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二宮翁夜話 巻の4【1】~【18】

二宮翁夜話巻の4

【1】翁曰く、
論語に曰く、
信なれば則ち民任ずと、
児の母に於ける、
己れ何程に大切と思ふ物にても、疑はずして母には預くる物なり、
是れ母の信、児に通ずればなり。
予が先君に於ける又同じ。
予が桜町仕法の委任は、心組の次第一々申し立つるに及ばず、
年々の出納計算するに及ばず、十ヶ年の間任せ置く者也とあり、
是れ予が身を委ねて、桜町に来りし所以なり、
扨て此の地に来り、
如何(いか)にせんと熟考するに、
皇国開闢の昔、外国より資本を借りて、開きしにあらず、
皇国は、皇国の徳沢にて、開けたるに相違なき事を、発明したれば、本藩の下附金を謝絶し、近郷富家に借用を頼まず、
此の四千石の地の外をば、海外と見做し、吾れ神代(しんだい)の古(いにしへ)に、豊葦原へ天降りしと決心し、
皇国は皇国の徳沢にて開く道こそ、天照大御神の足跡なれと思ひ定めて、一途に開闢元始の大道に拠りて、勉強せしなり、
夫れ開闢の昔、芦原に一人天降りしと覚悟する時は、流水に潔身(みそぎ)せし如く、潔き事限りなし、
何事をなすにも此の覚悟を極むれば、依頼心なく、卑怯卑劣の心なく、何を見ても、浦山敷(うらやまし)き事なく、心中清浄なるが故に、願ひとして成就せずと云ふ事なきの場に至るなり、
この覚悟、事を成すの大本なり、我が悟道の極意なり、
此の覚悟定まれば、衰村を起すも、廃家を興すもいと易し、只此の覚悟一つのみ。

【1】尊徳先生はおっしゃった。
論語に曰く、
信なればすなわち民任ずと、
子どもが母を信ずることは、自分がどれほど大切と思っている物でも、疑いなく預けるものである。
これは母の信が、子どもに通じているからである。
私が先君に対するのもまた同じだった、
私に桜町仕法を委任するにあたって、
先君は心組みの次第を一々申し立てるに及ばない、
年々の収入支出の計算をするに及ばない、
10ヶ年の間お前に任せおくということであった。
これが私が一身をゆだねて、桜町に来た理由である。
さてこの地に来て、いかにしようかと熟考するに、
皇国を開闢された昔、外国から資本を借りて、開いたわけではない。
皇国は、皇国の徳沢にて開いたに相違ない事を明かにしたため、本藩から助成金を謝絶し、近郷の富豪に借用を頼むことなく、この4000石の地の外を、海外とみなして、われ神代の古えに、豊葦原へ天降ったと決心し、皇国は皇国の徳沢にて開く道こそが、天照大御神の足跡であると思い定めて、一途に開闢元始の大道によって、勤め励んだのである。
開闢の昔、芦原に一人天降ったと覚悟する時には、流水にみそぎをしたように、潔い事は限りない。
何事をなすにもこの覚悟を極めるならば、依頼心もなく、卑怯卑劣の心もなく、何を見ても、うらやましい事もなく、心中清浄であるために、願いとして成就しないという事はないという場に至るのである。
この覚悟は、事を成すの大本であり、私の悟道の極意である。
この覚悟が定まれば、衰えた村を起すのも、廃家を興すのも大変やさしい。
ただ、この覚悟一つである。

【2】翁曰く、
惰風極り、汚俗(をぞく)深染(しんせん)の村里を新(あらた)にするは、いとも難き業なり、
如何(いかに)となれば、法戒む可からず、令行はる可からず、教施す可からず、
之をして精励に趣かしめ、之をして義に向はしむる、豈難からずや、
予昔桜町陣屋に来る、配下の村々至惰至汚、如何共(いかにとも)すべき様なし、
之に依て、予深夜或(あるひ)は未明、村里を巡行す、
惰を戒むるにあらず、朝寝を戒むるにあらず、
可否を問はず、勤惰を言はず、
只自(みずから)の勤めとして、寒暑風雨といへども怠らず、一二月(げつ)にして、初めて足音を聞きて驚く者あり、
又足跡を見て怪(あやし)む者あり、又現に逢ふ者あり、
是より相共に戒心(かいしん)を生じ、畏心(ゐしん)を抱き、数月にして、夜遊(よあそび)博奕(ばくえき)闘争等の如きは勿論、夫妻(ふさい)の間、奴僕(ぬぼく)の交(まじはり)、叱咤(しった)の声無きに至れり、
諺に、
権平種を蒔けば烏之を掘る、三度に一度は追はずばなるまい、
と云へり、
是れ鄙俚(ひり)戯言といへ共、有職(いうしよく)の人知らずば有る可からず、
夫れ烏の田圃(たんぼ)を荒(あら)すは、烏の罪にあらず、田圃(たんぼ)を守る者追はざるの過(あやまち)なり、
政道を犯す者の有るも、官之を追はざるの過(あやまち)なり、
之を追ふの道も、又権兵衛が追ふを以て勤めとして、捕ふるを以て本意とせざるが如く、あり度(た)き物なり、
此の戯言政事の本意に適(かな)へり、
鄙俚(ひり)の言といへども、心得ずば有るべからず。

【2】尊徳先生はおっしゃった。
惰風が極まって、汚俗が深く染まった村里を新たにする方法は、大変困難な事業である。
なぜかといえば、法も戒めることはできない。
命令も行うこともできない。
教え施すことができない。
これを精励におもむかせ、これを義に向わしめるのは大変困難なことではないか。
私が昔桜町陣屋に来て、配下の村々も遊惰や汚俗でどうにもいたしかたがない。
そこで、私は深夜あるいは未明に、村里を巡り歩いた。
遊惰を戒めるわけではない、朝寝を戒めるわけでもない、可否を問わず、勤惰を言わず、
ただ自らの勤めとして、寒暑風雨であっても怠ることがなかった。
1月2月たって、初めて足音を聞いて驚く者があった。
また足跡を見てあやしむ者があった。
また現に出逢う者があった。
これより共に戒める心を生じ、畏れる心を抱き、数月で、夜遊び博奕や闘争等のごときはもちろん、夫妻の間、雇い人どおしの交りに、叱責の声が無くなった。
諺に、
権平種を蒔けば烏これを掘る、三度に一度は追わずばなるまい、
という。
これ田舎のことわざ、戯言といっても、有職の人は知らなければならない。
烏が田畑を荒すのは、烏の罪ではない、
田畑を守る者が追わない過ちである。
政道を犯す者が有るのも、官がこれを追わない過ちのためである、
これを追う道も、また権兵衛が追うのをもって勤めとして、
捕えるのをもって本意としないように、ありたいものだ。
これは戯言とはいっても政事の本意にかなっている。
田舎のことわざといっても、心得ておかなくてはならない。

