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沖縄自治研究会

沖縄自治研究会

第4回講座 下

さて、次の問題は、レジュメの2でありますが、道州の組織運営は法律で定めるということにならざるを得ないと思います。これは現在の市町村の組織及び運営の原則も地方自治法に定めているわけですし、都道府県という自治体の組織のあり方と運営の基本原則も地方自治法で定めているわけでありますから、道州というものが新たな自治体として誕生してくる以上、その道州という自治体はこういう自治体ですという、その組織及び運営の基本原則は国の法律で定めるということにならざるを得ないだろう。それが地方自治法の中に書かれるのか、新しい道州法などという特別法の中に書かれるのか、それはいろいろな形式があるかと思いますが、ともかく国の法律で定められることになるだろう。

 しかし、この先が問題なのです。ここまでのことは当然としても、道州の区域及び設置まで法律で定めるべきなのか、それとも関係都道府県の合意に基づく申請によるべきなのかという問題であります。

 ちょっと角度を変えて言いますと、道州という新しい制度をつくるときに、日本の全国土をどういうふうな道州に分けるのかという区画割案は、国のほうが提示をして、これに従いなさいというのか、それとも関係都道府県同士でいろいろ協議をしていく間に、この仲間で一つの道なり州をつくりましょうというふうに、自治体のほうから決めてくるのかという問題であります。

 第27次地方制度調査会答申は、よく読んでいただきますと、この点について両論併記になっているのです。両方の考え方があるというふうに書いてある。しかし、私は調査会の中で、これはおかしいと随分主張したのですけれども、受け入れられませんでした。道州を都道府県にかわる新しい広域自治体であると考える以上、自治体らしい自治体になってもらわなければ困るわけですが、そうだとすれば、これを自治体らしいものにしようと思ったならば、今既にある自治体の合意に基づく申請によるべきなのではないか。そうでなければ、自治体になどならないのではないかということであります。

 先ほどお話しましたように、自治体である都道府県の合併を、廃置分合を、国の法律で定めるというのはおかしいではないかという点については、多くの方が賛成したのです。考えてみればおかしいかねということになったのです。調査会の中でみんな合意したのです。ところが、新しい道州制論議になってくると、道州制は国が決めるべきものだというほうが多数説だということなのです。

 国が法律で定めたら、それは国の地方行政庁なのではないか、区域を国が法律で定めたらそれは国の地方行政区画なのではないか、昔の都道府県のつくり方と同じつくり方なのではないか、そこについでにちょっとだけ自治権を認めてあげるという不完全自治体の制度にいってしまうのではないのということですね。ましてや、かつては国の各省の出先機関がやっていた事務を、道州に移そうというのですから、国の各省庁にすれば全部俺の仕事だと思っているわけです。それを担当する新しい道州が生まれたら、これを国の機関,官治団体にしたいと考えるのが、国の役人から言えば極めて自然な考え方でありまして、そういう手続きでものを進めていったならば、自治体らしい自治体にはならない。戦前の都道府県みたいなものを、より広い区域につくり直すというようなことになってしまうのではないかと、私は強く危惧しているのです。

 区画割案も国が決めるなどといったら、それはあるとき突然国がこの範囲に自治体をつくると決めて、誰もそんなこと言ってないのに、住民は言ってないのに、つくる。つくりなさいと言われてつくる自治体が、本当に自治体でしょうか。都道府県合併について、手続き変更することと首尾一貫していない。平仄が合ってないではないかといって、私は新しい道州制を考えるにしても、やはり現にある広域自治体である都道府県の合意に基づいていくという方式を基本にすべきなのではないかということを主張し続けたわけであります。

 そこで、この点については別に評決をしたわけではないので、どちらが多数説か少数説かは明らかではないのですが、調査会では、あまりほかの人々はそういうことを強調しなかったのですが、私があまりにもそこにこだわり、強く言ったので、両論併記になっているという感じに、今のところなっているのです。

 これに関連して、調査会で起こった一つの議論をご紹介いたしますが、今回の第27次地方制度調査会には、前兵庫県知事の貝原さんが委員として参加しておられました。阪神・淡路大震災のときに兵庫県知事でいらっしゃった方でありますが、長らく兵庫県知事をお勤めになって、お辞めになったという方でありますけれども、その阪神・淡路大震災の経験などをもとにして、今度の第27次司法制度調査会では、あらゆる問題について非常に活発にご発言になりましたが。

 貝原委員のお考えは、基本的にこれからの制度を改革するにあたって、小を大にするのではなくて、大を小に分割するという発想に立つべきであるということを初めのときから一貫して言われたのです。そのご趣旨は、国を分割して、極力国を分割して、新しい道なり州なりをつくる。そして、現在の都道府県を分割して、これは極力市町村に委ねていく。今まで上にあったもの、大きなものだったものを小さくして、国の直接管轄するものは小さくして、極力それを下に任せる。下に任せるのが、今の都道府県でふさわしくないと言うのならば、道州という新しいものができてもいい。しかし、それは国から分割して国からおりてくるのだと。そして今、都道府県がやっているもののかなりの部分は、市町村におろしていいものがたくさんあるのではないか。都道府県というものを廃止するというのは、都道府県を分割して小さくしてしまって、市町村に委ねていくという発想に立つべきであるということを強調されたのです。

