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宮原屋宛書簡 「大学料理の書簡」

宮原屋瀛洲(えいしゅう)は神奈川県浦賀(横須賀市内)の回船問屋である宮原屋の隠居で、大磯の川崎屋孫右衛門との縁戚関係から尊徳先生の指導を受けるようになった。尊徳先生の信頼も厚く、報徳仲間の江戸における先生への取次ぎなどもしており、宮原一族にあてた尊徳先生の「大学料理の書簡」は有名である。

《年譜》天保12年<尊徳先生55歳>10月14日
川崎屋孫右衛門、宮原屋清兵衛の弟瀛洲が来て、大学料理の書簡を与える。

報徳叢書25~36頁を読みやすく改めた。

「わざわざ飛脚を以て御紙翰成し下され、貴命のごとく甚だ寒さのみぎり、各々様ご道中(どうちゆう)お滞り無くご帰宅成され、殊にご一統お揃ひ、ご精励成され、珍重斜めならず存じ奉り候。随つて当方陣屋内、詰合の面々、無異(ぶい)繁勤救助の道相励み罷り在り候條、ご安意下さるべく候。然らば去る天保7申(さる)大荒凶飢饉につき、大磯宿打壊しのみぎり、川崎氏家政取り直し趣法歎願につき、ご親類中御越成され、それより追々ご懇意に罷り成り候ところ、当年の儀はお国元大人(たいじん)初めご一同遠路のところ、よくぞやお越し下され候えども、当国の儀は、昔 西(最)明寺時頼公の巡国記にも、日本一下野国(しもつけのくに)は土地人気至ってあしく、その内寒川郡、芳賀郡の儀は別段の由(よし)、お書き置かれ候極難(ごくなん)の土地、然る処、連々人少(じんせう)困窮致し、退転亡所同様罷り成り候知行所(ちぎやうしよ)村々、ご承知の通り金一朱二朱の銭売買これ無く、豆腐などは一里余りも参らず候はでは求め難き程の辺鄙につき、珍味珍食、あるいは珍事珍言等一切ござ無く、長々ご逗留中、思ひながらおそまつ仕り、嘸々(さぞ)ご不自由とお察し申し暮らし候。そもそも趣法の根元は、まづ荒地一反歩切り開き作り立て、その実法(みのり)を残らず食ひ恩沢に報いざる時は、百歳といへどもその他に及ぼす事あたはず。之によつて右一反歩作り立て、その実法の半ばを食ひ、その半ばを譲る時は、別帳雛形の通り、その開発田反別算勘(さんかん)も及びがたく候、もっとも古語にも、一家譲り有れば、一国譲りをおこすとかや。その徳沢を以て、年々繰り返し、あるいは神社堂寺なども修復致し、人情を励まし、あるいは用水、悪水井(いど)溝等を修復致し、水旱の憂ひを去り、あるいは道を築き、橋をかけ、牛馬の通路を弁じ、あるいは家宅を修復致し、人民の居住を安んじ、あるいは夫食(ぶじき)種穀をあたへて、窮民の渡世を補ひ、あるいは鍬鎌農具を与へて、勤業を励ませ、およそ十有余年を経て、荒地あらまし開け、村柄古(いにしへ)に立ち戻り、収納初年に倍し候辛苦艱難を以て、つらつら古を案ずるに、幾千年歳の昔、神代より
