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報徳記巻之四【4】細川侯復興を依頼

報徳記

巻之四【4】細川侯中村玄順をして先生に領中復興の事を依頼せしむ

細川侯齢(よわひ)既に耳順(じじゅん)を越え玉へども男子なし。
故に有馬侯の次子(じし)辰十郎君(ぎみ)を養子となす。
時に辰十郎君(きみ)未だ世を継(つ)がず。
此の君(きみ)頗(すこぶ)る英才あり。
国家(こくか)の衰弱上下の艱難を憂ひ、一度経済(けいざい)の道を行ひ再興せんと心を尽(つく)すと雖も其の道を得ず。
一時(あるとき)玄順君前(くんぜん)に在りて、古今其の人に由(よつ)て国家の盛衰することを談ず。
辰十郎君(きみ)慨然として沈黙此の事を聞き、近習(きんじふ)の人を退かしめ、竊(ひそ)かに玄順に謂(いひ)て曰く、
余(われ)有馬の家に生長し曾(かつ)て艱難の事を知らず。
此の家に養はるゝに及びて上下(しやうか)の困窮比類なきことを知る。
此の如くして歳月を送らば負債山の如く、遂に亡国(こく)に類せん。
一度家政を改革し一家を再興し、養父の心を安んじ、領民の困苦をも除かんと欲すれども、不肖にして其の道を得ず。
汝若し思慮する所あらば、国家の為に其の言を尽(つく)すべし。
我私(ひそ)かに之を参考せんと問ひ玉ふ。

玄順兼(かね)て先生良法の事を言上(ごんじやう)し、君家(くんか)を興(おこ)し、功業を立て一身の栄利をも取らんことを謀(はか)り、其の時を窺ひしに、今是の如きの問(とひ)を得て心中大いに悦び、時至れりと平伏して言上して曰く、
誠に君の憂ひ玉ふ所の如く、連年此の如くにして年月(としつき)を経(へ)ば、如何(いかに)とも為(な)すべからざるに至らん。
微臣医を以て業とす、何ぞ国家の政(まつりごと)に与(あづか)らんや。
然るに君群臣に問はずして独(ひと)り愚臣に問ひ玉ふは、臣兼(かね)て其の職にあらざれども国事(こくじ)を憂ふるの微忠を察し玉ふの故なるべし。
然るに意中を残(のこ)さず言上せずんば、必ず不忠の罪を免れず。
因(よつ)て言上し奉るの一事(じ)あり。
国家の廃衰(はいすい)を挙(あ)げんとすること非常の俊傑(しゆんけつ)にあらざればあたはず。
況んや臣の愚蒙(ぐもう)の如き何を以て国家の有益を知らん。
斯(こゝ)に希世の英才あり、名を二宮某(ぼう)と云ふ。
元相州(さうしう)小田原民間に人となり、非常の行ひを立て、知略徳行万人に超過(てうくわ)す。
小田原侯之を挙(あ)げ分家宇津家の采地(さいち)衰廃(すいはい)再興を任じ、数年にして功業成就し、三邑(いふ)の民危急の艱苦を脱し、平安の地を得、貢税往時に倍し、宇津家積年の艱難之が為に免れたり。
小田原侯其の功を賞賛し玉ひ十一万石の領地再盛の事を任ぜんと欲し玉ふ。
其の事業徳行の巨細(こさい)に至ては一言の尽(つ)くすべきにあらず。
実(じつ)に希世(きせい)の人傑なり。
臣故(ゆゑ)ありて二宮に一面することを得。
其の高論を聞くに滔々(たうたう)として洪河(こうが)の如く、治乱(ちらん)盛衰存亡吉凶の生ずる処(ところ)其の根元を談ずるに、混々(こんこん)として其の尽(つ)くる所を知らず。
君若し此の人に国家再興の道を委任し、
其の指揮に応(おう)じ改政仁術を施し玉はゞ、十年を出でずして上下(しやうか)の艱難を免れ、大いに国家の大幸を開かんこと疑ひあるべからず。
其の良法を行ひ玉はゞ、臣愚なりと雖も其の教示(けうし)を受け、上下(しやうか)の為に一身をナゲウち、再興の事業に心力を尽(つく)すべし。
君は興復の大体(だいたい)を守り給ひ、臣は其の正業に力を尽(つく)さば何事か成らざらんやと弁(べん)をふるひて言上しければ、辰十郎君(ぎみ)大いに悦び、誠に汝の言の如くならば、無双の英傑といふべし。
二宮の力を借り、其の指揮に随ひ、汝と心を合せ勉励(べんれい)せば志願必ず成就せんか。
斯(こゝ)に一つの難事あり。
群臣数年の困苦に迫り頗(すこぶ)る仁義の風を失ひ、自ら功を立てんことを好み、人の功を妨げ、他の善を忌むの心盛んにして、国家の為に私心を去り、忠を尽(つく)さんとするもの鮮(すくな)し。
今大業(だいげふ)を汝(なんぢ)と共に挙(あ)げんとせば、之を聞き其の是非を論ぜずして徒(いたづら)に之を拒(こばま)んこと必(ひつ)せり。
我未だ部屋住(へやすみ)たり、専ら令することあたはず。
此の事を公然として発(はつ)せば必ず成すことあたはず。
汝竊(ひそ)かに余が辛苦する所以(ゆゑん)と、二宮の道を行ひ国家を再興せんとするの意中を、二宮に往きて具(つぶ)さに告げ、当時(たうじ)の処置(しょち)を問ふべし。
二宮余(よ)が辛苦を察せば、必ず之を憐み大知を以て処置(しょち)の宜(よろ)しきを示さんか。
然らば又之に応(おう)じて為す可きの道を得ん。
汝此の事を過(あやま)つ勿(なか)れと命じ玉ふ。
玄順悦びて曰く、
君労(らう)し玉ふことなかれ。
臣(しん)宰我(さいが)子貢の弁(べん)を振ひ、君意を貫通せしめ、二宮の良策を得て、再び言上し奉らんと云ひて退き、再び先生の許(もと)に至れり。


