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二宮翁夜話巻の2【27】~【38】

二宮翁夜話巻の2

【27】 翁曰く、
仏書に、光明遍照(こうみやうへんせう)十方世界、念仏衆生(ねんぶつしゆじやう)摂取不捨(せつしゆふしや)といへり。
光明とは太陽の光を云ふ。
十方とは東西南北乾(いぬゐ)坤(ひつじさる)巽(たつみ)艮(うしとら)の八方に、天地を加へて十方と云ふなり。
念仏衆生とは、此の大陽の徳を念じ慕ふ、一切の生物を云ふ。
夫れ天地間に生育する物、有情(うじやう)蠢動(しゆんだう)の物は勿論、無情の草木と雖(いへども)、皆大陽の徳を慕ひて、生々を念とす。此念ある物を仏国故に念仏衆生と云ふなり、神国にては念神(ねんしん)衆生と読むべし。
故に此の念ある者は洩さず、生育を遂させて捨て玉はずと云ふ事にて、太陽の大徳を述べし物なり。
則ち我が天照大神(あまてらすおほみかみ)の事なり。
此の如く太陽の徳は、広大なりといへども、芽を出さんとする念慮、育てんとする気力なき物は仕方なし。
芽を出さんとする念慮、育たんとする生気ある物なれば、皆是を芽だたせ、育たせ給ふ、是れ太陽の大徳なり。
夫れ我無利足金貸附の法は、此の太陽の徳に象(かたど)りて、立てたるなり。
故に如何なる大借といへ共、人情を失はず利足を滞りなく済し居る者、又是非とも皆済して他に損失を掛じ、と云ふ念慮ある者は、譬へば、芽を出したい、育ちたいと云ふ生気ある草木(くさき)に同じければ、此の無利子金を貸して引立べし。
無利子の金といへども、人情なく利子も済さず、元金をも蹈倒(ふみたふ)さんとする者は、既に生気なき草木に同じ、所謂(いはゆる)縁無き衆生なり。
之を如何(いかに)ともすべからず、捨て置くの外に道なきなり。

【27】尊徳先生はおっしゃった。
「仏書に、光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨という。
光明とは太陽の光をいう。
十方とは東西南北乾坤巽艮の八方に、天地を加えて十方という。
念仏衆生とは、この太陽の徳を念じて慕う、一切の生物をいう。
天地の間に生育する物、命あるものはもちろん、無情の草木であっても、皆太陽の徳を慕って、生きることを念とする、
この念ある物を仏国ゆえに念仏衆生というのである。
神国であれば念神衆生と読めばよい。
だからこの念のある者はもらさず、生育をとげさせて捨てることがないという事で、太陽の大徳を述べたものである。
我が国の天照大神の事である。
このように太陽の徳は、広大であるが、芽を出そうとする念い、育とうとする気力がない物は仕方がない、
芽を出さんとする念い、育とうとする生気ある物であれば、皆これを芽を出させ、育たせるのである。
これは太陽の大徳である。
私の無利息金貸付の法は、この太陽の徳にかたどって、立てたものである。
だからどんな大借であっても、人情を失わず利息を滞りなく済せている者が、またぜひとも皆済して他に損失をかけるまい、という念いがある者であれば、たとえば、芽を出したい、育ちたいという生気のある草木に同じであれば、この無利子金を貸して引き立てるがよい。
無利子の金であっても、人情がなく利子も払わず、元金をも踏み倒そうとする者は、すでに生気のない草木と同じで、いわゆる縁なき衆生である。
これをどうともすることができない、捨て置くより外に道がない。。

【28】或(ある)人問ふて曰、
仏教に色則是空々則是色といへるは、如何(いか)なる意ぞ、
翁曰く、譬(たとへ)ば二一天作(てんさく)の五、二五十と云ふに同じ。
只(ただ)其の云ひ様の妙なるのみなり、
深意あるが如く聞ゆれ共、別に深意あるにあらざるなり。
夫れ天地間の万物、眼(め)に見ゆる物を色といひ、眼に見えざる物を空と云へるなり。
空といへば何も無きが如く思へ共、既に気あり、気あるが故に直(ただち)に色を顕(あらは)すなり。
譬(たとへ)ば氷と水との如し。
氷は寒気に依つて結び、暖気に因つて解く、
水は寒に因つて。死して氷となり、氷は暖気に因つて死して元の水に帰す。
生ずれば滅し、滅すれば生ず。
然れば、有常も有常にあらず無常も無常にあらず。
此の道理を色則是空空則是色と説けるなり。

【28】ある人が尊徳先生に質問した。
「仏経(般若心経)に色則是空空則是色(しきそくぜくうくうそくぜしき)というのは、どのような意味でしょうか。」
先生がおっしゃった。
「たとえば、二一天作の五(10÷2=5割り算の九九)、二五十というのと同じだ。
ただその言いようが妙味があるだけだ。
深い意味があるように聞こえるが、別に深い意味があるわけではない。
天地間の万物の目に見える物を色といい。目に見えない物を空という。
空というと何も無いように思うが、すでに気がある。
気があるため直ちに色(しき)を顕(あらわ)す。
たとえば氷と水とのようなものだ。
氷は寒気によって結んで、暖気によって解ける。
水は寒気によって死して氷となり、氷は暖気によって死して元の水に帰る。
生ずれば滅し、滅すれば生ずる、
そうであれば有常も有常ではない。
無常も無常ではない。
この道理を色則是空空則是色と説いたのである。