天祖天孫代々のご丹誠を以て、豊葦原の瑞穂の国を、安国と平らげたまいしより、この道盛んなる時は富み豊かなり。この道怠る時は窮す。諸人平生日用に相営みおり候へども、その理にくらし。然りと雖も銘々よく耕し耘(くさぎ)る時は、その実法多く、そ作成る時は実法眼前にすくなし。是れ皆有用の財宝は、土地と民力との二つよりして国家を潤沢するもの也。以て土地の貴きゆゑんを知るべし。本来異国は異国の財宝を以て興き、我が朝はわが朝の徳沢を以てかくのごとく開け、有り難しと申すも恐れ多し。然らば昔のご丹誠を知る事は、今の艱難を以て知らずんばあるべからず。今の艱難を知って、よく永く耕し怠らずんば、荒地はあれ地の力をもつて、荒蕪の広狭にかかはらず、遂に自然と起き返り申すべく候。借財は借財の費えを以て返済致し候はば、多少にかかはらず無借に相成り申すべく候。およそ大意は荒地を引き受け、発田に引かへ、借財を引き請け、無借に引き換へ、人糞馬糞、そうじて不浄を引き請け清浄に換へ、人の憂ひを引き請け幸ひ替へ、家別(かべつ)戸毎(こごと)に営み候同様の事なり。その外富の弊は驕奢(けうしや)、是を改めずんば子孫困窮の本、貧の弊は怠惰是を改めずんば子孫滅亡の本也。願はくば富者の驕奢を省き、その貨財を以て貧者を救ひ、貧者の怠惰を励まし、有陰(ゆういん)を以て家業致させ候はば、自然と財宝生じ、国富豊かに相成り申すべく候。第一瓜の種を蒔けば瓜生じ、又茄子(なす)の種をまけばなす生じ、なる実法る世の中にして、因果因縁の熟する事、是皆然り。銘々奪つて益なく、譲つて益ある農業の道、平生日用取り扱い候かどかど、お噺し申し候ところさすが富貴兼備の非俗、渡世の名人、華美風流驕奢の棟梁、並びに生駒氏、橋本氏、その外ご一同いちいちご感心成され、ご帰着の上、微細にご伝声下され候ところ、宮原家初めご親類中、一統その外承諾致され、追々驕奢を省き、窮民潤助の趣法お取行ひ成されたき趣き、仰せ越され候へども、その御地の儀は、大都通船のみなとにして、金銀財宝の融通は申すに及ばず、諸国名産、珍物出入り、幸ひの地ゆゑ、人々衣服飲食等に至るまで、美を尽し、善を尽し、風儀三都に等しき由、かねがね承りおり候。然しながら何程上国に候とも、恩沢を報ゆるお心なければ、有るが上にも願ひ求めて不足起り、自然と借財生じ、終に困窮致し候様成り行き候へば、下国にひとし。あるいは美食ありといへども、恩沢を報ゆるお心なければ、遂に自然と不足生じて、有るが上にも願ひ求むる様に成り行き候へば、辺鄙(へんぴ)のそ食に等し。あるいは美服有りと雖も、恩沢を報ゆるお心なければ、是又終に自然と不足生じて、有るが上にも願ひ求むる様に成り行き候へば、貧者のそ服に等し。あるいは衣食住の外、風流華美の品々満備すといへども、恩沢を報ずるお心なければ、終に自然と不足の心起り、有るがうへにも異国の名産等を願ひ求むる、野鄙の心生じ候とは、やはり下国に生れし同様に陥り申すべく候。仮令(たとひ)智仁勇の三徳を得るといへども、父母祖先の恩沢を報ずるお心なければ、是又自然と不足の心起り、遊芸などを願ひ求むる様成り行き、詰り傾城(けいせい)遊女、夜発盲人等に等し、前条の通り有るが上にも願ひ求むるときは、人々貴賎尊卑の違ひは之有り候へども、その幾倍に及んでは、夏殷(かいん)の勢ひも亡びたり。仏にいわゆる貪瞋癡(とんじんち)の三毒又是也。聖語に過ぎたるは猶及ばざるがごとしとは、かくのごときか。よくよくこの理りを以て恩沢に報い奉りなば、この上も無きの土地なり。御地と当国とは、全く天地の相違、然りといへども天は地を覆ひ、地は天を戴き、而して天地相和する時は万物生ず。男は女を愛し、女は男を敬し、而して男女相和する時は子孫生ず。富は貧を救ひ、貧は富を親しみ、恩を謝し、而して貧富相和する時は、財宝生ず。是皆天地の然らしむるところ也。」