【3】翁又曰く、
凡そ田畑の荒るゝ其の罪を惰農に帰し、人口の減ずるは、産子(うまれご)を育てざるの悪弊に帰するは、普通の論なれ共、如何(いか)に愚民なればとて、殊更(ことさら)田畑を荒して、自ら困窮を招く者あらんや、
人禽獣(きんじう)にあらず、豈(あに)親子の情なからんや、
然るに産子(うまれご)を育てざるは、食乏しくして、生育の遂げ難きを以てなり、
能く其の情実を察すれば、憫然(びんぜん)是より甚しきはあらず、
其の元は、賦税重きに堪えざるが故に、田畑を捨てて作らざると、民政(みんせい)届かずして堤防・溝洫(こうきよく)道橋(だうけう)破壊(はくわい)して、耕作出来難きと、
博奕盛んに行はれ、風俗頽廃(たいはい)し、人心失せ果て、耕作せざるとの三なり、
夫れ耕作せざるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人口減ずるなり、
食あれば民集り、食無ければ民散ず、
古語に、重んずる処は民(みん)食葬祭とあり、
尤(もつと)も重んずべきは民の米櫃(こめびつ)なり、
譬へば此の坐に蠅を集めんとするに、何程捕へ来りて放つ共追ひ集むるとも、決して集まるべからず、
然るに食物を置く時は、心を用ひずして忽(たちま)ちに集まるなり、之を追ひ払ふ共(とも)決して逃げ去らざる事眼前なり、
されば聖語に、食を足(たら)すとあり、
重んずべきは人民の米櫃なり、
汝等又己が米櫃の大切なる事を忘るゝ事勿れ。

【3】尊徳先生はまたおっしゃった。
田畑が荒れている罪を惰農のせいにし、人口が減ずるのは、産まれた子を育てない悪弊に帰するのが、普通の論であるが、
どうして愚かな民なればとて、ことさらに田や畑を荒して、自ら困窮を招く者があろうか、
人はけだものではない。
どうして親子の情がないであろうか。
しかるに産まれた子を育てないのは、食が乏しくて、生育が遂げ難いからである。
よくその実情を察するならば、あわれなことはこれより甚しいことはない。
その元は、税金が重いのに耐え切れないから、田や畑を捨てて作らなくなること、
民政が届かないで堤防や溝や道や橋が壊れて、耕作ができがたいこと、
バクチが盛んに行れて、風俗が頽廃して、人心が失せはてて、耕作をしないことの三つである。
耕作しないために、食物が減ずる、食物が減ずるために、人口が減ずる、
食があれば民が集まり、食が無ければ民は散ずる、
古語に、重ずるところは民の食・葬・祭とある。
もっとも重んずべきは民の米櫃(こめびつ)である。
たとえばこの坐に蠅を集めようとすれば、どれほど捕えて来て放っても追い集めても、決して集めることはできない。
しかるに食物を置く時は、心を用いないですぐに集まる、
これを追い払っても決して逃げ去る事がないのは眼前の事実である。
そうであればこそ、聖語に、食を足らすとあるのだ。
重んずべきは人民の米櫃である。
あなたたちはまた自分の米櫃が大切である事を忘れてはならない。

【4】或(あるひと)来(きた)り訪(と)ふ。
翁(をう)曰く、
某(それ)の家は無事なりや、
曰く、
某(それ)の父稼穡(かしよく)に勤労する事、村内無比なり、
故に作益多く豊かに経営(いとなみ)来りしに、其の子悪(あし)き事はなしといへども、
稼穡を勤めず、耕耘培養(かううんばいやう)行(ゆき)届かず、只(ただ)蒔いては刈り取るのみ、好き肥しを用ふるは損なりなど云ひて、田畑を肥(こや)すの益たるを知らず、
故に父死して、僅かに四五年なるに、上田も下田となり、上畑(じやうはた)も下畑(げはた)となりて、作益なく、今日(こんにち)は経営(いとなみ)にも差閊(さしつか)へる様になれりと。
翁左右を顧みて曰く、
卿等(きみら)聞けりや、是れ農民一家の事なれども、自然の大道理にして、天下国家の興廃存亡も又同じ、
肥(こやし)を以て作物を作ると、財を散じて領民を撫育し、民政に力を尽すとの違ひのみ、
夫れ国の廃亡するは民政の届かざるにあり、
民政届かざるの村里(むらさと)は、堤防溝洫(こうきよく)先づ破損し、道路橋梁次に破壊し、野橋(やけう)作場道(さくばみち)等は通路なきに至るなり、
堤防溝洫(こうきよく)破損すれば、川付きの田畑は先づ荒蕪(くわうぶ)す、
用悪水路(ようあくすゐろ)破壊すれば、高田卑田は耕作すべからず、
道路悪(あ)しければ牛馬(ぎうば)通ぜず、肥料行(ゆき)届かず、
精農の者といへども、力を尽すに困却し、之が為に耕作するといへども作益なし、
故に人家(じんか)手遠(てどほ)、不便の地は捨てて耕さざるに至る、
耕さゞるが故に、食物減ず、
食物減ずるが故に、人民離散なり、
人民離散して、田畑荒るれば租税の減ずるは眼前ならずや、
租税減ずれば、諸侯窮するは当然の事なり、
前の農家の興廃と少しも違ふ事なし、
卿等(きみら)心を用ひよ、
譬へば上国(じやうこく)の田畑は温泉の如し、
下国(げこく)の田畑は、冷水の如し、
上国の田地は耕耘行(ゆき)届かざれども、作益ある事温泉の自然に温(あたたか)なるが如し、
下国の田畑は冷水を温湯にするが如くなれば、人力を尽せば作益ありといへども、人力を尽さゞれば、作益なし、
下国辺境人民離散し、田畑荒蕪するは是が為なり。