【29】翁、僧弁算(べんさん)に問ふて曰く、
仏一代の説法無量なり、然りといへ共、区々の意あるべからず、
若し一切経蔵に題せん時は如何(いかん)。
弁算対へて曰く、
経に、諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゆぜんぶぎやう)、と云へり、
此の二句以て、万巻の一切経を覆ふべし。
翁曰く、
然り。

【29】尊徳先生が弁算和尚に問うておっしゃった。
「仏が一代の説法は無量である。
しかしながら、区々の意があるわけではなかろう。
もし一切の経蔵に一言で題する時はどう言えばよいか。」
弁算和尚は答えて言った。
経典に「諸悪莫作(しょあくまくさ:もろもろの悪をなすなかれ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう:もろもろの善を実践せよ)という。
この二句をもって、万巻の一切経を覆うことができよう。」
先生はおっしゃった。
「そのとおりだ。」

【30】翁曰く、
仏教に極楽世界の事を説きて、赤色(しやくしき)には赤光(しやくくわう)有り、青色(せいしき)には青光(せいくわう)ありと云へり。
極楽といへ共珍らしき事あるにあらず、人皆銘々己が家株田畑は、己に作徳あり、己が商売職業は、己に利益あり、己が家屋敷は、己が安宅(あんたく)となり、己が家財は、己が身の用便になり、己が親兄弟は、己が身に親しく、己が妻子は、己が身に楽しく、又田畑は美はしく、米麦百穀を産出し、山林は繁茂して良材を出す、是を赤色には赤光あり、青色には青光ありといふなり。
此の如くなれば、此の土則ち極楽なり。
此の極楽を得るの道、各受け得たる天禄の分内を守るにあり。
若し一度(たび)天禄の分度を失はば、己が家株田畑己が作徳にならず、己が商売己が職業己が利益にならず、己が安住すべき家屋敷己が安宅にならず、己が家財己が身の用便にならず、己が妻子親族も己に楽しからず、又田畑は荒れて米麦(べいばく)を生ぜず、山林は藤蔦(ふぢつた)にまとはれ野火(のび)に焼けて材木を出さず、是を赤色には赤光なし、青色には青光なしといふ、苦患(くげん)是より大なるはなし、則所謂(いはゆる)地獄なり、餓鬼界(がきかい)に落つるものは、飢へ喰(くら)はんとすれば食忽(たちまち)に火となり、渇(かつ)して飲まんとすれば水直ちに火となると云へり、是則ち人々天より賜はり、父祖より請け伝へたる天禄を利足に取られ賄賂(わいろ)に費し、己が衣食の足らざるは、何ぞ是に異らん、是れ苦患の極にあらずや。
夫れ我が仕法は経を読まず念仏も題目も唱へずして、此の苦罪を消滅せしめて極楽を得させ、青色をして青色あらしめ、赤色をして赤色あらしむるの大道なり。

【30】尊徳先生はおっしゃった。
「仏教に極楽世界の事を説いて、赤色には赤光があり、青色には青光があるという。
極楽といっても珍らしい事があるわけではない。
人皆それぞれ自分の家や田畑は、作物のできる徳がある。
自分の商売や職業は、利益がある。
自分の家屋敷は、安宅となる。
自分の家財は、身の用便となり、
自分の親兄弟は、身に親しく、
自分の妻子は、身に楽しく、
また田畑はうるわしく米麦百穀を産出し、山林は繁茂して良材を出す、これを赤色には赤光があり、青色には青光があるというのだ。
このようであれば、この土はすなわち極楽である。
この極楽を得る道は、おのおの受け得たところの天禄の分内を守ることにある。
もし一度天禄の分度を失なうならば、
自分の家や田畑は作徳にならず、
自分の商売、自分の職業は利益にならず、
自分が安住するべき家屋敷は自分が安宅にならず、
自分の家財は身の用便にならず、
自分の妻子親族も楽しくなく、
また田畑は荒れて米麦を生ずることなく、
山林は藤やつたにまとわれて野火に焼けて材木を出さない、
これを赤色には赤光がなく、青色には青光がないというのだ。
苦しみはこれより大きいものはない。
これがいわゆる地獄である、
餓鬼界に落ちるものは、飢えて食べようとすると食べ物がすぐに火となり、
のどがかわいて飲もうとすれば水がすぐに火となるという。
これは人々が天より賜わった、父祖より請け伝えた天禄を利息に取られ、賄賂につかって、自分の衣食が足らないのと、何が異なろう。
これが苦しみの極みではないか。
私の仕法はお経を読まず念仏も題目も唱えないで、この苦罪を消滅させて極楽を得させ、青色をして青色あらしめ、赤色をして赤色あらしめようという大道である。