さてそのもの啓三郎殿儀、川崎氏家政取り直し趣法歎願のみぎり、ご親類一同、小田原表までお越し成され、ご内願之有り趣申し聞けられ候儀は、前々より浦賀表出店の取締りと為て、年々勤番渡世致し来り候家法、然るところ、風(ふ)と心得違にて、家法を穢(けが)し、不埒(ふらち)につき慎み中の身分、いかが相心得候て然るべきやとお尋ねに預り、驚き入り、よくよく勘考仕り見候ところ、右より困窮艱難、無禄の子孫に生れ候ものとても、家名相続の儀は人々相営み申し候ところ、かたじけなくも大家相続の子孫に生れ候ご身分なれば孝養の儀は申すに及ばず、家法守護の儀については、たとへ粉骨砕身するとも、きっとご勤仕成るべき筈のところ、遊楽驕奢に流れ、祖先のご丹誠忘却致され、規則を乱し候段、言語に絶し申し候。然りと雖も、過てば則ち改むるに憚ることなかれとの聖語に基き早々お改め成され候て然るべきやの旨申し談じ候ところ、猶又取計ひ方お尋ねにつき、前段の不埒については、何程厳重御慎み成され候ても、その罪のがれ難きところ、却つて過ちの先まで出格のご慈愛を以て、年々金五十両宛小遣ひお贈り遣はされ候段、我らにおいても実に感涙を絞り候儀、速やかに浮世の雲、迷ひの夢を覚し、日月の明鏡を拝し給はば、父母祖先の大恩身心骨肉に徹し申すべき候間、よくよくご勘通之有りたき候。然るところ、是を飲み、安く食ひ、暖かに着、空しく歳月を費やし、安逸成され候儀は、何のゆゑぞや。譬へば赤子の懐中に抱かれ、乳味を費し、母の胸をうつがごとくなるべし。今壮年のお身分に候へば、いかやうとも節倹を尽し、ご慈愛金の内十両お残り成され候はば、十両だけのご孝心、二十両お残り成され候はば、二十両だけのご孝心、もしまた何ぞ家業を相営み、口腹を養ひ、残らず御差出成され候はば、その孝心に基き、御出金だけ趣法金助成仕る旨、誓約仕り置き候ところ、天なるかな、時なるかな、昨子年(ねどし)二十五両、当丑年二十五両お残し成され候、ご改心の印を以て、川崎氏勘気宥免のほど相願ひくれ候やう、厚く内談ござ候につき、ご逗留中歎願に及び候ところ、祖先の感動にも候か、追々改心致され候潔き所行をお汲み取り、早速歎願の通りお聞き済み下され、当人儀はいよいよ本心に立ち戻り候まで申し諭しくれ候やう、野拙(やせつ)方へお任せ下され、対面まで相整ひ、一同喜悦斜めならず候。右報徳のため、ご慈愛金残らず御差出成され、ご示談の通り、趣法金五十両、年々助成仕り、都合百両宛、元入金の積りを以て、六十ヶ年趣法組立て見候ところ、別帳の通り、およそ金二十六万五千八百八十九両余り、無利五ヶ年賦(ねんぷ)に借用致し、相助かり候者之有り、其の余積年の儀は、押して算勘下さるべく候。前にも申し候通り、不浄のこらしを以て、清浄の米を作り出たるがごとし。是すなはち宮原家の凶事変じて、窮民の潤助と成り、窮民潤沢して貧富相和して親しき時は、吉是より大いなるはなし。然らば不孝変化して至孝となり、万代不朽万々歳の大幸と申し納め候以上。
 (天保十二年)十二月十五日           桜町 二宮金次郎
浦賀  宮原治兵衛様 同瀛洲様 橋本与三衛門様

追つて申し展(の)べ候。近代世上一統華美柔弱に相流れ、古人の金言などのかたき物を、よくかみしめ、深く味わふもの鮮(すくな)し。つらつら根元を案ずるに、今眼前その表前後の海底より釣り出し候大魚は勿論、小魚といへども、切りきざみ、煮焼き致し候てこそ、日用食物、人命の助けとも相成り申すべく候。況や千歳の昔、異国より来り候大学論語などは、天下国家を治めるの大徳備はわり居り候へば、肉も多く、身も多く、定めて大ひなる骨も之有るべく候につき、なかなか以て諸人もてはやすのみにて、丸呑みには相成り兼ね、年久しく店ざらし同様相成り居り候古もの、一両句見つけ、こけをふき、皮をはぎ、筋も骨もとり、平生日用に人々相用ひ候平かなにて、賎女(しづのめ)、賎男(しづのを)が、うす挽きうた同様あるいは老人、又は女小児(をんなこども)にも呑み込み、食ひ安く仕立て、御試しの為少々差進じ申し候につきご賞味下さるべく候、その外神儒仏の三味悟道即席ご料理なども、是又数年天地の間に借地仕り、人様の厚きお世話を蒙り、渡世仕り居り候間、右報徳の為めお望み次第、案外お安く差上げ申すべく候につき、早々お越しお求め、お施し下され候はば、御地三崎辺り、この節不漁の由、窮民の一助にも相成り申すべく候
以上