【4】ある人が来て先生を訪問した。
尊徳先生はおっしゃった。
だれそれの家は無事であるか。
ある人は答えた。
父親が家業に勤労する事は、村内無比でした。
ですから収穫が多く豊かに営んで来ましたが、その子は悪い事はないのですが、
家業を勤めないで、耕耘や培養が行き届かないで、ただ蒔いては刈り取るだけで、
よい肥料を用いるのは損であるなどと言って、田畑を肥やすことの益を知りません。
ですから父親が死して、わずかに4,5年ですが、上田も下田となり、上畑も下畑となって、収穫もあがらず、今日にいたって生計にもさしつかえるようになっていますと。
尊徳先生は左右に侍していた門弟達をかえりみておっしゃった。
きみら、聞いたか。
これは農民一家の事ではあるが、自然の大道理であって、天下国家の興廃や存亡もまた同じである。
肥料を用いて作物を作るのと、資材を散じて領民を撫育して、民政に力を尽すとの違いだけである。
国の廃亡するのは民政の届かないことにある。
民政が届かない村里は、堤防や溝がまず破損し、道路橋梁が次に破壊し、野の橋や作場道等は通路がないに至るのである。
堤防や溝が破損すれば、川の側の田畑はまず荒れはてる。
用水路が破壊すれば、高い田や低い田は耕作ができなくなる。
道路が悪ければ牛馬は通じないから、肥料が行き届かないで、精農の者であっても、力を尽すに困却してしまう。
このため耕作するといっても収穫がない。
だから人家から遠く、不便の地は捨てて耕かさなくなってしまう。
耕さないから、食物は減ずる。
食物減ずるために、人民は離散するのだ。
人民が離散して、田畑が荒れれば租税が減ずるは眼前ではないか。
租税が減ずれば、諸侯が窮するのは当然の事である。
前の農家の興廃と少しも違う事はない。
きみら心を用いるがよい。
たとえば上国の田畑は温泉のようなものだ。
下国の田畑は、冷水のようだが、上国の田地は耕耘がゆき届かなくても、収穫のある事は温泉が自然に温かなようなものだ。
下国の田畑は冷水を温湯にするようであるから、人力を尽すならば収穫があっても、人力を尽さなければ収穫はない。
下国辺境の人民は離散し、田畑が荒蕪するはこのためである。

【5】翁曰く、
江川県令問うて曰く、
卿(きみ)桜町を治むる数年にして、年来の悪習一洗し、人民精励に赴き、田野開け民(たみ)聚(あつま)ると聞けり、
感服の至り也、
予、支配所の為に、心(こころ)を労(らう)する事久し、
然して少しも効(しるし)を得ず、卿(きみ)如何(いか)なる術かあると。
予答へて曰く、
君には君の御威光あれば、事を為す甚だ安し、臣素(もと)より無能無術、然りといへども、御威光にても理解(りかい)にても、行はれざる処の、茄子(なす)をならせ、大根を太らする事業を、慥(たし)かに心得居る故、此の理を法として、只(ただ)勤めて怠らざるのみ。
夫れ草野(さうや)一変すれば米となる、
米一変すれば飯となる、
此の飯には、無心の鶏犬(けいけん)といへども、走り集り、尾を振れといへば尾を振り、廻れといへば廻り、吠えよといへば吠ゆ、鶏犬の無心なるすら此(こ)の如し、
臣只(ただ)此の理を推して、下に及ぼし至誠を尽せるのみ、
別に術あるにはあらず、と答ふ。
是より予が年来実地に執(と)り行ひし事を談話する事六七日なり、
能く倦(う)まずして聴かれたり、定めて支配所の為に、尽されたるなるべし。

【5】尊徳先生がおっしゃった。
江川県令が私に問うたことがあった。
あなたは桜町を治めること数年で、年来の悪習が一洗し、人民は精励におもむいて、田野が開け、民集まると聞いています。
感服の至りです。
私(江川)は支配所のために、心を労して久しいのですが、少しもその効果が得られないのです。
あなたはどのような術を施されているのですか。
私は答えて言った。
あなたには領主としての御威光がありますから、事を為すことはなはだやさしいことでしょう。
私はもとから無能・無術ですが、ご威光でも道理を説いても、行われないところの、ナスをならせ、大根を太らせる事業を、確かに心得ておりますから、この理を法として、ただ勤めて怠らないだけです。
草野は一変すれば米となります、
米が一変すれば飯となります、
この飯には、無心の鶏や犬でも、走まり集りきたって、尾を振れといえば尾を振り、回れといえば回り、ほえよといえばほえる、鶏や犬が無心であるのにこうである。
私はただこの理を推して、下に及ぼし至誠を尽しているだけです。
別に術があるわけではありませんと答えた。
このことから私が年来実地に執り行った事を談話する事6,7日に及んだ。
江川氏は、よくあきることなく聴かれていた。
さしずめ支配所のために尽されたことであろう。

【6】翁曰く、
我が道は至誠と実行のみ、
故に鳥獣・虫魚・草木にも皆及ぼすべし、
況んや人に於けるをや、
故に才智弁舌を尊まず、
才智弁舌は、人には説くべしといへども、鳥獣草木を説く可からず。
鳥獣は心あり、或(あるひ)は欺くべしといへども、草木をば欺く可からず。
夫れ我が道は至誠と実行となるが故に、米麦(べいばく)蔬菜(そさい)瓜茄子にても、蘭菊にても、皆是を繁栄せしむるなり。
仮令(たとひ)知謀孔明を欺き、弁舌蘇帳を欺くといへども、弁舌を振つて草木を栄えしむる事は出来ざるべし、
故に才智弁舌を尊まず、至誠と実行を尊ぶなり、
古語に、至誠神(かみ)の如しと云ふといへども、至誠は則ち神(かみ)と云ふも、不可なかるべきなり、
凡そ世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし。