【31】翁曰く、
世界万般皆同じく一理なり、
予一草を以て万理を究(きは)む、
儒書に、其の書始は一理を言ひ、中は散じて万事となり、末復た合して一理となる、
之を放(はな)てば則ち六合に弥(わた)り、之を巻けば退(しりぞひ)て密(みつ)に蔵(かく)る、其の味ひ窮りなし、とあり、
今戯(たはむれ)に、一草を以て之を読まん、
曰く、此の草始めは一種なり、蒔けば発して根葉となり、実法(みの)れば合して一種となる、之を蒔き植れば六合に弥(わた)り、之を蔵(をさむ)れば密(みつ)に蔵(かく)る、之を食すれば其の味ひ窮りなし、又仏語に、本来東西無し、何れの処に南北ある、迷ふが故に三界城、悟るが故に十方空、とあり、
又一草を以て之を読まん、
曰く、本来根葉なし、何れの処に根葉ある、植ゑるが故に根葉の草、実法るが故に根葉空し、呵々

【31】尊徳先生はおっしゃった。
世界万般皆同じく一理である。
私は一草をもって万理をきわめた。
儒書に、その書、始めは一理をいい、中は散じて万事となり、末はまた合して一理となる、
これをはなてば六合(りくごう:上下と東西南北の六つの方角。天下。世界。)にわたり、これを巻けば退いて密(みつ)にかくる、その味い窮りなし、とある。
今たわむれに、一草をもってこれを読んでみよう。
この草、始めは一粒の種である。
蒔けば発芽して根葉となり、実れば合して一粒の種となる、
これをまき植えれば六合にわたり、これをおさむれば密に蔵れる、これを食すればその味い窮りなし。
また仏語に、本来東西無し、いずれのところに南北があろう、迷うために三界城となり、悟るために十方空となる、とある。
また一草でこれを読んでみよう。
本来根葉なし、いずれのところに根や葉があろう、植えるがために根葉の草、実るが故に根葉空し、ハハ。

【32】或(あるひと)道を論じて条理無し。
翁曰く、
卿(きみ)が説は悟道と人道と混(こん)ず、悟道を以て論ずるか、人道を以て論ずるか、悟道は人道に混ずべからず、如何(いかん)となれば、人道の是(ぜ)とする処は、悟道に所謂(いはゆる)三界城なり、悟道を主張すれば、人道蔑如(べつじよ)たり、
其の相(あひ)隔るや、天地と雲泥とのごとし。
故に先づ其の居所(ゐどころ)を定めて、然して後に論ずべし、居所定らざれば、目のなき秤(はかり)を以て軽重(けいちよう)を量(はか)るがごとく、終日弁論するといへども、其の当否(たうひ)を知るべからず。
夫れ悟道とは、譬(たとへ)ば当年は違作ならんと、未だ耕さゞるの前に観ずるが如きを云ふ、
是を人道に用ひて違作なるべき間(あひだ)、耕作を休まんと云はば、人道にあらず、田畑は開拓するとも又荒るゝは自然の道なりと見るは悟道なり、而して荒るればとて開拓せざるは、人道にあらず、
川附(かはつき)の田地洪水あれば流失すると云ふ事を平日に見るは、悟道なり、
然して耕さず肥しせざるは、人道にあらず、
夫れ悟道は只(ただ)自然の行く処を見るのみにして、人道は行き当る所まで行くべし。
古語に、父母に事ふる幾(やうや)くに諌(いさ)む、志の随はざるをみて、敬して違(たがは)ず、労して恨(うらみ)ず、とあり、是れ人道の至極(しごく)を尽せり。
発句(ほっく)にも「いざさらば雪見にころぶ所まで」と云へり、是れ又其の心なり。
故に予常に曰く、
親の看病をして、最早(もはや)覚束(おぼつか)なしなどゝ見るものは、親子の至情を尽すことあたはじ、
魂(たましひ)去り体(たい)冷(ひへ)て後も、未だ全快あらんかと思ふ者にあらざれば、尽すと云ふべからず。
故に悟道と人道とは混合すべからず、
悟道は只、自然の行く処を観じて、然して勤むる処は、人道にあるなり。
夫れ人倫の道とする処は、仏(ぶつ)に所謂(いはゆる)三界城裏(さんかいじやうり)の事なり、
十方空を唱ふる時は、人道は滅すべし、知識(ちしき)を尊み娼妓(しやうぎ)を賎しむは迷ひなり、
左はいへども、如此(かくのごとく)迷はざれば人倫行はれず、
迷ふが故に人倫は立つなり、
故に悟道は人倫に益なし、
然りといへども、悟道にあらざれば、執着(しうぢやく)を脱する事能はず、是れ悟道の妙なり、
人倫は譬ば繩を索(な)ふが如し、よりのかゝるを以てよしとす、
悟道は縷(より)を戻(もど)すが如し、故によりを戻すを以て善とす、
人倫は家を造るなり、故に丸木を削りて角とし、曲れるを揉(た)めて直とし、長を伐(き)りて短とし、短を継ぎて長くし、穴を穿ち溝を掘り、然して家作(かさく)を為す、
是れ則ち迷故三界城内の仕事なり、
然かるを本来なき家なりと破るは悟道なり、破つて捨つる故に十方空に帰するなり、
然りといへども、迷と云ひ悟と云ふは、未だ徹底せざる物なり、
其の本源を極れば迷(まよひ)悟(さとり)ともになし、
迷といへば悟と言はざる事を得ず、悟といへば迷と言はざる事を得ず、本来迷悟にて一円なり。
譬へば草木の如き、一種よりして、或は根を生じて土中の潤沢をすひ、或枝葉を発して大虚の空気を吸ひ、花を開き実を結ぶ、是を種より見ば迷と云べし、然りと雖も、忽(たちま)ち秋風に逢へば枯れ果(はて)て本来の種に帰す、種に帰するといへども、又春陽に逢へば忽ち枝葉花実を発生す、
然らば則ち、種となりたるが迷か、草となりたるが迷か、草に成りたるが本体か、種になりたるが本体か、
是に因て是を観るに、生ずるも生ずるにあらず枯るゝも枯るるに非ず、されば、無常も無常にあらず有常も有常にあらず、皆旋転(せんてん)不止(ふし)の世界に住する物なればなり、
予が歌に
「咲けばちりちれば又さく年毎に詠(なが)め尽せぬ花のいろいろ」
一笑すべし。