 私がしばしばちょっと違うことを言いますと、都道府県合併の手続きを見直すことが重要であるとか、道州制をつくるにしても、都道府県の合意ということが必要だということを強調いたしますと、貝原さんは「おまえさんの発想は小を大に統合するという発想になっていないか」と言って、その都度、かなり強い反発をされております。西尾委員は市町村合併を強行しようとしている。そして、その次は都道府県再編制だと言っている。都道府県を幾つか固めて、そして、道州をつくるという話は、それは小を大に統合していくという流れではないのか。それは、分権時代の発想ではないというふうに貝原委員はおっしゃる。

 表面上はえらい対立しているみたいなのですが、私は貝原委員がおっしゃっているのは私の意見に対する大きな誤解だ。そこで食い違っているのではないのですと申し上げてきました。事務権限をどこへ任せるべきだという話に関して、私は、貝原委員と何も違っていない。国の各省庁の出先が担当してきたような仕事の中で、自治体がやっても一向に差し支えないものは極力広域自治体におろしましょう。今まで広域自治体であった都道府県がやっていたものの中で、市町村がやったほうがいいというものは極力市町村におろしましょう。そのことに関して、貝原委員と私の間に何の違いもない。

 私が問題にしているのは、それにしてもそれを受け取る新しい自治体、分権されてくるものを受け取る、昔の言葉で言えば「受け皿」ですね。「受け皿」をどうやって作るのかということをひたすら問題にしているのです。

 道州というものをつくるのならば、その道州をどうやってつくるのだということが、私は気になって気になって仕方がないのです。そのとき、国が設計をして、国がぽんと法律で設置するものが、自治体ですかということを言っているのです。それが自治体であるためには、現に自治体であると都道府県がさんざん話し合って、こうしましょうとかいって、下から上がってきてはじめて自治体なのではないでしょうか。そうだとすると、都道府県の合併なり統合ということを考えざるを得ないのだ。そうしなければ新しい道州は生まれないのだ。そこが担当する仕事はどういう仕事ですかと言われれば、貝原委員がおっしゃっているのと私が言っていることに何も違いはない。

 だけど、その団体をどうやってつくるのかということについては、小を大に統合するという過程がどうしても必要なのです。その両方のプロセスが合致しなければ、道州などというものは生まれようがないのですということを申し上げていたわけですが、なかなか貝原委員によく理解していただけなくて、どうも今回は西尾委員と意見が対立したというふうに、貝原委員は終始思っておられたのではないかという気がいたします。

 さて、そこで、次にもう一つの論点にいきますが、第27次地方制度調査会の最終答申は、先ほど島袋先生が私を紹介する話の中で言っておられましたが、道州の区域は「原則として現在の都道府県の区域を越える区域とする」としているわけであります。

 ここには、島袋委員が着目されましたとおり、「原則として」という言葉が付いている。例外が認められないわけではない。例外はあるだろうと考えられていた。しかし、何が例外なのか、この点に合意ができているかといったら、できていないのです。この点について、徹底的に調査会で一人一人の意見を述べて確認したわけでも何でもありません。ですから、本当に意見が対立しているかどうか明らかではないのですが、少なくとも多くの人々の発言の中で、北海道の場合は新しい道州制に移り変わってもあの単位だろうと、ほとんどの人々がそう思っている。区域はあのままだろうと。北海道が担当する事務権限が変わるのだと思っている、新しい道州になるときですね。そして、事務権限に伴う財政制度が変わるのだ、税財政制度が変わるのだ。それが北海道の新しい道州への移行だというふうに思っていた。区域は変わらない、あのままだと思っていらっしゃるのですね。

 ですから、都道府県と言っているけれども、明らかに北海道だけは別ねというのはみんなの頭の中にあるわけであります。しかし、北海道だけが例外ではないかと思っている人たちが明らかにいらっしゃる。ほかについてはすべて、今の都道府県の区域を越える、どこかとどこかがくっついたブロックじゃないか。それが新しい道州ではないかという考え方が、どうやら多数の方々の感覚なのではないかと思うのであります。そのとき、それは沖縄も同様ではないですかと言ったのは、私であります。明確にそう言ったのは、私であります。そうしましたところ、これはお名前を言いませんが、ある方が発言をいたしまして、新しい道州制に移り変わる以上は、新しい道州というユニットは、経済的に自立し得る単位を目指していくべきなのではないか。そこにこそ都道府県制から道州制に移り変わる一つの大きな意味があるのではないかという主張をなさったのです。裏返して言うと、沖縄県を単独で新しい道州にして、経済的に自立が可能でしょうかと。九州と沖縄が一体となってはじめて、経済的自立に近いユニットになるのではないかということが言外に込められているのです。そして、その方の場合は、もっと一段話が先にいくわけでありまして、中国・四国地方をどうするかという議論があるわけであります。そのときに、例えば、現在の岡山県知事は、四国・中国一体論を唱えていらっしゃるわけです。