【6】尊徳先生はおっしゃった。
私の道は至誠と実行のみである。
だから鳥、獣、虫、魚、草木にも皆及ぼすことができる。
いわんや人においては当然である。
だから私の道は才智や弁舌を尊ばない。
才智や弁舌は、人には説くことができても、鳥獣や草木を説くことはできない。
鳥獣は心あるから、あるいは欺くことができるかもしれない。
しかし、草木をも欺くことはできない。
私の道は至誠と実行であるがゆえに、米、麦、蔬菜、瓜、茄子でも、蘭や菊の花でも、皆これを繁栄させることができる。
たとえ知謀が諸葛孔明を欺き、弁舌が蘇秦・張儀を欺くことができても、弁舌を振って草木を栄えさせる事はできないであろう。
だから才智や弁舌を尊ばず、至誠と実行を尊ぶのである。
古語に、至誠神のごとしというが、至誠はすなわち神であるといってもよい。
およそ世の中は智慧があっても学問があっても、至誠と実行とがなければ事は成ないものとしらなくてはならない。

【7】翁曰く、
朝夕に善を思ふといへども、善事を為さゞれば、善人と云ふべからざるは、昼夜に悪を思ふといへども、悪を為さゞれば、悪人と云ふべからざるが如し、
故に人は、悟道治心の修行などに暇(いとま)を費さんよりは、小(せう)善事なりとも身に行ふを尊しとす、
善心発(おこ)らば速かに是を事業に表(あらは)すべし、
親ある者は親を敬養(けいやう)すべし、子弟ある者は子弟を教育すべし、飢人(うゑびと)を見て哀れと思はゞ速かに食を与ふべし、悪しき事仕(し)たり、われ過てりと心付くとも、改めざれば詮(せん)なし、
飢人を見て哀れと思ふとも、食を与へざれば功なし、
故に我が道は実地実行を尊ぶ、
夫れ世の中の事は実行にあらざれば、事はならざる物なればなり、
譬へば菜虫の小なる、是を求むるに得べからず、
然れども菜を作れば求めずして自ら生ず、
ぼうふりの小なる、是を求むるに得べからず、桶に水を溜めおけば自ら生ず、
今此の席に蠅を集めんとすとも、決して集らず、
捕へ来りて放つとも、皆飛びさる、
然るに飯粒を置く時は集めずして集るなり、
能々此の道理を弁(わきま)へて、実地実行を励むべし。

【7】尊徳先生はおっしゃった。
朝夕に善を思っても、善事をなさなければ、善人といえないのは、昼夜に悪を思っても、悪をなさなければ、悪人ということができないようなものだ。
だから人は、悟道や治心の修行などに時間を費やすよりは、小さな善事であっても身に行うことを尊いとする。
善心をおこすときは速やかにこれを事業にあらわすがよい。
親がある者は親を敬い養なうがよい。
子どもがある者は子どもを教育するがよい。
飢えた人を見て哀れと思ったら、すぐに食を与えるがよい。
悪い事をしてしまった、自分が過っていたと気づいたら、改めなければ仕方がない。
飢えた人を見て哀れと思っても、食を与えなければ仕方がない。
だから私の道は実地実行を尊ぶのだ。
世の中の事は実行するのでなければ、事はならないものだからである。
たとえば菜虫の小さいものを求めても得ることはできない。
しかし野菜を作れば求めなくても自ら生ずる、
ボウフラの小さいものを求めても得ることはできない、桶に水を溜めれば自ら生ずる、
今この席に蠅を集めようとしても、決して集らない。
捕えて来てはなっても、皆飛びさってしまう、
しかし飯粒を置く時は集めなくても集まるものである。
よくよくこの道理をわきまえて、実地実行を励みなさい。

【8】翁曰く、
凡そ物、根元たる者は、必ず卑(いやし)き物なり、
卑(いや)しとて、根元を軽視するは過(あやまち)なり、
夫れ家屋の如き、土台ありて後に、床も書院もあるが如し、
土台は家の元なり、
是れ民は国の元なる証(しるし)なり、
扨(さて)諸職業中、又農を以て元とす、
如何(いかん)となれば、自ら作つて食ひ、自ら織りて着るの道を勤むればなり、
此の道は、一国悉く是をなして、差閊(さしつか)へ無きの事業なればなり、
然る大本の業の賤(いや)しきは、根元たるが故なり、
凡そ物を置くに、最初に置きし物、必ず下になり、
後に置きたる物、必ず上になる道理にして、
是れ則ち農民は、国の大本たるが故に賤(いやし)きなり、
凡そ事天下一同に之を為して、閊(つか)へなき業(げふ)こそ大本なれ。
夫れ官員の顕貴(けんき)なるも、全国皆官員とならば如何(いかん)、
必ず立つ可からず、
兵士の貴重なるも、国民悉く兵士とならば、同じく立つ可からず、
工は欠く可からざるの職業なりといへども、全国皆工ならば、必ず立つ可からず、
商となるも又同じ、
然るに農は、大本なるを以て、全国の人民皆農となるも、閊(つか)へなく立ち行く可し、
然れば農は万業の大本たる事、是に於て明了なり、
此の理を究めば、千古の惑ひ破(や)ぶれ、大本定りて、末業(ばつげふ)自から知るべきなり、
故に天下一般是をなして、閊(つかへ)あるを末業(ばつげふ)とし、閊(つかへ)なきを本業とす、
公明の論ならずや、
然れば農は本なり、厚くせずば有る可からず、養はずば有る可からず、
其の元を厚くし、其の本を養へば、其の末は自から繁栄せん事疑ひなし、
扨(さ)て枝葉とて猥(みだ)りに折る可からずと雖(いへ)ども、
其の本根衰ふる時は、枝葉を伐り捨て根を肥(こや)すぞ、培養の法となる。

