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人生二度なし

font style="font-size:20px;" color="#000000">「学年始めの挨拶」(森信三修身教授録より)

○真民さんは、山本空外師と森信三先生のことを何度も詠みかつ語っている。
真民さんを通じてお二人を知った。
 森信三とは何者ぞ。明治29年愛知県生まれ、大正12年京大哲学科に入学、西田幾太郎に師事する。
昭和14年満州の建国大学に赴任、敗戦により21年帰国。
昭和28年神戸大学教育学部教授に就任。

○森信三さんが昭和12年大坂天王寺師範学校で行った講義をまとめた「修身教授録」を図書館から借りてきた。
戦前の講話にもかかわらず、その内容はいまだに新しく読む者の心を打つ。
まずはその最初の講義をきいてみよう。

○「さて今年はご縁があって、諸君たちの組の修身を受け持つことになりましたが、すべてわれわれが教えたり教えられる間柄になるということは、考えてみれば実に深い因縁といっていいでしょう。
 と申しますのも、この地球上には数十億の人間が住んでいますが、それはしばらくおくとしても、日本人だけ考えても、そのうちわれわれが一生の間に知り合う人間の数はきわめて僅かでしょう。
いわんや一生の間に、その面影を忘れない程度に知り合う間柄となると、いかにそれが少ないかということは、諸君らが過去十数年の生活を反省してみられたら、自ずと明らかなことだと思います。
 それらいろいろの人と人との関係においても、特に師弟関係というものは、一種独特の関係であって、そこには何ら利害の打算というものがないのです。
実際世に師弟の関係ほどある意味で純粋な間柄はないといえましょう。(略)
 私の考えによりますと、われわれ人間というものは、すべて自分に対して必然的に与えられた事柄については、ひとり好悪の感情をもって対しないのみか、さらに一歩をすすめて、これを「天命」として謹んでお受けをするということが大切だと思うのです。
同時にかくして初めてわれわれは、真に絶対的態度に立つことができると思うのです。
ですからわれわれも、ここにこうして1年間を共に学ぶことになったということは、天の命として謹んでこれをお受けし、ひとり好悪を言わないのみか、これこそ真に自分を生かすゆえんとして、その最善を尽くすべきだと思うのです。
 ところで今私の申したことは、ひとり学科の担任というようなことのみならず、広くは人生におけるわれわれの態度の上にも言い得ることであって、われわれはこの世において、わが身の上に起こる一切の事柄に対して、すべてこのような態度をもって臨むべきだと思うべきだと思うのです。
 ですからたとえば親が病気になったとか、あるいは家が破産して上級学校へ行けなくなったとか、およそ我が身に降りかかる事柄は、すべてこれを天の命として慎んでお受けをするということが、われわれにとっては最前の人生態度と思うわけです。
ですからこの根本の一点に心の腰のすわらない間は、人間も真に確立したとは言えないと思うわけです。
したがってここにわれわれの修養の根本目標があると共に、また、真の人間生活は、ここからして出発すると考えているのです。
 さて以上のことを、言い換えれば、われわれはすべてわが身に連なるもろもろの因縁をかたじけなく思って、これをおろそかにしてはならぬということです。(略)
 ですからこの深い因縁をかたじけなく思って、共にこの1年間を学ばねばならぬと思うのです。
では、ここに学年始めに当たり、諸君の組を受け持つことになった御縁を感謝しつつ、ご挨拶の言葉とする次第です。」

○まことに森先生の言うとおりである。
わたくしもわたくしに起こることを感謝をもって受け止め、人の出会いの不思議さをかたじけなく思って生きていきたいものだ。

  「人生二度なし」(森信三「修身教授録」2第3講より)

