JRが国鉄時代
訪問看護師と訪問理学療法のリハビリです。JRか国鉄時代、覚えている方もいるかもしれないですね。首都圏を走っていた電車です。茶色の電車です。車掌が、つり革、手摺におつかまりくださいとアナウンスしていましたね。手摺と何だろうと思う方がいるでしょう。チョコレート色の電車をご存じの方なら思い出したのかもしれませんね。つり革と手摺棒がありました。今の、車両にはありません。たしか、扉の近くに、つかまり棒がありました。混んでくると、邪魔になっていたかもしれないです。子供の頃、つり革まで手が届きませんから、手摺り棒に掴まっていました。懐かしい、電車を思い出しました。たしか、荷物専用の車両があったような。1両の一部を使っていました。座席は、ありません。床の色が違っていました。押し屋というのがありました。新宿駅が最初かな。アルバイトでした。ラッシュ時に、乗客を車内に押し込む仕事がありました。すごかったです。茶色の電車から新しい電車になったのは、東京発の中央線だったです。信濃町の慶応病院に行っていた事がありました。今は、中央線は、通過しています。中央線、つまり、総武線が各駅停車になっています。先輩が、転勤になり、初めて東北に 一人でいきました。仙台の秋保温泉に住んでいました。忙しいスケジュールでした。平泉まで急行で行き、帰りは、各駅停車で仙台です。倍以上の時間がかかりました。仙台に戻り、こっちだよと案内されたのは、仙石で塩釜に行きました。松島にいきました。ハードでした。その時に、懐かしいチョコレート色の電車でした。山手線のかもしれないでか。首都圏で走っていた電車が走っていました。妻と出かけた事がありました。この時は、京浜東北線の色、つまり、青色でした。きれいな電車になったと思いました。首都圏の電車が仙石線をはしっていました。今は、どんな電車が走っているのでしょうか。東日本大震災の時、だいぶ被害がありました。東松島たったか、被害が大きくて、なくなったようです。思い出の所でした。宿泊先です。野蒜でした。混んだ電車は、すごかったです。バックと足の位置が違ってきました。山手線り支線は、ありますが、しばらく行っていないので分かりません。湘南ライナーが4はしってるようです。赤羽から池袋までです。板橋、十条に行く時につかっていました。チョコレート色の時代ですよ。