【8】尊徳先生はおっしゃった。
およそ物の根元であるものは、必ず卑しきものである。
卑しいからといって、根元を軽視するのは過ちである。
家屋のように、土台があってその後に、床も書院もあるようなものだ。
土台は家の元である。
これ民は国の元である証拠である。
さて諸職業の中で、また農をもって元とする、
なぜかといえば、自ら作って食べ、自ら織って着る道を勤るからである。
この道は、一国ことごとくこれを行って、さしつかえることがない事業だからである。
そのような大本の業が賤しいのは、根元であるためである。
およそ物を置くときに、最初に置いた物が、必ず下になり、後に置いた物が、必ず上になる道理であって、これがすなわち農民は、国の大本たるがために賤しいのである。
およそ事、天下一同これを行って、さしつかえない事業だから大本なのである。
官員の顕貴であっても、全国皆官員となれどどうだ、必ず立ちゆかない。
兵士が貴重だからといって、国民がことごとく兵士となれば、同じく立ちゆかない。
工は欠くことができない職業であるが、全国皆工となれば、必ず立ちゆかない。
商となるのもまた同じである。
しかるに農は、大本であるから、全国の人民が皆農となってもさしつかえることなく立ちゆきであろう。
そうであれば農は万業の大本である事は、これよって明了である。
この理を究めれば、千古の惑いは破ぶれ、大本が定って、末業は自ら知るであろう。
だから天下一般これ行って、さしつかえるのを末業とし、さしつかえのないのを本業とするのが、公明の論ではなかいか。
そうであれば農は本である。
厚くしなければならない。
養わなければならない。
その元を厚くし、その本を養えば、その末は自ら繁栄する事は疑いない。
さて枝葉といってもみだりに折ってはならないが、その本根が衰える時は、枝葉を伐り捨てて根を肥すのが、培養の方法である。

【9】翁曰く、
創業は難し、守るは易しと、
守るの易きは論なしといへども、満ちたる身代を、平穏に維持するも又難き業(げふ)なり、
譬へば器に水を満ちて、之を平(たひら)に持ちて居れと、命ずるがごとし、
器は無心なるが故に、傾く事はあらねど、持つ人の手が労(つか)るゝか、空腹になるか、必ず永く平に持つて居る事は、出来ざるに同じ、
扨(さ)て此の満を維持するは、至誠と推譲の道にありといへども、
心正平ならざれば、之を行ふに至つて、手違ひを生じ、折角の至誠推譲も水泡に帰する事あるなり、
大学に、
心忿チ(ふんち)する所、恐懼(きようく)する所、好楽(かうらく)する処、憂患する処あれば、則ち其の正を得ず、と云へり、
実に然るなり、
能く心得べし、能く研(みが)きたる鏡も、中(なか)凹(くぼ)き時は顔痩せて見へ、中凸(たか)き時は顔太りて見ゆるなり、鏡面平ならざれば、能く研(みが)ぎたる鏡も其の詮なく、顔ゆがみて見ゆるに同じ、
心正平ならざれば、見るも聞くも考へも、皆ゆがむべし、
慎まずばあるべからず。

【9】尊徳先生がおっしゃった。
創業は難しい、守るはやさしいと、
守るのがやさしいというのは論なしといっても、満ちたる身代を、平穏に維持するのもまた困難なことである。
たとえば器に水を満たして、これを平に持っておれと、命ずるようなものだ。
器は無心であるから、傾く事はあっても、持つ人の手が疲れるか、空腹になるか、必ず長く平らに持っていることはできないのと同じだ。
さてこの満を維持するは、至誠と推譲の道にあるといっても、心が正平でなければ、これを行うにあたって、手違いが生じ、折角の至誠と推譲も水泡に帰する事がある。
大学に、心忿ち(怒る)する所、恐懼する所、好楽する処、憂患する処あれば、すなわちその正を得ず、といっている。
まことにそのとおりだ。
よく心得なければならない。
よく研いた鏡も、中がくぼんでいる時は顔が痩せて見へ、中が高い時は顔太って見える。
鏡面が平らでなければ、よく研いだ鏡もそのかいがなく、顔がゆがんで見えるのと同じことだ、
心が正平でなければ、見るのも聞くのも考えも、皆ゆがんでしまうであろう。
慎まなくてはならない。

【10】世の中刃物を取り遣(や)りするに、刃の方を我が方へ向け、柄の方を先の方にして出すは、是れ道徳の本意なり、
此の意を能く押し弘めば、道徳は全かるべし、
人々此の如くならば、天下平(たひら)かなるべし、
夫れ刃先を我が方にして先方(せんぽう)に向けざるは、其の心、万一誤りある時、我が身には疵(きづ)を付くる共、他に疵(きづ)を付けざらんとの心なり。
万事此の如く心得て我が身の上をば損す共(とも)、他の身上には損は掛けじ、我が名誉は損する共、他の名誉には疵を付けじと云ふ精神なれば、道徳の本体全しと云ふべし、
是より先は此の心を押し広むるのみ。

【10】世の中で刃物を取ったりやったりするのに、刃の方を自分の方へ向けて、柄の方を先の方にして出す、これが道徳の本意である。
この意をよく押し弘めるならば、道徳は完全となるであろう。
人々がこのようであれば、天下は平和となるであろう。
刃先を自分の方にして先方に向けるという、その心は、万一誤りがある時、自分の身には疵を付けても、他に疵を付けるまいという心である。
万事このように心得て自分の身上をば損じても、他の身上に損を掛けるまい、自分の名誉は損じても、他の名誉には疵を付けまいという精神であれば、道徳の本体が全しというべきである。
これから先はこの心を押し広めればいいのだ。

【11】翁曰く、
人の身代は大凡(おほよ)そ数(すう)ある物なり、
譬へば鉢植の松の如し、
鉢の大小に依つて、松にも大小あり、緑を延び次第にする時は、忽ち枯気付(かれきづ)く物なり、
年々に緑をつみ、枝をすかしてこそ美しく栄(さか)ゆるなれ、
是れ心得可き事なり、
此の理をしらず、春は遊山(ゆさん)に緑を延ばし、秋は月見に緑を延ばし、斯(かく)の如く、拠(よんどころ)なき交際と云ひては枝を出し、親類の付合(つきあひ)と云ひては梢(こづゑ)を出し、
分外に延び過ぎ、枝葉次第に殖えゆくを、伐り捨てざる時は、身代の松の根、漸々に衰へて、枯れ果つべし、
されば其の鉢に応じたる枝葉を残し、不相応の枝葉をば年々伐りすかすべし、
尤(もつと)も肝要(かんえう)の事なり。

【11】尊徳先生はおっしゃった。
人の身代はおおよそ数のある物である。
たとえば鉢植の松のようなものだ。
鉢の大小によって、松にも大小がある。
緑を延び次第にする時は、たちまち枯気づくものである。
年々に緑をつんで、枝をすかしてこそ美しく栄えるのである。
これは心得ておかなければならないことだ。
この理を知らないで、春は遊山に緑を延し、秋は月見に緑を延ばし、このように、よんどころない交際といっては枝を出し、親類の付合いといっては梢を出し、分外に延び過ぎて、枝葉が次第に殖えゆくのを、伐り捨てない時は、身代の松の根が、次第に衰えて、枯れ果ててしまうであろう。
そうであるからその鉢に応じた枝葉を残して、不相応の枝葉を年々伐りすかさなければならない。
もっとも大事な事である。