 そして実は、この発言を調査会の中でなさった方は、この岡山県で設置されたこの道州制構想の研究会のメンバーでもあったのです。ですから、四国を独立させた新しい道州にしたならば、とても経済的に自立するユニットなどにならない。中国と一体にしてはじめてそれに近い状態に、一つのブロックとしてなるのではないか。道州制に移るからには、それを目指すべきなのではないかというご趣旨であるわけです。これが支配的な考え方になっていくとすると、沖縄が単独で道州に移るということは否定されることになるのです。

 私は、できることならば、経済的に自立する単位を目指すということは十分考えられる一つの理想像です、しかし、国の国土形成の計画の単位をつくるという話ではなくて、自治体を、新しい自治体をつくるという話である以上、そういう経済的自立ということも重要な尺度ではあるけれども、それ以上に地理的、歴史的、文化的なアイデンティティ、一体性が、自治体には不可欠なものとして、条件としてあるのではないか、そういう地理的、歴史的、文化的な諸条件ということからいえば、沖縄は、あるいは琉球は、そういう地域ではないか。したがって、単独で独立したいと地域の方々が思われれば、まずそれを尊重することが筋ではないかと私は主張しました。

 この経済的自立の単位と言う言い方をしたならば、それでは100%そういう目標で区画割ができますかといったときに、いわばその地域の経済力から見て、そこから上がってくる税収と、歳入と、そこで必要になる歳出が概ねトントンになる。要するに、よその地域から不足分のお金が地方交付税のような仕組みで補填されなかったとしても、何とかなりそうというのが、収支均衡すると言うような地域だというふうに考えますと、九州という単位はそれに近い状態に、完全にではないですけど、それに近い状態になり得ますが、沖縄がなり得ないことは明らかでありますし、四国4県が一つになってもなり得ないことは明らかであります。しかし、それどころではないのでありまして、北海道もなり得ません。東北もなり得ません。そういうことを言ったら、そういうことを一つの理想として、なるべくそれに近づけるという発想は大事な発想かもしれませんが、それを言い出したら、区画割なんかできないのではないか。

 都道府県制を廃止して、それに代わるものとして道州制が生まれたとしても、道州間をまたがる財政調整制度、現在で言えば地方交付税制度にあたるもの、この種のものは依然として不可欠です。これをなくすことは不可能です。そして、連邦制国家の州と州の間だってやっているのです。ドイツの各州の間だって、財政調整をやっているのです。カナダの州と州の間もやっているのです。オーストラリアもそれなりの財政調整をやっているのです。道州になったからといって、財政調整制度を不要にする姿を日本の国土について描くことはできない。東京で上がってくるお金をいかに全国に配分するかという方式を考えざるを得ないのです。そうでなければ、全国土が成り立たない、全国民の生活が成り立たないのです。このことは都道府県制にかえて道州制にしたってなくしようがないのです。今までよりも調整する必要が減るかもしれません。減るかもしれませんが、絶対にそれはなくなるはずのないものなのであるから、経済的な自立という尺度をあまりにも絶対視する必要はないのではないでしょうか。

 むしろ自治体としての道州をつくると考える以上、自治のアイデンティティの基盤となる地理的な条件、歴史的な条件、文化的な条件をまず最優先に判断されるべきではないのかというのが私の意見であります。したがって、四国についても、中国・四国一体論というのは、私はくみできないということを言っています。

 これまた誤解のないように、念のために申し上げるのですが、私は九州と沖縄・琉球を一体にすべきでない、中国と四国を一体にすべきではないと言っているのではなくて、それぞれ地域住民の意思が尊重されるべきであるということを言っているのであります。沖縄の人たちが沖縄は単独でいきたいというのなら、尊重されるべきではないか。しかし、沖縄の人々が九州と一体でいきたいとおっしゃるのならば、どうぞそれで結構ですよ、私はそれに何の異論もありませんよということです。四国の方々が、中国と一体のほうが将来の四国のためにいいのだと、そうしようとおっしゃるのならば、それで結構です。しかし、初めからそうあるべきだと、四国の住民の意向を無視して決めるのはおかしいでしょう。まずは四国の人々がどう考えるかということが尊重されるべきで、それ以前の段階としては、どう考えたって四国がまず一体と考えることが自然なのではないでしょうか。その上でさらに中国と一体を望まれるかどうかは、四国の方々の選択の問題ではないでしょうかという意味であります。一体にしないほうが絶対にいいと言っているのではありません。

