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御仕法掛心得方大略

御仕法掛心得方大略

当御藩内荒地起返、窮民御撫育、村柄御取直しの御仕法の儀は、誠に富国安民の御大業にて、無窮の御大仁を布かせられ、百姓安堵の地を拡充し、永久衰廃の憂これ無きやう、始に終を尽くし、御恵恤あれせられ候良法に候へば、誰か御恩沢に感動致さざるものこれ有あるべきや。いかなる荒蕪貧窮なりとも、再復疑なきことに候へども、村々に臨み御仁恵を推し及ぼし候面々の誠不誠によって、人気の向背一村の進退に拘るのみならず、可なる時は御徳化行はれ、不可なる時は御仁恵を汚し奉り、百姓安堵の道を失ひ候儀に付き、誠に恐るべきの至りに候。これによって掛合仰せ蒙り候面々、御上下の御ために心力を尽し、御仕法御成就相成り候やう、一途に忠誠を励み候儀は勿論、平生聊かも私意を挟まず、専ら公論を主とし、村々年来の衰弊困苦を相除き、永安の道に至り候やう、誠実に取扱ひ候儀第一に候。一身を正しうして下民を正道に導き、旧染の汚俗を洗ひ、淳朴篤実に至らしめる事、全く掛合の一誠心にあり、然らば平生互に己の善悪に昧(くら)くして、人の善悪を論じ、己を顧るに疎にして、人を責むるに密なるは、己を修むるに心を用ひざるの致す処なり。いかなる大知の上にも、千慮の一失あり。庸愚といへども一得あり。長ずる所あれば短なる所あるは、万物自然の道理にて賢者といへども免がれ難く、ましてそれ以下に至りては、なお更の事に候。然るに兎角人情の常は、一身の栄利を求め、己の長ずる事にほこり、人の短なる事を誂(そし)り、その過失を挙げ、その善美を掩ふの類、古今の通患につき、もしかくの如き凡情を懐き、古復永安の大道を挙げんとせば、僅かに一村といへども、民情浮薄に流れ、怨望起り、たとへば手を以て江河をふせがんとするよりも難かるべし。この故に人の善は小なりといへども必ずこれを称し、人の過失はこれを挙げず、ひそかに懇切の異見教訓を加へ、人の長ずる所を貴び、その短なる所を憐れみ、これを補ひ、互に我が身を顧み、過ちを聞くを以て喜びとし、誠意を以て助けあひ、御大業を押立て、上は累年の御痛慮を安んじ奉り、下は天民のその所を得、永久御上下の御繁栄を以て、他事無く心願と致し、日夜力を尽くし候はゞ、自然その誠意下々に至るまで貫通いたし、旧来の弊風、無頼の人情も、篤実勤業の所行に改まり、御興復の御仕法押立て申すべく候、因って心得方左に取調べ申し候