【12】翁曰く、
樹木を植ゑるに、根を伐(き)る時は、必ず枝葉(えだは)をも切り捨つべし、
根少くして水を吸ふ力少なければ、枯るゝ物なり、
大いに枝葉(えだは)を伐りすかして、根の力に応ずべし、
然(し)かせざれば枯るゝなり、
譬へば人の身代稼ぎ人が欠け、家株(いへかぶ)の減ずるは、植替へたる樹の、根少くして水を吸ひ上ぐる力の減じたるなり、
此の時は仕法を立て、大いに暮し方を縮めざるを得ず、
稼ぎ人少き時大いに暮せば、身代日々減少して、終に滅亡に至る、
根少くして枝葉(えだは)多き木の、終に枯るゝに同じ、
如何(いかに)とも仕方なき物なり、
暑中(しよちゆう)といへども、木の枝を大方伐り捨て、葉を残らずはさみ取りて、幹を菰(こも)にて包みて植ゑ、時々此の菰(こも)に水をそゝぐ時は、枯れざる物なり、
人の身代も此の理なり、心を用ふべし。

【12】尊徳先生はおっしゃった。
樹木を植えるのに、根を切る時は、必ず枝葉をも切り捨てるべきである。
根が少くて水を吸う力が少なければ、枯れる物である。
大いに枝葉を切りすかして、根の力に応じなければならない。
そうしなければ枯れるであろう。
たとえば人の身代の稼ぎのある人が欠ければ、家株が減ずるのは、植え替えた樹が、根が少くて水を吸い上げる力が減じたようなものだ。
この時は仕法を立てて、大いに暮し方を縮めなければならない。
稼ぎ人が少い時に大いに暮せば、身代は日々に減少して、終に滅亡に至るのである。
根が少くて枝葉が多い木が、終に枯れるのと同じだ。
どうにも仕方がない。
暑中であっても、木の枝をおおかた切り捨てて、葉を残らずはさみで取って、幹をコモで包んで植え、時々このコモに水をそそぐ時は、枯れないものだ。
人の身代もこのとおりだ。心を用いなければならない。

【13】翁曰く、
樹木老木となれば、枝葉(しえふ)美(うるは)しからず、萎縮(いしゆく)して衰ふる物なり、
此の時大いに枝葉(しえふ)を伐(き)りすかせば、来春は枝葉(しえふ)瑞々敷(みづみづし)く、美しく出る物なり、
人々の身代も是に同じ、
初めて家を興す人は、自から常人と異なれば、百石の身代にて五十石に暮すも、人の許すべけれど、
其の子孫となれば、百石は百石丈(だ)け、二百石は二百石丈(だ)けの事に、交際をせざれば、家内も奴婢(ぬひ)も他人も承知せざる物なり、
故に終に不足を生ず、
不足を生じて、分限を引き去る事を知らざれば、必ず滅亡す、
是れ自然の勢(いきほひ)、免れざる処なり、
故に予常に推譲の道を教ゆ、
推譲の道は百石の身代の者、五十石にて暮しを立て、五十石を譲るを云ふ、
此の推譲の法は我が教へ第一の法にして、則ち家産維持且つ漸次増殖の方法なり、
家産を永遠に維持すべき道は、此の外になし。

【13】尊徳先生はおっしゃった。
樹木も老木となれば、枝も葉も美しくはない。
痿縮して衰えるものである。
この時大いに枝や葉を切りすかすならば、来春は枝や葉もみずみずしく、美しく出るものである。
人々の身代もこれと同じだ。
初めて家を興す人は、自ら常人と異っているから、100石の身代で50石で暮しても、世の人が許すであろうけれども、
その子孫となれば、100石は100石だけ、200石は200石だけの交際をしなければ、家内も召使も他人も承知しないものである。
だからついに不足を生ずる、
不足を生じて、分限を引き去る事を知らなければ、必滅亡する、
これは自然の勢いであって、免れることができないところだ。
だから私は常に推譲の道を教える、
推譲の道は100石の身代の者は、50石で暮しを立てて、50石を譲ることをいう。
この推譲の法は私の教えの第一の法であって、すなわち家産を維持し、かつ次第に増殖する方法である。
家産を永遠に維持するべき道は、この外にはない。

【14】大和田山城(おおわだ やましろ)、楠公(なんこう)の旗の文(ぶん)なりとて、左の文を写し来りて真偽如何(いかに)と問ふ

    楠  非  は 理に勝つ事あたはず
    公  理  は 法に勝つ事あたはず
    旗  法  は 権に勝つ事あたはず
    文  権  は 天に勝つ事あたはず
       天  は 明らかに して私なし

翁曰く、
理法権と云ふ事は、世に云ふ事なり、
非理法権天と云へるは珍らし、
世の中は此の文の通りなり、
如何なる権力者も、天には決して、勝つ事出来ぬなり、
譬へば理ありとて頼むに足らず、
権(けん)に押さるゝ事あり、
且つ理を曲げても法は立つべし、
権を以て法をも圧すべし、
然りといへども、天あるを如何(いかに)せん、
俗歌(ぞくか)に
「箱根八里は馬でも越すが馬で越されぬ大井川」と云へり、
其の如く人と人との上は、智力にても、弁舌にても、威権にても通らば通るべけれど、天あるを如何(いかに)せん、
智力にても、弁舌にても、威権にても、決して通る事の出来ぬは天なり、
此の理を仏には無門関と云へり、
故に平氏も源氏も長久(ちやうきう)せず、織田氏も豊臣氏も二代と続かざるなり、
されば恐るべきは天なり、勤むべきは事天(てんにつかふ)の行ひなり、
世の強欲者、此の理を知らず、何処迄(どこまで)も際限なく、身代を大(だい)にせんとして、智を振ひ腕を振ふといへども、種々の手違ひ起りて進む事能はず、
又権謀威力を頼んで専ら利を計るも、同じく失敗のみありて、志を遂ぐる事能はざる、
皆天あるが故なり、
故に大学には、
止(とどま)る処を知れ、
と教へたり、
止る処を知れば、漸々進むの理あり、
止る処を知らざれば、必ず退歩を免れず、
漸々退歩すれば終に滅亡すべきなり、
且つ天は明らかにして私なしと云へり、
私なければ誠なり、
中庸に、
誠なれば明らかなり、明らかなれば誠なり、誠は天の道なり、之を誠にするは人の道なり、
とあり、
之を誠にするとは、私を去るを云ふ、
則ち己れに克つなり、
六(むつ)かしき事はあらじ、其の理よく聞えたり、
其の真偽に至つては予が知る処にあらず。