 さて、そういう議論が背景にはある。そういう議論を踏まえながら、「原則として現在の都道府県の区域を越える区域とする」という言い方になっているということであります。
 さて、一番最後の最大の論点は、以上のことのすべてに関係していますが、現在の都道府県制度から新しい道州制へ移り変わるプロセスは、あるとき全国一斉に行うのか、それとも関係都道府県の合意の整ったところから、順次バラバラに行っていくのかという論点です。数ある道州制構想のなかで、明確な区画割案を提示しているものは数少ない。そして全国をいくつのブロック(道州)に区画割するのかという点も意見の一致はなく、しかも、区画割案自体もさまざまです。とくに、首都圏から近畿圏にいたる本州の中心部をどのように区画割するのか、これは難問です。そこで、全国一斉に行うとすれば、国がまず区画割審議会を設置して区画割案を提案するのでしょうね。そして全国の都道府県にこれでいいですかとたずねていくのでしょうね。そして、まあまあ概ねの了解得られたと思ったら、一気に道州制設置法を制定し、そういう制度に移り変わる。ある日から都道府県制は廃止。都道府県庁は全部新しい道庁に統合というようなことになっていくのでしょう。新しい知事と道州議会議員を選びましょうとかという話になるのでしょう。

 今まで道州制構想を唱えてきた方は、何となくこういう漠然たる前提に立っていたのではないでしょうか。どうやってつくるのかを本当に真剣に考えた人は、あまりいないのではないかと思うのです。

 しかし、繰り返し言いますが、それで一体自治体になるでしょうかということに、私は基本的な疑問を抱いておりまして、関係都道府県の合意を重視していくべきだというふうに考えますと、全国一斉に行うなんてことはあり得ないのではないかと思います。そのことは不可能だと思うのです。そうすると、バラバラにいくという方式にならざるを得ない。私はバラバラ説なのですが、これからどういうふうになるかは分かりません。

 バラバラ説であるとすれば、北海道は区域問題のないところですから、よそと合併しますという前提条件が何ら必要のないところですから、北海道がお望みになり、関係の国の各省庁がしょうがないとおっしゃるのならば、さっさと新しい道州制に移行したらどうですか。そういう意味で、道州制特区構想などというのもあり得ない話ではないと思います。ただし、これは、そんなこと言ったって本当に国からどこまでの仕事をおろしてくるだろうか。仕事はおろしてくるとしても、それに見合うだけの財源を本当に国はよこしてくるだろうかなどと考えると、北海道は心配で心配でしょうがないので、なりたいなどと言ってないですよね、北海道知事が。慎重に見極めなくてはとかと思って、非常に引き気味な、せっかく小泉首相は言っているのですが、北海道のほうが、ちょっと待て、ちょっと待てと非常に慎重になっているというのが、現在の姿だと思うのです。

 実際、これは、後でも述べますが、レジュメの3ページ目の5の冒頭に書いてありますように、道州制へ移り変わるということは、国の各省庁の地方支分部局からの事務権限の移譲と、これに伴う税財源の移譲ということを大前提にしている構想ですので、これを実現するには強力な政治的リーダーシップの確立が不可欠であると言わざるを得ないのです。

 地方出先機関からの事務権限の移譲などというと簡単に聞こえますが、一つ一つの地方支分部局の廃止、あるいは縮小であります。そして、そこで働いておられた国家公務員の人たちを地方公務員に身分換えするということであります。これに関係者たちが簡単にうんと言うわけがないですよね。働いている現場の職員たちがまず賛成するわけはないです。それを所管している省庁は絶対にみんな反対といって抵抗するに決まっているのです。それを本当にやるのですか、それだけのお力が内閣と与党におありでしょうかという話です。

 道路公団民営化も容易にいかない、郵政民営化も容易ではないというときに、各省庁の出先機関を廃止するぞ、それをみんな県に一体化させるのだなどといったときに、本当に動くでしょうかという問題です。これを動かそうというのがこの道州制構想であるとすると、その大前提として、それだけのことがやりきれる内閣をつくることがまず先決条件ということになります。今の内閣ではちょっと無理ではないでしょうか。小泉さん個人の力量を問題にしているのではないですよ。自由民主党という政党と今の内閣と官僚機構の関係の仕組みそのものを問題にしているのですけれども、ここがもっと変わらなければ、そう簡単にできることではないのではないかと思います。

 そういう観点から言っても、全国一斉に進める、あるいは一挙に理想の道州制にいくなどということは、ほとんどあり得ないことではないと思うのです。いろいろ気運が整ったところから、まず先行的に始めていく。その先行的に始めていくときの姿というのは、最後の理想状態の道州制にはなかなかいきなりはいかない。その前にはいろいろな紆余曲折を経ながら、だんだんに理想の道州制に近づいていくというような姿しか、ちょっとあり得ないのではないかというふうに思っているのであります。

 さて、以上の話を前提にいたしまして、最後の3ページ目の大きな3、琉球・沖縄の選択というところに移りたいと思います。

 ここでは琉球という言葉をあえて使いましたが、それは沖縄という言葉は沖縄県というものの誕生、創設と同時に出てきたという呼称でありますので、単独という場合には、沖縄よりも琉球のほうがふさわしい場合もあるかと思って、そう並べているだけでありまして、それ以上深い意味はありません。