一 御仕法村々引受け出張の面々、朝廻村おこたらず、村役人は申すに及ばず、細民に至るまで厚く 御仁恵を相弁へ候やう入念に申し諭し、第一旧弊を除き、互に信義を守り、村内睦じく、専ら勤業におもむき、引立て候やう実意に世話差し加へ申すべき事
一 村方に臨み、年来の衰弊を立直し、永安の道を得候やう取扱ひ候には、先づ第一には、その村何の為に斯く衰廃に陥り候やと、その衰貧の根元を見渡し、次には土地の善悪、銘々分限の大小を見定め、次には毎家の勤惰得失を察し、且つ所行の善悪邪正を弁じ、一村の実事、悉く胸臆の間に分別致し、然る後衰廃の根元を除き、淳朴篤実、勤倹の道に導き、一村洽(あまね)く立直り候やう、誠実の世話差し加へ申すべき事
一 一村の進退、所行の善悪勤惰は村内にあるにあらず、引立掛合の誠不誠に因ると申す儀を観念致し、専ら下民に先立って勤労を尽し、仁恕の行を主とし、一村安堵の道に導き申すべき事
一 村方孝行人は勿論、惣じて奇特の所行これ有る時は、その次第を委(くわ)しく筆記いたし申し上ぐべき事
一 村方心得違ひのものこれ有る節は、丁寧に利害を申し聞かせ、改心の所行相立ち候やう深切に取扱ひ申すべく、僅かに一応の理解にて承服出来ずとて、捨置き候ては、誠心の感通致すべき道を失ひ候儀につき、再三反復丁寧の教示を加へ、なお改心の所行相立ちかね候はゞ、外の掛合へ申し談じ、教誨を相頼み申すべき事
一 村々御取直の儀は、実に御大仁の御仕法に付き、僅一時の取り計らひなりとも、永久安堵の基に相成り候やう深く勘弁いたし取扱ひ申すべく、必ず姑息の取計らひに陥らざるやう致すべき儀専要の事
一 諸事村内のものより申し立て候事は、兎角己を是とし、他を非とするの人情免れ難き事につき、必ず一方の申し分を取り、直ちに理解又は取扱ひ等致し候ては、実事相違に及び、民心を失ひ候につき、何事によらず双方の是非をよくよく承り候上、教誨を下し申すべき事
一 村方に臨み年を重ね、世話差加へ候に随ひ、心易く度々立入り候ものは、自然愛情も生じ、近づかざるものは愛心も生ぜざる道理にて、知らずしらず平生の取扱ひ片落ちに相成り易きものにつき、この所深く心を用ひ、下方依怙(えこ)なりと申すやうの儀これ無きやう取扱ひ申すべき事
一 何れの村々も年来困窮に及び、人気風儀も悪(あし)く相成り居り候事故、是を一洗いたし、旧復の場に導き候は容易ならざる儀、一村の目当と致し候は、掛り合の行状につき、専ら正路潔白を守り候はもとよりの儀、第一誠意を先立て、万事一身を慎しみ、諸民の嘲りこれ無きやう心掛け申すべき事
一 一村の人民一体に見渡し、大小知愚共に、永安の地に御導き下され候御仕法につき、必ず愛憎の心を生じ、偏頗の理解取扱ひ等これ無きやう、深く心を尽し申すべき事
一 一村の向背、人気の進退、皆これ御仕法掛の一身に帰し候儀は勿論の事につき、村方の宜しからざるは村方の所為にあらず、掛合いの至らざるなりと、日々に我が身を顧み、我が心を責め、万事実意第一に世話差加へ申すべき事
一 村々出張の面々、月境には暫時引取り、役所へ相詰め、互に申し談じ、諸普請、諸願向き等、何事によらず見込みを相立て、可否差図を受け取扱ひ申すべき事
一 富めるもの奢りに長じ、貧しきものは惰遊に流れ、終に貧富共に退転に陥り候は人情の通弊に候間、富めるもの奢りを戒め、余財を譲り、貧しきもの一途に勤業におもむき、互に譲道の奇特を相立て候やう、教誨に及び引立て申すべき事
一 所謂物の不等は物の情にして、村々の情実同じからず、一物毎に相当自然の道なきにあらず、彼に是にしてこれに非なる事あり、これに是にして彼に非なる事あり、一たび処置その至当を失ひ候へば、永年の憂を生じ改むる事を得ず、たとひ小事に似たりといへども、取扱はざる前に御良法の深理を以て、その当然の道を量り、問合せの上取扱ふべく、惣じて一己の見を以て取計らひ候儀は、見合せ申すべき事
一 地方普請の儀、永年の便利に相成り、手堅く出来候やう心を尽し申すべき事
一 家普請の儀は、専ら丈夫を主とし、無益の造作これ無きやう世話致し、尤も拝借普請奢りがましき造作致さざるやう、厳しく差図に及び申すべき事
  但し家の大小はその分限並びに本人の精不精によるべき事
一 地方普請の節は、諸人足に先立ち、未明より場所へ相詰めて差図致し、夕刻に至り明日の手配、それぞれ差図に及び、人足に後れ引取り申すべき事
一 村々家作並びに地方諸普請に至るまで立掛り、厚く世話を差加へ、普請中御入用筋巨細に取調べ、普請出来候はゞ、早速先形に基き清書いたし、役所へ差出し置き、勘定向きいささかも延引混雑致さざるやう心掛け申すべく、尤も惣じて御扱ひに相成り候事は、その都度々々延引無く取調べ申すべき事。
右あらましの事のみ相記し置き候、誠に御仕法の儀は、興国安民の御大業にて、掛合仰付けられ、相勤め候は容易ならざる儀につき、僅かに一民の取扱ひ道理に違ひ候ても御大仁の御良法を汚し奉り、御藩内一体の人気向背にかかはり候事故、万事戦競の心を存し、一言を下し、一歩を進退すといへども、誠忠の志を失はず、専ら御仁徳を拡げ、天民永安の道を目当と仕り、村々取扱ひ候儀第一の事に候。