【14】大和田山城が、楠木正成公の旗の文であるといって、次の文を写して来て真偽はどうでしょうかと問うた。

    楠  非  は 理に勝つ事あたはず
    公  理  は 法に勝つ事あたはず
    旗  法  は 権に勝つ事あたはず
    文  権  は 天に勝つ事あたはず
       天  は 明らかに して私なし


尊徳先生はおっしゃった。
理・法・権という事は、世にいう事である。
非・理・法・権・天というのは珍らしい。
世の中はこの文のとおりである。
どのような権力者も、天には決して勝つ事はできないものである。
たとえば理があっても頼むに足りない。
権力に押される事がある。
かつ理を曲げても法は立つであろう。
権力をもって法を圧することもできよう。
しかしながら、天があることをどうしよう、
俗歌に
「箱根八里は馬でも越すが馬で越されぬ大井川」という。
そのように人と人との上は、智力でも、弁舌でも、威権でも通らば通るけれども、天があるのをどうしよう。
智力でも、弁舌でも、威権でも、決して通る事のできないのは天である。
この理を仏教ではは無門関という。
だから平氏も源氏も長久せず、織田氏も豊臣氏も二代と続かないのである。
そうであれば恐るべきは天である、
勤めるべきは天につかえる行いである。
世の強欲な者は、この理を知らないで、どこまでも際限なく、身代を大きくしようとして、智を振い、腕を振ったとしても、種々の手違いが起こって進む事ができず、また権謀・威力を頼んで専ら利を計っても、同じく失敗だけがあって、志を遂げる事ができないのも、皆天があるためである。
だから大学に、
止まるところを知れ、
と教えるのだ。
止まるところを知れば、次第に進むという理がある。
止まるところを知らなければ、必ず退歩することを免れない、次第に退歩するならばついには滅亡するであろう。
天は明らかであって私なしという。
私がなければ誠である。
中庸に、
誠なれば明らかなり、明らかなれば誠なり、誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり、
とある。
これを誠にするというのは、私を去ることをいう。
すなわち己れに克(か)つということである。
難しい事ではあるまい。
その理がよく通っている。
その真偽については私の知るところではない。

【15】或(あるひと)問ふ、
「春は花秋は紅葉と夢うつゝ寝ても醒(さめ)ても有明の月」とは如何(いか)なる意なるや、
翁曰く、
是は色則是空々則是色、と云へる心を詠めるなり、
夫れ色とは肉眼に見ゆる物を云ふ、
天地間森羅万象是なり、
空とは肉眼に見えざる物を云ふ、
所謂(いはゆる)玄の又玄と云へるも是なり、
世界は循環変化の理にして、空は色を顕し、色は空に帰す、
皆循環の為に変化せざるを得ざる、是れ天道なり、
夫れ今は野も山も真青(まあを)なれども、春になれば、梅が咲き、桃桜(ももさくら)咲き、爛漫馥郁(らんまんふくいく)たり、
夫も見る間に散り失せ、秋になれば、麓は染りぬ、峰も紅葉(こうえふ)しぬ、実に錦しゅうをも欺むけりと詠むるも、一夜木枯(こがらし)吹けば、見る影もなくちり果つるなり、
人も又同じく、子供は育ち、若年は老年になり、老人は死す、
死すれば又産れて、新陳交代する世の中なり、
さりとて悟りたる為に、花の咲くにあらず、
迷ひたるが為に、紅葉の散るにあらず、悟りたる為に、産るゝにあらず、
迷ひたる為に、死するにもあらず、
悟つても迷つても、寒い時は寒く、暑い時は暑く、
死ぬ者は死し、生るゝ者は生れて、少しも関係なければ、是を
「ねても覚ても在明の月」と詠めるなり、
別意あるにあらず、只悟道と云ふ物も、敢て益なきものなる事を、よめるなり。

【15】ある人が問うた。
「春は花 秋は紅葉と 夢うつゝ 寝ても醒ても有明の月」
というのはどういう意味でしょうか。
尊徳先生はおっしゃった。
これは色則是空 空則是色 いう心を詠んだものだ。
色とは肉眼に見えるものをいう。天地間森羅万象これである。
空とは肉眼に見えないものをいう。
いわゆる玄の又玄というのもこれである。
世界は循環・変化の理であって、空は色を顕し、色は空に帰する、
皆循環のために変化しないものはない、これが天道である。
今は野も山も緑であるが、春になれば、梅が咲き、桃や桜が咲き、爛漫・馥郁(ふくいく)とする。
それも見る間に散り失せて、秋になれば、麓は染り、峰も紅葉する。実に錦やあやにもまけるまい。
そうながめるうちに、一夜木枯しが吹けば、見る影もなくなり散りはててしまう。
人もまた同じく、子供は育ち、若年は老年になり、老人は死ぬ。
死ねば、また生まれて、新陳交代するのが世の中である。
そうだからといって悟ったために、花が咲くのではない。
迷ったために、紅葉が散るのでもない。
悟ったために、産れるのではない。
迷ったために、死ぬのでもない。
悟っても迷っても、寒い時は寒く、暑い時は暑く、死ぬ者は死んで、生れる者は生れ、少しも関係がないから、これを「ねても覚めても在明の月」と詠んだのである。
特別な意味があるわけではない。
ただ悟道という物も、特に益のないものだという事を、よんだのである。