【32】ある人が、道を論じて筋道が通っていなかった。
尊徳先生がおっしゃった。
「あなたの説は、悟道と人道と混同している。悟道をもって論ずるのか、人道をもって論ずるのか、悟道は人道に混同してはならない。
なぜかといえば、人道のよしとするところは、悟道にいわゆる三界城(迷いの世界)である。
悟道を主張すれば、人道は軽蔑すべきである。その間を隔てること、天地と雲泥のようである。だから先にその居場所を定めて、それから後に論ずるがよい。
居場所を定めないと、目がなき秤(はかり)で重さを量るようで、終日弁論しても、その当否を知ることはできない。
悟道というのは、たとえば今年は不作であろうと、まだ耕さない前に観ずるようなことをいう。これを人道に用いて不作であるから、耕作を休もうというのは、人道ではない。
田畑は開拓してもまた荒れるのは自然の道であると見るのは、悟道である。そして荒れるからといって開拓しないのは、人道ではない。
川のそばの田畑は洪水があれば流失するということを平日に見るのは悟道である。そうかといって耕さず肥料をやらないのは、人道ではない。
悟道とはただ自然の行くところ見るだけであり、人道は行き当る所まで行くべきものである。
論語に、父母につかえては繰り返しいさめ、その志が通じないときは、敬って違わない、努力して怨まない、とある。これが人道の極地を尽したというべきだ。
俳句にも「いざさらば雪見にころぶ所まで」という。これがその心である。
だから私は常に言うのだ。
親を看病して、もはやおぼつかないなどと見るものは、親子の至情を尽すことはできない。
魂が去って体が冷えて後も、まだ全快あろうかと思う者でなければ、尽すと言ってはならない。だから悟道と人道とは混合してはならない。悟道はただ、自然の行くところ観じ、そして勤めるところは、人道にある。人間の道とするところは、仏教にいわゆる三界城裏(迷いの世界)の事である。十方空を唱える時は、人道は滅するであろう。
善知識(僧侶)を尊び、娼妓(しょうぎ)を賤しむのは迷いである。そうはいってもこのように迷わなければ人倫は行われない。迷うが故に人倫は立つのである。だから悟道は人倫に益はない。そうであっても、悟道でなければ、執着を脱する事はできない。これが悟道の妙である。人倫はたとえば繩をなうようなものだ。よりがかかるのをよしとする、悟道はよりを戻すようなものだ。だからよりを戻すことをもって善とする、
人倫は家を造るようなものだ、だから丸木を削って角材とし、曲ったのをためて直とし、長いのを切って短かくし、短いのを継いで長くし、穴をうがって溝を掘り、そして家を作るのである。これはすなわち迷うが故に三界城内の仕事である。それを本来なき家なりと破るのは悟道である。破って捨てる故に十方空に帰するのである。しかし、迷いといい悟りというのは、まだ徹底していない。その本源を極めるならば迷いも悟りもともとない。
迷いといえば悟りと言わざる事を得ない。悟りといえば迷いと言わざる事を得ない。本来迷いと悟りで一円の世界である。たとえば草木のように、一粒の種から生じて、あるいは根を生じて土中の潤いを吸って、あるいは枝葉を発して大気の空気を吸い、花を開いて実を結ぶ、これを種から見るときは迷いというべきだ。そうかといって、秋風にあえば枯れはて本来の種に帰る。種に帰ったといっても、また春陽にあえば枝葉花実を発生する、そうであれば、種となったのが迷いか、草となったのが迷いか、草に成ったのか本体か、種になったのが本体か、
これに因ってこれを観るに、生ずるのも生ずるのではない、枯れるのも枯れるのではない。
そうであれば無常も無常ではなく有常も有常ではない。皆旋転して止まない世界に住するものであるからである。
私の歌に
「咲けばちりちれば又さく年毎に詠(ナガ)め尽せぬ花のいろいろ」と詠んだのもその心だ。
一笑するがよい。