○坂村真民さんはこう書いている。

「『人生二度なし』これは森信三先生のお言葉。これをしっかと丹田に打ち込むこと。

特に晩年になるほど、これは大切である。

私は森信三先生にお会いして、やっと腹が決まり、『詩国』を発刊し、五〇〇号になった。

その間一回も休まず、入院もしない。凡ては先生のおかげである。皆さんもどうか、
このお言葉を、骨肉に浸透して下さい。」



○先生は今日はモーニングを着用して来られた。一礼された後、

「人生二度なし」という題と共に、次の歌を無言のまま板書された。

 高山の頂にして親と子の心相寄るはあわれなるかな

「諸君この歌のうちで一番いいところはどこだと思いますか。」

「心相寄るはーというところが好きです。」と生徒の一人が答えた。

「ここが一番よいところです。これは赤彦でなければ言えないところです。

赤彦は学歴としては、長野師範学校を出ただけです。

それでいて万葉以後の歌人となったのです。

それゆえ諸君が志を立てるには、明治以後の人のうちでは、最もよい目標の一人といえましょう。

 とにかく人間は、地位とか学歴とかに引掛っている間は真に徹底した生き方はできないものです。

学歴というようなけち臭いものに引掛っている間は、その人の生命は十分には伸び切らないからです。

もちろん一方では、人間は自分の地位、さらには学歴というようなものについての謙虚さがなくてはなりません。

しかしながら、その内面精神においては、一切の世俗的な制約を越えて、高邁な識見を内に蔵していなくてはならぬのです。

そもそも人間はその外面を突き破り内に無限の世界を開いてこそ真に優れた人と言えましょう。

 さて、われわれのこの人生は、二度と再び繰り返し得ないものであると言っても、諸君らはあまりたいして驚かないかもしれません。

私なども、諸君くらいの年頃には、この人生の最大事実に対しても、一向に無関心でいたから、もっともなことでもあるのです。

 そもそもこの世の中のことは、多少の例外があるものですが、この「人生二度なし」という真理のみは、古来ただ一つの例外すらないのです。

諸君らが、この「人生二度なし」という言葉に対して、深く驚かないのは、無意識のうちに自分だけはその例外としているからではないでしょうか。

もちろん諸君らも意識すれば、自分をその例外であるなどと考えている人は、一人もないに相違ないのです。

要するに諸君たちが自分の生命に対して真に深く思いをいたしていない何よりの証拠だといえましょう。

すなわち諸君らが二度とない一生をこの人の世にうけながら、それに対して、深い愛惜尊重の念を持たない点に基因すると思うわけです。

 われわれは、わずか一日の遠足にさえ、プランを立て、調査をするわけです。

しかるにこの二度とない人生について、人々は果たしてどれほどの調査と研究とをしているでしょうか。

否、この「人生二度なし」ということさえ、常に念頭深く置いている人は少ないかと思うのです。

これ古来多くの人が、たえず生きかわり死にかわりするけれど、しかも深く人生の意義と価値とを実現する人の少ないゆえんかもしれません。

 そもそも人生の意義については、いろいろ考え方がありましょうが、われわれ日本人としては、自分が天から受けた力をこの肉体的生命の許される限り、十分に実現して人々のために尽くし、さらにこの肉体の朽ち果てた後にも、なおその精神がこの国土に残って、後にくる人々の心に、同様な自覚の火を点ずることにあるかと思うのです。

かくしてわれわれが人間としてこの世に生まれてきた意味は、この肉体が朽ち果てると同時に消え去るのでは、まだ十分とは言えないです。

この肉体の朽ちると共に、同時にその人の存在の意味も消え去るのでは、実は肉体の生きている間も、その精神は十分には生きていなかったと言っていいでしょう。

二宮尊徳翁はその「夜話」の中で

「生きているうちに神でない人が、死んだからといって、神に祀られる道理はない。

それはちょうど、生きているうちに鰹でなかったものが、死んだからといって、急に
鰹節にならぬのと同じだ」

と言っていますが、さすがに大哲人の言葉だけあります。

生前真にその精神の生きていた人は、たとえその肉体は亡びても丁度鐘の余韻が残るようにその精神は必ずや死後にも残ることでしょう。

 こう考えると、諸君らは今こそここに志を立てるべき時です。

そのような志が真に確立しない限り、諸君らは真に深く自分の生命を愛惜するとは言えないでしょう。

何となれば、真の精神は不滅であり、いかに凡人でもその生涯を深い真実に生きたならば、必ずやその死後、何らかの意味でその余韻を残しているからです。

人間が死後にも生きる精神とは、結局その人の生前における真実心そのもので、その真実の深さに比例して、その人の精神は死後にも残るのです。

かくして人生の真のスタートは、この「人生二度なし」という真理を、その人がいかに痛感することから、始まると言ってよいでしょう。」


《二度とない人生だから》 by 坂村 真民

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳をかたむけてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないようこ
こころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ぺんでも多く便りをしよう
返事は必ず書くことにしよう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから
のぼる日 しずむ日
まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの星星の光にふれて
わがこころをあらいきよめてゆこう

二度とない人生だから
戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を一篇でも多く作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる若い人たちのために
この大願を書きつづけてゆこう
 
○女子レスリングの浜口京子さんのお父さんの「気合だあ!」はよく知られている。

あまりに人口に膾炙(かいしゃ)されすぎて、どっか遠ざける気持ちもあった。

ところが、この言葉が森信三先生の「人生二度なし」から来ていると語っているのをみて驚いた。

「僕は気合ということを、教育者・森信三先生の『修身教授録』から教わりました。

この本の中にある、

「二度とない人生、いかに生きるかという、生涯の根本方向を洞察する見識並びにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち勝つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならない」

という一節に救われたんです。」

なんと「修身教授録」を読まれていたんだ。

しかも、森信三先生の思想の精髄といえる「人生二度なし」に感動し生まれた言葉だと知って本当にびっくりした。

これはこっちも気合をいれて浜口京子選手を応援しなくちゃなんて思ったくらいだ。

アニマル浜口さんの「気合だ!」も新鮮な気持ちで聞いた。

ふふ、人の心は感動によって変わるのだ。

浜口さんは40歳でプロレスを引退した後、ボディビルジムを開いた。

そして「ミスター東京」シニア部門で優勝もした。

そして再びプロレスの世界に復帰したが、試合で投げられて首を痛め、再びリングを降りた。

「そんな最悪の状態の中で救ってくれたのが森信三の『修身教授録』だった。

彼は京都大学の西田幾多郎門下の哲学者で、この本は彼が昭和12~14年に大阪天王寺師範学校で行った終身の講義をまとめたものだ。

たまたま雑誌で紹介されているのを見たのだが、そこに書かれている言葉のすべては、私の頭に雷を落としたようだった。

特に
『二度とない人生、いかに生きるかという、生涯の根本方法を洞察する見識、並びにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち勝つ大決心を打ち立てる覚悟はなくてはならぬものです』という言葉の衝撃は今でも忘れられない。

自分も二度とない人士を熱く燃えていこうと思い、この覚悟を常に忘れないためになにかいい表現はないかと考えた。

それが『気合だ!燃えろ!』というフレーズだった。」


こんなことも言っている。

・気合と笑いと、もう一つ大切なものがあるんですね。静寂です。

・「感謝、発奮、謙虚」、この三つが僕の座右の銘です。

・道をひらくためには何よりも努力を継続することが大事なのかもしれませんね。それと併せて僕はもう一つ重要な鍵があるような気がします。
 恩です。人として生きていく以上、恩を忘れちゃいかん。



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