 さて、ここにお住まいの方々にとって、ここで暮らしていらっしゃる方々にとっての最大の問題は、これから道州制というものが論議され、徐々にあちこちで動き出すというようなことがあったときに、ここはどうするという問題を考えるとき、九州と一体になるのか、それとも琉球・沖縄は単独の区域で新しい道州を目指すのかということがまず最初にして最大の選択問題であります。

 この点についてはあらためて申し上げるまでもないと思いますが、九州と一体化した新しい道なり州となって、しかも従来の都道府県制は廃止をされるという場合には、経済的に、比較的に自立した道州の一部に沖縄の区域、県民は編入されることになり得るのでありまして、今までよりは行財政力が整った団体の一部ということになるというわけでありますが、それに伴うメリットもいろいろとあり得ると思うわけでありますけれども、その反面で琉球・沖縄地域は、これまでの沖縄振興開発法とかそれにかわる新しい沖縄振興新法と通称されているものや、あるいは自由貿易地域の指定であるとか、あるいは金融特区といったような構造改革特区などの指定の単位になり得なくなる可能性が高い。なり得る可能性はゼロだとは言い切れませんが、なりにくいのではないか。単位として指定するなら、九州州だか九州道というのなら考えられる。しかし、その九州道という新しい自治体の中の一部地域だけを開発振興新法の対象ですということ、あるいはそこだけが自由貿易地域ですとかいうことは難しくなってくるのではないかと思われます。

 およそ不可能だということではないのです。例えば、過疎法なんかで過疎町村を指定する指定の仕方とか、山村振興法でその対象となる山村を指定する仕方のときには、市町村単位でやる場合もありますし、一つの基礎的自治体の市町村の中の旧合併町村の単位で指定されているようなケースも、過去には幾らもありますから、新しい道の一部に入ってしまったというときに、沖縄の区域だけで指定されるということが絶対にないとは言い切れませんが、普通はなかなか考えにくいのではないか。こういうものを何かつくるとすれば、それは市町村の単位でつくられるか、新しい道の単位でつくられるということになって、沖縄・琉球というまとまりで指定の対象になるということは難しくなってくるのではないかと思われるのです。それによって、これまで沖縄の地域に保障されていたものが、今度は難しくなるという反面が必ず出てくる可能性があるということであります。

 しかし、今度は逆に、琉球・沖縄単独で道州を形成するという場合には、いかにして経済的に自立した状態になるかというのはおよそ不可能なことと思うので、この沖縄に限らず、ほとんどのところがそうなのでありまして、できることはいかに自立した状態に極力近づくかということなのですが、少しでもその状態に向けて改善できるかということなのですが、そのことがこれまでの沖縄県にとっても最大の課題であったはずですけれども、これまで以上に切実な課題になるということです。

 自分で望んで自分で単独で道州になるのでしょう、それでは極力自立しなさいよと突き放される可能性は極めて高いのです。その中で、どうやって自分たちでその状態をつくっていくかということが、本当に難しい切実な課題になる。この点は厳しい、より一層厳しい状況になるという可能性を持っているのでありますけれども、その反面で、独自の個性的な地域振興であるとか、まちづくりであるとか、自治を発展させる余地は単独でいったときのほうが拡大する、これはもう間違いのないことなのではないかということです。このいわばメリット、デメリットのどちらにかけて頑張るかという問題だと思います。

 さて、今申し上げたことが基本的な選択肢なのですが、少し、角度を変えて申し上げていきますと、2番目の話になります。新たな道州の一つになるということで、それで沖縄県民は満足するのか、それともここでは道州というものは全国幾つも、9なり、10なり、11なりつくられるといたしまして、そこは横並びに同じ組織、同じ権限をもった団体として設計されるでありましょうが、その一つになることだけで、沖縄にとって十分なのか。そうではなくて、よその道州並みの事務権限をもっているだけではなくて、それを上回る、沖縄道にはこれを認めてくださいとう独自の権能をさらに上乗せされた、いわばつけ加えられた、そういう意味で普通の道州を越える自治州的な存在を目指すのかということです。ここがもう一つの沖縄にとっての問題だろうと思います。

 自治州的な構想、沖縄には過去何度かそういう構想が復帰のときにもありましたし、それ以後もいろんな人々の構想の中には時々出てくるものであるわけですけれども、いろいろなレベルがある。一番徹底したものは、立法権、司法権まで国から分け与えられている、そういう意味で連邦制を構成している各州に近い、準州的な存在になるというのが一番徹底した自治州でありましょうが、立法権、司法権まで与えよというような準州的な存在になることは、現在の日本国憲法との関係で難しい点が多々あるように思われるのです。

 この点について言えば、島袋先生がこれまで丹念に研究してこられたことですけれども、イギリスで、連合王国で、スコットランドやウエールズに自治権を分与するリボルーションという改革が労働党政権下で行われましたが、そのとき、イングランド地域とは全く違う自治権がスコットランドなりウエールズには与えられているということです。