【33】俗儒あり、翁(をう)の愛護を受けて儒学を子弟に教ふ、
一日近村に行つて大飲し酔ふて路傍に臥し醜体を極めたり。
弟子某氏の子、是を見て、翌日より教へを受けず、儒生憤りて、翁に謂ひて曰く、
予が所行の不善云ふまでにあらずといへども、予が教ふる処は聖人の書なり、
予が行(おこなひ)の不善を見て併せて聖人の道を捨つるの理あらんや、
君説諭して、再び学に就かしめよ、と乞ふ。
翁曰く、君憤る事なかれ、
我れ譬へを以て是を解せん、
爰(ここ)に米あり、飯に炊(かし)いで糞桶(くそおけ)に入れんに、君是を食はんか、
夫れ元清浄なる米飯に疑ひなし、只糞桶に入れしのみなり、
然るに、人是を食する者なし、是を食するは只犬のみ、
君が学文(がくもん)又是におなじ、
元赫々(かくかく)たる聖人の学なれども、卿(きみ)が糞桶の口より講説する故に、子弟等聴かざるなり。
其の聴かざるを不理と云ふべけんや、
夫れ卿は中国の産(うま)れと聞けり、
誰(たれ)に頼まれて此の地に来りしぞ、又何の用事ありて来りしや、
夫れ家を出でずして、教へを国になすは聖人の道なり、
今此処(ここ)に来りて、予が食客となる、是れ何故(なにゆゑ)ぞ、
口腹を養ふのみならば、農商をなして足るべし、
卿(きみ)何故に学問をせしや。
儒生曰く、
我過てり、我只人に勝たむ事のみを欲して読書せるなり、
我過てり、と云ひて謝して去れり。

【33】俗儒があった。
尊徳先生の愛護を受けて、儒学を子弟に教えていた。
ある日近村に行って大酒を飲んで、酔って道傍にふして醜体を極めた。
弟子のある子は、これを見て、翌日から教えを受けに来なかった。
儒生は憤って、先生にこう言った。
「私の行いが不善はいうまでもない。
しかし、私が教えるところは聖人の書である。
私の行いが不善を見て、あわせて聖人の道を捨てるという理屈があろうか。
あなたが説諭して、再び学ぶように来させてください。」とこうた。
尊徳先生はおっしゃった。
「あなたは憤ってはならない。
私がたとえをもってこれを解説してあげよう。
ここに米があるとする。
ご飯に炊いでで糞桶に入れて出したとして、君はこれを食べるか。
もとは清浄な米飯であることは疑いない。
ただ糞桶に入れただけである。
しかし、人がこれを食べる者はない。
これを食べるのはただ犬だけであろう。
君が学問もまたこれと同じだ。
もと光り輝く聖人の学だが、あなたが糞桶の口から講説するために、子弟が聴かないのだ。
その聴)かないのを不理というか。
あなたは中国の産れだと聞いた。
誰に頼まれて、この地に来たのか。また何の用事があって来たのか。
家を出ないで、教えを国になすのが聖人の道である。
今ここに来て、私の食客となる、これは何のためか。
口腹を養うだけであれば、農商をなせばよかろう。
あなたは何のために学問をしているのか。」
儒生は言った。
「私が過っていました。私はただ人に勝つ事だけを欲して読書していました。
私は過っていました。」と言って謝して去っていた。

【34】或(ある)人論語曾点(そうてん)の章を問ふ。
翁曰く、
此の章は左程(さほど)に六ヶ敷(むつかしき)訳(わ)けにはあるまじ、
三子の志余り理屈に過たれば、我は点に組せんと、一転したるのみなるべし。
三子同く皆、舞ウに風して詠じて帰らん、と云はゞ、
孔子又一転して、用を節にして人を愛し、民を使ふに時を以てす、とか、言忠信(げんちゅうしん)行篤敬(かうとくけい)などゝ云ふなるべし、
別に深意あるにはあらず、則前言は是に戯(たはむ)るゝのみの類なるべし。

【34】ある人が尊徳先生に論語の曾点(そうてん)の章のことを質問した。
尊徳先生はおっしゃった。
「この章はそれほど難しく考える必要はなかろう。
三子の志があまりに理屈に過ぎていたから、私は点に仲間しようと、一転しただけであろう。
三子とも同じく皆、舞って歌を詠って帰ろうと言ったならば、孔子はまた一転して、
費用を節約して人を愛し、民を使うときは農耕の時期でないようにするだとか、
言は真心があり信がおけるようにし、行いはあつく敬うようにするなどと言ったであろう。
別に深意があるわけではない。
孔子の言葉はただ戯れただけなのだ。