報徳記  巻之四
 【4】細川侯中村玄順をして先生に領中復興の事を依頼せしむ

細川侯は年齢が既に耳順(60歳)を越えられていたが男子がなかった。このために有馬侯の次男辰十郎君を養子とした。その時、辰十郎君はまだ世を継いでいなかった。この君は非常にすぐれた才能があった。国家の衰弱、上下の艱難を憂いて、一度世を治め民の生活を安定させる道を行い再興したいと心を尽していたがその道を得なかった。ある時、玄順が君前にあって、古今その人によって国家の盛衰することを話した。辰十郎君は憂いた様子で沈黙してこの事を聞いて、そば近くで仕える者を退かせて、ひそかに玄順に言われた。「私は有馬の家に生長しかって艱難の事を知らなかった。この家に養われるに及んで上下の困窮が比類ないことを知った。このようにして歳月を送るならば負債は山のようで、遂に亡国に類するであろう。一度政治を改革し一家を再興し、養父の心を安らかにし、領民の困苦をも除こうと欲すれが、愚かでその道を得ない。お前がもし思慮する所があるならば、国家のためにその言葉を尽してみよ。私はひそかにこれを参考としようと思う」と問われた。
 玄順はかねて先生の良法の事を言上し、君家を興し、功業を立て一身の栄利をも取りたいと諮って、その時を窺っていたが、今このような問いを得て心中非常に喜んで、時が来たと平伏して言上した。
「誠に君の憂えておられますように、連年このようにして年月を経るならば、どうにもすることができなくなりましょう。私は医を以て業としており、どうして国家の政治に関与できましょう。そうであるのに君が群臣に問わないで独り愚臣に問われるのは、臣がかねてその職ではありませんが、国事を憂えている微忠を察せられたためでしょう。そうであるのに意中を残らず言上しなければ、必ず不忠の罪を免れません。よって言上する一事があります。国家の廃衰を挙げようとすることは非常の俊傑でなければできません。ましてや臣のような愚かな者がどうしてき何を以て国家の有益を知らん。
ここに希世の英才あり、名を二宮といいます。元は相模の小田原の民間に育ち、非常の行いを立てて、知恵や徳行は万人に超過しています。小田原侯がこれを挙用し分家の宇津家の領地が衰廃したのを再興するように任じ、数年で功績のすぐれた事業が完成し、三村の民は危急の艱難辛苦を脱がれ、平安の地を得て、貢税は往時の倍となり、宇津家は積年の艱難がこれによって免れることができた。小田原侯はその功績を賞賛されて11万石の領地の再盛の事を任じようと欲されました。その事業と徳行の一部始終に至っては一言で尽くすことはできません。実に世にもまれな人傑です。臣はわけがあって二宮に一度面会できました。その高論を聞くと、とうとうと流れる大河のようで、治乱・盛衰・存亡・吉凶が生ずる処其の根元を談ずるに、混々としてその尽きる所を知りません。
もし君がこの人に国家再興の道を委任し、その指揮に応じて政治を改めて仁術を施されれば、10年を出ないで上下の艱難を免がれ、大いに国家の大きな幸せを開くことは疑いありません。その良法を行われれば、臣は愚かではありますがその教えを受け、上下の為に一身をなげうって、再興の事業に心力を尽しましょう。君は復興の主要な所を守られ、臣はその正業に力を尽すならば成らないものがありましょうか」と弁舌をふるって言上したところ、辰十郎君は大変に喜び、「誠にお前の言うとおりならば、無双の英傑というべきである。二宮の力を借りて、その指揮に随って、お前と心を合せ努め励むならば志願は必ず成就しよう。ここに一つ難事がある。群臣は数年の困苦に迫られ非常に仁義の風を失って、自ら功績を立てることを好んで、人の功績を妨げ、他の善を嫌う心が盛んで、国家のために私心を去って、忠を尽そうとする者は少ない。今、大きな事業をお前と共に挙げようとすれば、これを聞いて、それが良いか悪いかを論ずることなくいたずらにこれを必ず拒否することであろう。私はまだ部屋住みである。専ら命令することはできない。この事を公然と発するならば必ず成すことができない。お前はひそかに私が辛苦する理由と、二宮の道を行って国家を再興しようとする意中を、二宮に往ってきて詳細に告げて、現在どのようにすればいいかを問うてこい。二宮は私の辛苦を察するならば、必ずこれを憐れんで大きな知恵でどうすればよいかを示してくれるであろう。そうすればまたこれに応じて行うべき道が得られよう。お前はこの事を過ってはならない」と命じられた。
玄順は喜んで言った。君は心労したまうことなかれ。臣は宰我(さいが:孔子の門人で弁論の達人と評された)・子貢の弁論をふるい、君の意志を貫通させ、二宮の良策を得て、再び言上いたしましょうと言って退いて、再び先生のもとに赴いた。



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