 こういうものになり得るのに、一つの条件として、連合王国は成文の憲法を持っていないというのが非常に大きな条件です。憲法典に違反するという話が、あの国にはないのです。ですから、イギリス議会がそういう法律をつくって、分権法を制定すれば、スコットランドにそういう権限はいってしまいます。

 しかし、日本の場合は、そして多くの国々の場合には、なかかなそうはいかないのでありまして、現在の憲法でそれが許されるかが問われる。例えば、「国会は国権の最高機関にして国の唯一の立法機関である」という第41条の規定がある。この国の立法権を、一部地域の議会に委ねるなどということが、憲法から言って許されることかという話に必ずなるということです。司法権についてもこれは国に属しているというのは日本国憲法の大前提でありますから、それと別に、沖縄が独自の裁判機構をもつなどということは、今の憲法からいうと困難であるという問題がある。

 憲法改正まで想定して考えれば話は別でありますが、現行憲法を前提にする限り、そういう準州的な存在になることは難しいと思われます。

 しかし、琉球・沖縄管内の地方自治制度を独自のものにすることは、憲法第95条の地方自治特別法の制度を使えば、不可能なことではありません。これは今回のこの研究会の資料の中に、後ろにいろいろ参考資料が入っていまして、この間に琉球新報、沖縄タイムス等に載った関連の記事などがかなりの数、収録されていますが、それをずっと目を通しておりましたところ、大阪市立大学の加茂利男先生が、この95条の問題に触れておられまして、沖縄はこれを使う道を考えるべきではないかということを言っておられるのに私は賛成であります。沖縄の方々は、実際に最後に踏み切られるかどうかは別として、一度は少なくとも真剣に検討してみられるべき選択肢なのではないかと思います。

 そして、特に、沖縄は一島一村、一つの島ごとに一つの村を形成しているという一島一村の外海離島の群島、諸島から成り立っている圏域、地域であるわけです。沖縄本島の問題がありますが、先島諸島の問題もある。宮古諸島、八重山諸島というふうに、外海の離島というべき島々がある。島々は日本国中たくさんあるのですが、瀬戸内の島々とか長崎県周辺の島々のように、本土の町村と船その他でかなりの頻度で結びついているというところの内海の島々は話は別でありますが、日常のコミュニケーションが極めて密度の薄い、外海に孤立している島々の場合には、極めて難しいいろいろな問題があるのでありまして、こうした地域において、そういう島々をたくさん抱えているこの区域において、新しい沖縄の区域が道になったとしたときに、それとその管内の市町村との関係については、他の道州とは異なる独自の制度を設計するという意義は少なくないのではないかと、思います。

 よその県の場合には、ここまでの話は道の仕事です、ここから先は市町村の仕事ですという、道と市町村のある区分けがあったとします。しかし、沖縄の区域において、それがそのまま望ましい姿だとは限らないのです。沖縄の場合には、道はここまでのことをします、市町村はここまでのことをやってくださいという、この両者の関係は、沖縄独自のものが形成されてもちっともおかしくないのではないか。そのほうが沖縄の地理的な条件とか歴史的な条件にもむしろ合致した、あるいは文化的な条件にも合致したという形があり得るのではないか。国が全国一律で決めている地方自治法の制度が、そのまま沖縄に好ましい制度だとは限らない。あるいは、新しい道州法という法律ができたとしても、それをただ適用されるということが、沖縄の区域に一番ふさわしい姿であるとは限らないと私は思うのです。

 そういうことから考えても、他の道州とは違う、沖縄の道州というのはこういう制度にしたいのだということを、沖縄独自の構想がもしおありならば、それはこの地方自治特別法という方式を使うことを真剣にお考えになるべきなのではないか思うのです。

 この点に触れておられるのは、同じくこの資料に載っていた琉球大学の仲地博先生が道州のことを述べておられまして、現在の沖縄県は沖縄県内の市町村を22ぐらいの新しい市町村に再編成する合併構想を示してやっているけれども、この前提は、もし道州などというものに移行したときは、沖縄県は九州と一体化するという前提でしょうかと聞いていらっしゃる。もし、単独で沖縄が道州を形成するというのならば、この道内の市町村を22になど再編成しなくてもいいのではないかと。もっと数の多い市町村がそのまま残っていたっていいのではないかということを仲地博先生が書いておられますが、基本的に私も同意見であります。

 私は、地方制度調査会で例の「西尾私案」を出した人間ですから、合併できるところは極力合併してくださいという基本線で行動してきましたし、発言してきた人間なので、沖縄県庁が進めておられる市町村合併のプランを無用なことですなどと申し上げ、批判したくはないのですが、本当に振り返って考えて、沖縄のように一つひとつの島で村になっているときに、幾つかの島を合併をして、一つの村なり一つの町なりに再編成したとしても、それほど大きな合併の効果が生まれるでしょうか。効果がゼロとは言いません。ある程度あると思っています。だから、合併は必ずしも否定しません。しかし、よその、本当に陸地でつながっているところで合併をしたりするケースと違いまして、どんなに合併をしても、ぎりぎり最後は島の中でみんな自治でやらざるを得ないということは、変わらないのではないでしょうかということです。そうだとすれば、別のやり方というのが沖縄にはあってもいいのではないかというふうに思うのです。ですから、22に無理矢理再編成することが最善の方策とはいえない。特に沖縄が自立した道を目指すなどということまで考えるとすれば、それはそうではない構想というのが別途立てられてもいいのではないかというふうに思うということであります。