☆子路(しろ)・曽皙(そうせき)・冉有(ぜんゆう)・公西華(こうせいか)、侍坐(じざ)す。
子日わく、
吾(わ)が一日(いちじつ)爾(なんじ)より長(ちょう)ぜるを以(もっ)て、吾(われ)を以てすること母(な)かれ。
居(お)れば則(すなわ)ち日(いわ)く、吾を知(し)らずと。
如(も)し爾を知(し)る或(あ)らば、則ち何(なに)を以てせんや。
子路率爾(そつじ)として対(こた)えて日(いわ)く、
千乘(せんじょう)の国(くに)、大国(たいこく)の間(あいだ)に摂(はさ)まれて、之(これ)に加(くわ)うるに師旅(しりょ)を以てし、之に因(よ)るに饑饉(ききん)を以てせんに、由(ゆう)や之を為(おさ)めて三年(さんねん)に及(およ)ぶ比(ころ)には、勇(ゆう)ありて且(か)つ方(みち)を知(し)らしむべきなり。
夫子(ふうし)之を哂(わら)う。
求(きゅう)、爾(なんじ)は何如(いかん)。
対えて日く、
方(ほう)六七十、如(も)しくは五六十、求や之を為め、三年に及ぶ比には、民(たみ)を足(た)らしむべきなり。其(そ)の礼楽(れいがく)の如(ごと)きは、以て君子(くんし)を俟(ま)たん。
赤(せき)、爾(なんじ)は何如。
対えて日く、之を能(よ)くすると日(い)うには非(あら)ず。
願(ねが)わくは学(まな)ばん。
宗廟(そうびょう)の事(こと)、如(も)しくは会同(かいどう)に端章甫(たんしょうほ)して、願わくは小相(しょうしょう)たらん。
点(てん)、爾は何如。
瑟(しつ)を鼓(ひ)くこと希(まれ)なり。
鏗爾(こうじ)として瑟を舎(お)きて作(た)ち、対えて日わく、
三子者(さんししゃ)の撰(せん)に異(こと)なり。
子日わく、
何(なん)ぞ傷(いた)まんや、亦(また)各(おのおの)其(そ)の志(こころざし)を言(い)うなり。
日く、莫春(ぼしゅん)には春服(しゅんぷく)既(すで)に成(な)り、冠者(かんじゃ)五六人(にん)、童子(どうし)六七人、沂(き)に浴(よく)し、舞雨(ぶう)に風(ふう)し、詠(えい)じて帰(かえ)らん。
夫子(ふうし)喟然(きぜん)として歎(たん)じて日わく、
吾(われ)は点(てん)に与(くみ)せん。
三子者出(い)ず。
曽皙後(おく)れたり。
曽皙日く、
夫(か)の三子者の言(げん)は何如(いかん)。
子日わく、亦各其の志を言えるのみ。
日く、夫子(ふうし)何(なん)ぞ由(ゆう)を哂(わら)うや。
日わく、国を為(おさ)むるには礼(れい)を以(もっ)てす。
其の言(げん)譲(ゆず)らず。是(こ)の故(ゆえ)に之を哂う。
唯(こ)れ求は則(すなわ)ち邦(くに)に非(あら)ずや。安(いずく)んぞ方(ほう)六七十如(も)しくは五六十にして邦に非ざる者(もの)を見(み)ん。
唯れ赤は則ち邦に非ずや、宗廟(そうびょう)会同(かいどう)は諸侯(しょこう)に非ずして何ぞや。
赤や之が小(しょう)たらば、孰(たれ)か能(よ)く大(だい)たらん。

【35】翁、売卜者(ばいぼくしや)の看板に日月を画(ゑが)きたるを見て、曰く、
彼が看板に日月を画(ゑが)きたると、仏寺にて金箔の仏像を安置すると、同じ思付(おもひつき)にて、仏(ぶつ)は巧みを極め、売卜者は、拙(せつ)を極めたり。
夫れ日は丸く赤く、三日月は細く白し、
夫を其儘(まま)に画きたるは正直なりといへ共(ども)愚の至り拙の至りなり。
故に尊げなし。
然るに仏氏は是を人体に写し、尤(もっと)も人の尊む処の黄金(わうごん)の光をかりて、其の尊きを示す。
仏氏の工夫の巧妙なる、売卜者の輩(ともがら)の遠く及ばざる処なり。

【35】尊徳先生が 占いを行う者の看板に日月を描いたのを見て、おっしゃった。
「彼が看板に日月を描いたのと、寺で金箔の仏像を安置しているのと、同じ思いつきであり、仏は巧みを極め、占い者は、拙を極めている。
太陽は丸く赤く、三日月は細く白い。
それをそのままに描いたのは正直といえるが、愚かさの至り、つたなさの至りである。
だから尊くないのだ。
これに対し、仏氏は仏をを人体に写し、もっとも人の尊ぶところの黄金の光をかりて、その尊さを示している。
仏氏の工夫の巧妙であることは、占い者の仲間の遠く及ばないところである。

【36】予暇(いとま)を乞(こ)ふて帰国せんとす。
翁曰く、
二三男に生るゝ者、他家の相続人となるは、則ち天命なり、
其の身の天命にて、養家に行き、其の養家の身代(しんだい)を多少増殖し度(た)く願ふは、是れ人情にして、誰にも見ゆる常の道理なり。
此の外に又一つ見え難き道理あり、他家を相続すべき道理にて、他家へゆく、
往く時は、其家に勤むべき業あり、是を勤むるは天命通常の事なり、
而して其上に、又一段骨を折り、一層心を尽し、養父母を安んずる様、祖父母の気に違(たが)はぬ様にと、心を用ひ力を尽す時は、養家に於て、気が安まるとか、能く行き届くとか、祖父母父母の心に、安心の場が出来て養父母の歓心を得る、是れ養子たる者の積徳の初なり。
夫れ親を養ふは子たる者の常、頑夫といへども、野人といへども養はざる者なし、
其の養ふ内に、少しも能(よ)く父母の安心する様に、気に入る様にと心力を尽す時は、父母安心して百事を任ずるに至る、
是れ其の身の、此の上もなき徳なり、
養子たる者の積徳の報と云ふべし。
此の理凡人には見え難し、是れを農業の上に譬れば、米麦雑穀何にても、肥は二度為し、草は三度取るとか、凡そ定りはあれども、其の外に一度も多く肥しを持ち、草を去り、一途に作物の栄えのみを願ひ、作物の為に尽す時は、其の培養の為に作物思ふ儘(まま)に、栄ゆるなり、
而して秋熟するに至れば、願はずして、取実(とりみ)俵数(へうすう)多く自から家を潤す事、しらずしらず疑ひなきが如し。
此の理は人々家産を増殖したく思ふと、同じ道理なれども、心ある者にあらざれば解し難し。
是れ所謂(いはゆる)難解(なんげ)の理なり