尚々寒威甚しく、折角お厭いなさるべく、隔通にて申し展ぶべきのところ、取り込み故、略儀の段ご用捨下さるべく候以上

明徳ヲ明ニスルニ在リ。
豊あしのふか野が原を田となして、食をもとめてくろう楽しさ。

民ニ親ムニ在リ。
田をひらき米を作りてほどこせば、いのちあるものみなふくすらん。

至善ニ止ルニ在リ。
田を作り食を求めて譲りなば、いくよへるともこれに止まる。

学ンデ時ニ之ヲ習フ、亦悦バシカラズヤ、朋有リ遠方自リ来ル、亦楽シカラズヤ。
蒔(まき)うゑて時々に芸(くさぎ)りたがやせば、しだいしだいに楽しかるらむ。

人知ラズシテ慍ラズ、亦君子ナラズヤ。
姿こそ深山かくれに苔むせど、たにうちこゑて見ゆるさくら木。

至誠之道、以テ前知スベシ、国家将に興ラントスルヤ、必ズ禎祥有リ、蓍龜(しき)ニ見ハレ、四体ニ動ク、故ニ至誠神ノ如シ。
北やまは冬気にとじて雪ふれど、ほころびにけり前の川柳(かはやぎ)。

湯之盤ノ銘ニ曰ク、苟(まこと)ニ日ニ新ニシテ、日々ニ新ニ、又日ニ新ナリ。いにしへのしろきヲ思ひ洗濯の、かへすがへすもかへすがへすも。

故(ふる)キヲ温(たづ)ネテ新シキヲ知ル。
故道(ふるみち)に積る木の葉をかきわけて、天照神の足跡を見ん。

色(しき)ハ空(くう)ニ異ナラズ、空ハ色ニ異ナラズ、色即チ是レ空、空即チ是レ色、受想行識、亦復是ノ如シ。
春は花秋は紅葉と夢うつつ、ねてもさめてもあり明の月

天何ヲカ言ハンヤ、四時行(めぐり)、百物生(な)ル、天何ヲカ言ハンヤ。
声(おと)もなく臭(か)もなく常に天地(あめつち)は、書かざるけふ(経)を繰りかへしつつ。

正直ハ一旦ノ依怙(えこ)ニ非ズト雖モ、終ニ日月ノ憐ヲ蒙ル。
丹誠はだれしらずともおのづから、秋の実法(みのり)のまさるかずかず。

赤子ヲ保スルガ如ク、心誠ニ之ヲ求ムレバ、中(あた)ラズト雖モ遠カラズ、未ダ子ヲ養フコトヲ学ンデ后ニ嫁グ者アラザル也。
をのが子を恵む心を法(の)りとせば、学ばずとても道にいたらん。

一 その表各ご一統、旧弊をお改め成され、窮民撫育の趣法御取行ひ成され候については、ご綿服ご着用と存じつき、差上げ申したく、ご逗留中相調へ置き候ところ、何分驕奢の残気相退きかね、余儀無く延引仕り置き候へども、ご出立後憤発致し、当所の産真岡(まうか)木綿五反差進じ申し候ところ、早速お用い下され、本懐の至りにござ候。右晒(さら)し木綿ご着用成され候はば、ご入用次第又又差遣し申すべく候。さて又御地名産の?(はしり)鰡(ぼら)沢山、ご老母様初め、ご一同よりご送恵下され、一方ならずご深志千万忝く賞翫、尚それぞれへも差遣し、一同大悦仕り候。然しながらご誠心に甘へ、このまま相流れ候ては詰り驕奢に陥り申すべく候につき、以来の儀は堅くお断り置き申し候
一 色紙短冊、この辺り所々相尋ね申し候へども相整ひ兼ね、有り合せいろいろ取交ぜ相認(したた)め差遣わし申し候間、見苦しき段ご免下さるべく候
一 ご逗留中お噂ござ候お国元ご詩作、頂戴仕りたく候間、お序にお恵み下さるべく候以上
十二月十五日   二宮金次郎
宮原治兵衛様 宮原瀛洲様 橋本与三左衛門様





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