだし、ひなの糞は、乳酸菌があるのだと言われていました。 横浜に三渓園という日本庭園がありますが、海水浴場があった事もご存知で、牛を飼ったていた所もあって、ミルクを根岸という所に競馬場があり、届けていたとか。健康であれば、三渓園に行きたいと思いますけれど。 この方のご自宅のお話になって、僕の頃の時代とは違いますけれど、昔は。畑ばかりで、僕も、どじょうを捕りに行きました。真っ黒くなりながら。僕は、よく父から聴いていましたが、お若い方には分らないのかもしれません。懐かしい、乗り物です。ガソリンがなかった頃に。木炭バスで、よく、途中でエンコして、ハンドルを回して、エンジンをかけて、坂なんかは、力がなくて、乗客が協力して、押していたと聴いていました。みんなで、協力という時代だったのです。現在も、そのような時代であれば。 木炭バス 今日は、娘の誕生日です。昭和63年5月26日です。クラスには、貴重と言ったら、何事だと怒られるかもしれませんが、昭和64年生まれと子と平成元年の子がいました。平成の子が多かったようです。 家内の身体を無理させてしまって、女性特有の筋腫が息子の時に言われて、その時、切除しないとだめと言われ、病院を変えたら、筋腫だけ切除と言われ、家内も僕もほっとしました。 もちろん、帝王切開でした。当日、父も手術室の前で、待機してくれて。心強かったです。父と僕が、最初に、娘とご対面でした。しかし、背中のうずの毛は、誰に似たのだろう。今は、なくなりましたけれど。 娘が、何であたしを産んだんだと言っていたけれど、家内の胸に刺さるし、僕もがっかりしています、息子の出産まで、2年でしたので、変な話、諦めていました。 いつまで続くのか、もういい加減にしてくれと言いたい、反抗期だか分りませんけれど、家内が一番当たられて、息子、僕の胃がおかしくなっています。 息子から、お父さんは、いいなぁ、ショートスティが出来てと言われてしまっています。 娘の職場からの、誕生日の花束です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年05月26日 18時55分04秒
コメント(0) | コメントを書く |
|