【16】神儒仏の書、数万巻あり、
それを研究するも、深山(しんざん)に入り坐禅するも、其の道を上り極むる時は、世を救ひ、世を益するの外に道は有るべからず、
若し有りといへば、邪道なるべし、
正道(せいだう)は必ず世を益するの一つなり、
縦令(たとひ)学問するも、道を学ぶも、此処(ここ)に到らざれば、葎(むぐら)蓬(よもぎ)の徒(いたづら)にはひ広がりたるが如く、人世(じんせい)に用無き物なり、
人世(じんせい)に用無き物は、尊ぶにたらず、
広がれば広がる程、世の害なり、
幾年の後か、聖君出て、此の如き無用の書は焼き捨てる事もなしといふべからず、
焼き捨てる事なきも、荒蕪(くわうぶ)を開くが如く、無用なる葎蓬(むぐらよもぎ)を刈り捨て、有用の道の広まる、時節もなしと云ふべからず、
兎も角も、人世(じんせい)に益なき書は見るべからず、
自他に益なき事は為すべからず、
光陰は矢の如し、人生は六十年といへども、幼老の時あり、疾病(しつぺい)あり、事故あり、
事を為すの日は至つて少ければ、無用の事はなす勿れ。

【16】神儒仏の書は、数万巻ある。
それを研究するのも、深山に入って坐禅するのも、その道を上り極める時は、世を救い、世を益するほかに道はない。
もし有るというならば、それは邪道であろう。
正道は必ず世を益するの一つである。
たとえ学問して、道を学んでも、ここに到らなければ、むぐらやヨモギがいたずらにはい広がったようなもので、人の世には用の無い物である。
人の世に用が無い物は、尊ぶにたらない。
広がれば広がるほど、世の害となる。
幾年の後か、聖君が出て、このような無用の書は焼き捨てる事もないはいえない。
焼き捨てる事がなくても、荒蕪を開くように、無用なむぐらやヨモギを刈り捨てて、有用の道が広まる時節もないとはいえまい。
ともかくも人の世に益のない書は見てはならない。
自分にも他人にも益のない事はなしてはならない。
光陰は矢の如し、
人生は60年といっても、幼老の時がある、疾病がある、事故がある、事をなす日はいたって少ないのだ。
無用の事は行ってはならない。

【17】青柳(あをやなぎ)又左衛門曰く、
越後の国に、弘法大師の法力に依つて、水油(すゐゆ)地中より湧き出で、今に到つて絶えずと、
翁曰く、
奇は奇なりといへども、只其の一所のみ、尊ぶに足らず。
我が道は夫と異にして、尤(もつと)も奇なり。
何国(いづくに)にても、荒地を起して菜種を蒔き、其の実法(みのり)を得て、是を油屋に送れば、種一斗(と)にて、油二升は急度(きつと)出でて、永代絶えず、是れ皇国固有天祖伝来の大道にして、肉食妻帯暖衣飽食し、智愚賢不肖を分たず、天下の人をして、皆行はしむべし、
是れ開闢(かいびやく)以来相伝の大道にして、日月の照明ある限り、此の世界有らん限り、間違ひなく行はるゝ道なり、
されば大師(たいし)の法に勝れる、万々(ばんばん)ならずや、
且つ我が道又大奇特(きとく)あり、
一銭の財なくして、四海の困窮を救ひ、普く施し海内を富饒(ふぜう)にして猶余りあるの法なり、
其の方法只分度を定むるの一のみ、
予是を相馬、細川、烏山、下館等の諸藩に伝ふ、
然りといへども、是は諸侯大家にあらざれば、行ふべからざるの術なり、
此の外に又術あり、原野を変じて田畑となし、貧村を変じて福村となすの術なり、
又愚夫愚婦をして、皆為さしむ可き術あり、
山家(やまが)に居て海魚を釣り、海浜に居て深山の薪(たきぎ)を取り、草原より米麦を出し、争はずして必ず勝つの術なり、
只一人をして、能くせしむるのみにあらず、智愚を分たず、天下の人をして皆能くせしむ、如何(いか)にも妙術にあらずや、
能く学んで国に帰り、能く勤めよ。

【17】青柳又左衛門が言った。
越後の国では、弘法大師の法力によって、石油が地中から湧き出て、今にいたっても絶えません。
尊徳先生はおっしゃった。
それは不思議といえば不思議といえようが、ただそこの一所に過ぎない、尊ぶにたらない。
私の報徳の道はそれと異って、もっとも不思議である。
いずれの国でも、荒地を起して菜種を蒔けば、その実りを得て、これを油屋に送るならば、種一斗で、油二升はきっとできて、永代絶えることがない。
これは皇国固有・天祖伝来の大道であって、肉食妻帯・暖衣飽食し、智愚・賢不肖を分たず、天下の人に、皆行うことができる。
これはこの国が開けて以来天祖相伝の大道であって、日月の照らす限り、この世界があらん限り、間違いなく行われる道である。
そうであれば弘法大師の法に勝っていること、何万倍ではないか。
かつ私の道はまた大きな不思議がある。
一銭の財がなくて、四海の困窮を救い、普く施し海内を豊かににしてなお余りがある法である。
その方法はただ分度を定めるの一つのみである。
私はこれを相馬、細川、烏山、下館などの諸藩に伝えた。
しかしながら、これは諸侯大家でなければ、行うことができない方法である。
この外にまた方法がある。
原野を変じて田畑となし、貧村を変じて福村となす方法である。
また愚夫愚婦をして、皆為さしむべき方法がある、
山家にいて海の魚を釣り、海浜にいて深山の薪(たきぎ)を取り、草原より米麦を出し、争わないで必ず勝つ方法がある。
ただ一人だけ、よくさせるだけれなく、智愚を分たず、天下の人をよくさせる。
なんという妙術ではないか。
よく学んで国に帰って、よく勤めなさい。

【18】翁又曰く、
杣(そま)が深山に入つて木を伐(き)るは、材木が好きにて伐(き)るにはあらず、
炭焼が炭を焼くも、炭が好きにて焼くにはあらず、
夫れ杣(そま)も炭やきも、其の職業さへ勉強すれば、白米も自然に山に登り、海の魚(うを)も里の野菜も、酒も油も皆自ら山に登るなり、
奇々妙々の世の中といふべきなり。

【18】尊徳先生がまたおっしゃった。
きこりが深山に入って木を切るのは、材木が好きで切るのではない。
炭焼が炭を焼くのも、炭が好きで焼くのではない。
きこりも炭焼きも、その職業を勤め励むならば、白米も自然に山に登ってくるし、海の魚も里の野菜も、酒も油も皆自ら山に登ってくる。
実にありがたい世の中というべきではないか。












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