 さて、3番目に少し新しいことを申し上げたいのですが、この憲法第95条の地方自治特別法制度の運用に関係している国会法の幾つかの条文と、地方自治法上に決められている幾つかの条文がありますが、これら国会法と地方自治法の関係条項に改正を加えまして、地方自治特別法案の提出権を関係自治体に与えることにすれば、この制度は関係自治体にとってより一層利用しやすいものになる、活用しやすいものになるということであります。

 もう時間がなくなりましたので、詳細なことは省きますけれども、これをするのは憲法の第95条に何の改正もいらない、今のままでいいと思うのです。ただ、国会法や地方自治法の改正さえすれば、私は可能なことだと思っています。ほかの各省庁の役人たちがこれに賛成するか、内閣法制局が賛成するかは別ですが、私はそう思っています。

 現在の制度で言えば、この地方自治特別法の制度を使おうと思っても、先ほどの都道府県合併の話ではありませんが、国会に法案を提出できるのは、国会議員のグループか、そうでなければ内閣しかないのです。それ以外の人々には、法案を出す権限がないのです、資格がないのです。そうすると、沖縄の関係者がこういう法律をつくってもらいたいと思っても、内閣の所管省庁を一生懸命口説いて、この場合ならやっぱり総務省でしょうか、あるいは沖縄担当大臣でしょうか、一生懸命口説いて、沖縄のためにそういう立法を立案してください。あるいは、沖縄県の住民たちが一生懸命どこかで立案した案を、これをあなた方のイニシアティブで内閣の閣議にかけて、そして、国会に提出してくださいと言って、協力をお願いします。「分かった」と言って提出してくださる方がいれば、そのルートに乗りますね。

 そうでなければ、今度は国会議員が提案する以外にないわけですから、沖縄県選出の国会議員を、衆参両院議員、超党派で結集していただいて、そして、沖縄選出の議員でこれを提出してくださいとお願いする。それだけでは数が足りなければ、まわりの人たちを抱きこんで、数を揃えて、議員グループとして提案をして、国会で審議し、成立させてくださいという議員立法をやってください。これしかないのです。どっちも不可能ではありませんけど、結構難しいことです。話だけは簡単に言えますが、本当にそんなこと動くかといったら、なかなか動かないと思います。

 一番動きやすいのは、沖縄県が案をつくって、沖縄県が提案できれば簡単なのです。そのかわり、提案後、国会審議に関係者が行って、質疑に全部国会で対応してこなければなりませんが、これ特別法ですから、その特定の地域に関わる法律をつくるときというときの規定なのですから、そこの地域の自治体に、法案の提出権を認めてもおかしくない制度ではないかと思うのです。憲法には、そのことについて何も触れていませんが、国会法、地方自治法でそれを認めれば、それは十分にあり得る制度ではないかと考えています。

 まずは、そういう制度改正を求める。こうして沖縄県に提出権が認められたら、本気になってそういうことを考えるということです。これからの道として、一つあり得るのではないかと思っているのです。

 さて、そこで最後に、今回は広域レベルの自治体の話に合わせてお話をしたのですが、全般的に現在の状況といえば、極めて国・地方を通じて窮迫したといいますか、ひっ迫した財政状況の中で、もっと極端に言えば、危機的破綻状況にある財政状況のもとで、そういう条件のもとで三位一体の改革などの一連の分権改革が進んでいく。こういう状況の中では、何よりも日常の自治体運営として、徹底した歳出削減を求められているし、これからもますます求められ続けるということは、ほとんど間違いのない事態です。これは何も沖縄の町村だけではなくて、全国の市町村にとって、あるいは都道府県にとって、そういう状況になっているのです。

 そういうときにこそ、公共サービスの住民ニーズに即応した厳しい取捨選択を行わざるを得ないわけで、それを行うためにも、住民自治の拡充が急務である。だからこそ今、我々は自治基本条例というものを考えているのだというふうに島袋先生が何度かあちこちで力説しておられますが、この基本的な時代認識というか、状況認識については、私も全く同意見であります。

 分権は遅々としていますが、分権改革は期待したほどのスピードで進まない、実に遅い速度で進んでいますが、確実に今もなお進んでいる。これからも進んでいくと私は確信しています。そうであれば、自治体にとって、明るい展望が直ちに訪れるような改革になっているかというと、残念ながらそうではないのです。ますます自治体に、徐々に徐々に自由が与えられていくということは、確実に進むと思うのですが、それが厳しい財政状況の中で進んでいる。お金が増えるわけでは全然ない。当分、その見込みはない。だから、自治体の運営としては、苦しくなる一方なのです。そのことは当分変わらないのです。この日本の経済がよほどの好転をしない限り、変わらない。あるいは、これではもうどうにもならないと国民の多くが考えて、国税、地方税の負担増を国民自身が認める。もう大幅な増税をやっていただいてやむを得ませんと言ってでもくれない限り、この状況は解消しないということなので、分権改革は引き続き進めていかなければいけないのですが、決して楽なことが明日来るというわけではない。ものすごい厳しい中を何とかして生きていかなければいけないという状況の中で、自由が徐々に与えられていくというのが今の状況なのではないかというふうに思うのです。