【36】私(福住正兄)が尊徳先生に帰国(小田原の温泉宿に養子となった)の暇乞いした。
尊徳先生はおっしゃった、
「二三男に生れる者が、他家の相続人となるというのは、則ち天命である。
その身を天命として、養家に行って、その養家の身代を多少なりとも増やしたいと願うのは、人情であって、誰でも見える常の道理である。
このほかにまた一つ見えがたい道理がある。
他家を相続するべき道理で、他家へ養子にいく、
往く時は、その家に勤むべき業がある、これを勤めるは天命通常の事である。
その上に、また一段骨を折って、一層心を尽して、養父母を安んずるように、祖父母の気持ちに違わないようにと、心を用い力を尽す時には、養家において、気が安まるとか、よく行き届くとか、祖父母父母の心に、安心の場ができて養父母が歓びの心となる。
これが養子である者の積徳の初めである。
親を養うは子である者の常で、頑夫であっても、野人であっても養わない者はない。
その養ううちに、少しでもよく父母が安心するように、気に入るようにと心力を尽す時は、父母は安心して百事をまかせるにいたる。
これがその身の、この上もない徳である。
養子である者が徳を積んだその報いといえよう。
この理は凡人には見えがたい。
これを農業の上にたとえてみると、米麦雑穀何であっても、肥しは二度やり、草は三度取るとか、およそ定まりはあっても、その外に一度も多く肥しをやり、草を取り、一途に作物の栄えのみを願って、作物の為に尽す時は、その培養のために作物が思うままに栄えるであろう。
そして秋に熟するときに至るならば、願わなくても、収穫は多く、産出の多きことで自から家を潤す事は、しらずしらず疑いもないようなものだ。
この理は人々家産を増殖したいと思うのと、同じ道理であるけれども、心ある者でなければ理解しがたい。
これはいはゆる理解の難しい理である。

【37】翁又曰く、
茶師利休が歌に「寒熱の地獄に通ふ茶柄杓(びちやく)も心なければ苦しみもなし」と云へり、
此の歌未だ尽さず、
如何(なん)となれば、其の心無心を尊ぶといへども、人は無心なるのみにては、国家の用をなさず、
夫れ心とは我心(がしん)の事なり、只我を去りしのみにては、未だ足らず、我を去りて其の上に、一心を決定し、毫末(ごうまつ)も心を動かさゞるに到らざれば尊むにたらず、
故に我れ常に云く、
此も歌未だ尽さずと。
今試みに詠み直さば
「茶柄杓の様に心を定めなば湯水の中も苦みはなし」とせば可ならんか。
夫れ人は一心を決定し動さゞるを尊むなり、
夫れ富貴安逸を好み貧賤勤労を厭ふは、凡情の常なり、
婿嫁たる者、養家に居るは、夏火宅に居るが如く、冬寒野に出るが如く、又実家に来る時は、夏氷室(ひむろ)に入るが如く、冬火宅に寄るが如き思ひなる物なり。
此の時其の身に天命ある事を弁(わきま)へ、天命の安(やすん)ずべき理を悟り、養家は我が家なりと決定して、心を動かさざる事、不動尊の像の如く、猛火背を焼くといへども動じと決定し、養家の為に心力を尽す時は、実家へ来らんと欲するとも其の暇(いとま)あらざるべし。
斯の如く励む時は、心力勤労も苦にはならぬ物なり、是只我を去ると、一心の覚悟決定(けつぢやう)の徹底にあり。
夫れ農夫の、暑寒に田畑を耕し、風雨に山野を奔走する、車力の車を押し、米搗(つ)きの米を搗くが如き、他の慈眼を以て見る時は、其の勤苦云ふべからず、気の毒の至りなりといへども、其の身に於ては、兼(かね)て決定(けつぢやう)して、労動に安んずるなれば、苦には思はぬなり。
武士の戦場に出で野にふし山にふし、君の馬前に命を捨つるも、一心決定すればこそ出来るなれ、されば人は天命を弁(わきま)へ天命に安(やす)んじ、我を去りて一心決定して、動かざるを尊しとす。