 そういう中でも、何とかして新しい自治の芽を作りたいと私は考え続けておりまして、きょうお話ししたこともその一環のつもりであります。

 なお、きょうは市町村合併には触れないつもりでいたのですが、市町村合併に関連をいたしまして、地方制度調査会の副会長として、途中で「西尾私案」なるものを出しまして、非常に全国にショックを与えたと言われているわけです。私は、多くの町村関係者から非難の的にされたのでありますが、もっともなところと無理もないところと、若干心外なところと両方あります。

 2007年の3月で今の合併特例法が期限切れになる。そこで市町村合併運動を終わりにするわけにはどうもいきませんね。したがって、2007年4月から、さらに第2次合併促進運動のようなものをせざるを得ないでしょうと言った。それから一定期間さらに運動を展開する。それが10年なら10年やる。その10年たってもまだ合併できなかった小さな町村は、こういう制度に移り変わっていただきましょうということを私は言ったわけで、それを私は自動合併と称していましたが、町村関係者から言えば、強制合併と変わらないではないかということで、強制合併構想だということで強く批判を受けました。それは、ある意味でそのとおりです。これが否定されるのはやむを得ないことでありますし、いかにもラディカルな乱暴なことを言っているのです。

 それはそのとおりで、そこが認められなかったからといって、当初から予想していたことですし、それほど心外ではないのですが、その中で私が打ち出した、基礎的自治体の中にもさらにある限られた区域の中で、小さな自治体をつくるという余地を認めましょうというのが地域自治組織制度といって、今度の答申でも生き残ってきて、これから立法されるでしょうが、そういう制度と、もう一つは、今の町村の担っている仕事のうちから、一部は返上してしまって、もっと狭い範囲の仕事だけを担当する、いわば特例町村制度というものを認めていくべきではないか。これが、私の提案の二つ目の眼目になっていたのです。

 沖縄の問題にひきつけて言えば、先ほど外海離島を無理矢理一つの町村にしたとしても、あまり意味はありませんねと申し上げましたが、そういうようなケースのときでも、でも、合併をすることに意義があるのだと合併をする。それならそれでいいのですけれども、そのとき、一つ一つの島の自治は依然として残るし、残らざるを得ないのではないかと思うのです。そしたら、今まで村であった一つの島ごとに、新しい自治体としてそれを認めたらどうだろうかというのが、私の地域自治組織論という方の考え方です。ですから、沖縄の場合にはそういうことも考えられる。幾つかの島を一つの町村にしたときに、従来の一つひとつの村である島、ここも新しい自治の単位ですという制度を考えてもいいのではないかというのが、この内部団体論とか地域自治組織論と呼ばれている構想です。

 それから、もうそういう合併はやめましょうというとき、それではこの小さな村が、今までどおりこれだけのたくさんの広い範囲の仕事を今後もやり続けなければいけないのか。さらには都道府県からどんどん市町村に仕事をおろすなどといっているのですが、まだまだ市町村へ仕事をおろされてきたら、全部を背負わなければいけないのでしょうか。それは小さい村にとって限度を越える話ではないでしょうかということなのです。

 今でもすでに私は無理がきているのではないかと思っているのですが、こうした数々の事務はその村が望んだことではないでしょう。国の法律で押しつけられた仕事でしょう。国民健康保険、介護保険、皆さんが望んでとった仕事でしょうか。違うのではないでしょうか。押しつけられただけで、やむを得ずやっているのではないでしょうか。そんなこと私たちの村に押しつけないでくださいと、返すことを考えたらどうですかということなのです。私たちはこの範囲で自治をやらせてくださいといって、縮小したらどうでしょうか。縮小したならば、村はちゃんとやっていけるのではないでしょうか。それ以上のことを国が期待するのならば、それは県が責任をもってくださいというほうがいいのではないかと。その方が、無理な町村合併を強行しなくても済む方策なのではないかというのが、私の提案している特例町村制の趣旨なのです。

 したがって、このうちの特例町村制の方は大変に評判が悪くて、全国から一斉に批判をされていまして、全国町村会の最近の大会の決議では、わざわざ市町村から権限を奪うことは一切認めないとかいって、決議項目の中の1項目に入っています。全く認められなくて、内部自治組織論だけが生き残ったということなのですが。特例町村制は真剣に町村関係者自身が考えて、こういう特例町村にしてくださいってことを打ち出すべきなのではないか。そのほうが町村の自治を守っていく大事な方策なのではないかと、私は心底から思っていますので、 趣旨をご理解いただければと思います。


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