【37】尊徳先生はまたおっしゃった。
茶師利休の歌に
「寒熱の地獄に通ふ茶柄杓も 心なければ苦しみもなし」といっている。
この歌は未だ尽していない。
なぜかというと、その心は無心を尊ぶだけであり、人は無心であるだけでは、国家の用をなさないからだ。
心とは我心の事である。
ただ我を去るだけでは、未だ足りない。
我を去ってその上に、一心をきっと定め、少しも心を動さないようにならなければ尊ぶに足りない。
だから私は常にこの歌は未だ尽していないというのだ。
今試しに詠み直してみよう。
「茶柄杓のように心を定めなば 湯水の中も苦しみはなし」
とすればよかろうか。
人は一心を決定し動かさないのを尊ぶ。
富貴・安逸を好んで、貧賤・勤労をきらうのは、凡人の人情の常である。
婿や嫁に来た者が養家にいるのは、夏火宅にいるようであり、冬寒野に出るようなもので、
また実家に来たる時は、夏氷室(ひむろ)に入るようで、冬火宅に寄るようなものだ。
この時その身に天命のある事をわきまえて、天命が安んずる理を悟って、
養家は自分の家であるときっと定めて、心を動かさない事、不動尊の像のごとく、猛火で背を焼いても決して動くまいと決定し、養家のために心力を尽す時は、実家へ来ようと欲するともその暇はないであろう。
このように励む時には、心力勤労も苦にはならないものである。
これはただ我を去ろうと、一心の覚悟の決定が徹底するところにある。
農夫が、暑寒に田畑を耕し、風雨に山野を走りまわったり、車ひきの車を押し、米つきが米をつくようなものだ。
他の慈眼をもって見るに時は、その勤苦は気の毒な限りだといっても、その身においては、普段から定めて、労動に安んじているから、苦には思わないのである。
武士が戦場に出で、野にふし山にふして、君の馬前に命を捨てるのも、一心が決定すればこそできるのである。
そうであれば人は天命をわきまえて天命に安んじ、我を去って一心を決定して、動かさないのを尊いとするのである。

【38】 翁又曰く、
論語に大舜(しゆん)の政治を論じて、
己(おのれ)を恭しくして正しく南面するのみ、とあり。
汝(なんじ)国に帰り温泉宿を渡世とせば、又己を恭して正しく温泉宿をするのみと読んで、生涯忘るゝ事なかれ。
此の如くせば利益多からん、箇様(かやう)になさば利徳あらんなどゝ、世の流弊に流れて、本業の本理を誤るべからず。
己を恭くするとは、己が身の品行を敬んで堕さゞるを云ふ、其の上に又業務の本理を誤らず、正しく温泉宿をするのみ、正く旅籠屋(はたごや)をするのみと、決定して肝に銘ぜよ。
此の道理は人々皆同じ。
農家は己を恭しくして、正しく農業をするのみ、商家は己を恭しくして、正しく商法をするのみ、工人は己を恭しくして、正しく工事をするのみ、此の如くなれば必ず過なし。
夫れ南面するのみとは、国政一途に心を傾けて、外事(ぐわいじ)を思はず、外事を為さゞるを云ふなり、只南を向きて坐して居(ゐ)る、と云ふ事にあらず、
此の理深遠なり、
能々思考して、能心得よ。
身を修むるも、家を斉ふるも、国を治むるも、此の一つにあり。
忘るゝ事勿れ。
怠る事なかれ。

【38】尊徳先生はまたおっしゃった。
「論語に大舜(たいしゅん)の政治を論じて、
己れを恭(うやうや)しくして正しく南面するのみ、とある。
なんじ(福住正兄)は国(小田原)に帰って温泉宿を職業としたら、
また己れを恭しくして正しく温泉宿をするのみ と読んで、生涯忘れてはならない。
このようにすれば利益が多いであろう。
このようにすれば利徳があろうなどと、世の風潮に流されて、本業の本理を誤ってはならない。
己れを恭しくするというのは、自分の身の品行を敬んで落とさないことをいう。
その上にまた仕事の本理を誤らないで、正しく温泉宿をするのみ、正しく旅館を経営するのみと、しっかり心に定めて肝に銘じなさい。
この道理は人々皆同じである。
農家は己れを恭しくして、正しく農業をするのみ、商家は己れを恭くして、正しく商法をするのみ、工人は己を恭しくして、正しく工事をするのみ、
このようであれば決して過ちはない。
南面するのみというのは、国政一途に心を傾けて、ほかの事を思わない、ほかの事をなさないことをいうのだ。
ただ南を向いて座っているということではない。
この理は深遠である。
よくよく考えて、よく心得るがよい。
身を修めるのも、家を斉えるも、国を治めるも、この一つにある。
忘れてはならない、怠ってはならない。

☆舜という中国の伝説上の皇帝は「孝」の徳で皇帝まで至ったのである。
「虞舜の母は握登といい、早くに亡くなった。
父の瞽ソウ(こそう)は再婚をし象(舜の義理の弟)が生まれた。
父は、舜に冷たく当たり、舜は天を仰いで号泣した。
20歳になる頃には、舜の孝行ぶりは天下に聞こえた。
舜が歴山を耕すと、神象がやって来て舜のために耕し、神鳥がやって来て、舜のために草刈りをした。
皇帝堯は舜のひたむきな徳を感じて、娥皇、女英の二人の娘を嫁がせた。
また、自分の9人の子供と、百官を舜に仕えさせた。
30になると、宮殿に招き、天子の位を譲った。
舜は皇帝になってしまうと父母に仕える事ができないと、いても立ってもいられないようであった。
孟子は、これを大いに褒めて、
「ああ。立派な孝行と言うのは父母を慕う事にあるのだ」と言った。」


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