相馬藩における仕法掛りの心得の大略について
相馬藩の荒地を起返し、困窮した民を救い、村を立て直す仕法は、誠に富国・安民の大業である。無窮の大仁を布いて、百姓が安心して暮らせる地を拡充し、永久に衰廃の憂いが無いように、始めに終りを尽し、恵み救う良法であり、その恩沢に感動しないものはない。どのような荒地や貧窮でも、再復することは疑いないが、村々に臨んで御仁恵を推し及ぼす面々が上下のために心力を尽し、仕法が成就できるよう、一途に忠誠を励むことはもちろん、普段から私意をはさむことなく、専ら公論を主とし、村々の年来の衰弊や困苦を除き、永安の道にするように誠実に取り扱うことが大事である。一身を正しくし民を正道に導き、従前からの悪い習俗を洗って淳朴で篤実にする事は、全く掛りの者一同の真心にある。そうであれば普段から互いに自分の善悪をよくみないで、人の善悪を論じたり、自分を反省することはおろそかなのに、人を責めることに熱心であるのは、自分を修めず心を用いないからである。どんあ知恵の大きい者にも千慮の一失はある。愚かでも何か一つ取りえはある。長所があれば短所があるのは、万物自然の道理で賢者であっても免れがたい。ましてそれ以下ならなおさらだ。しかし人情はともすれば常に一身の栄利を求め、自分の長所をほこって、人の短所をそしり、その過失を挙げて、その善や美をおおうことが、古今の通患であり、もしこのような凡情を懐いて、古えに復する永安の大道を挙げようとすれば、わずか一村であっても、民情は浮薄に流れ、怨みの声は起る。たとえば手で江河をふせごうとするよりも難しい。だから人の善は小であっても必ずこれを誉め、人の過失はこれを挙げず、ひそかに丁寧に意見や教訓を行い、人の長所を貴んでその短所を憐みこれを補い、互いに自分を反省し、過ちを聞くことを喜びとし、誠意をもって助けあい、大業を押し立て、上は長年の殿様の痛慮を安らかにし、下は天民にその所を得させ、永久に上下が繁栄するように、他事なく心に願い、日夜力を尽すならば、自然とその誠意は下々にまで貫通し、従来の悪い風習や、無頼の人情も、篤実で仕事に勤める行いに改まり、この復興事業の仕法を押し立てることができる。そのように心得てまさに次のように執り行わなければならない。

一 仕法の村々を引き受けて、出張する面々は朝には回村を怠ることなく、村役人は申すに及ばず、すべての人民が厚く御仁恵をわきまえるよう丁寧に教諭し、第一に従来の悪風を除いて互いに信義を守り、村内むつまじく、専ら仕事に勤め、引き立てるようまごころをもって世話する事

一 村に臨んでは長年にわたって衰えた村を立て直し、永安の道を得るよう取り扱うには、まず第一にその村が何のためにこのような衰廃に陥ってしまったのかと、その衰え貧しくなった根元を見渡し、次には土地の善悪やそれぞれの分限の大小を見定め、次には家ごとに勤勉か怠惰かを察し、また行う所の善悪や邪正をわきまえ、一村の実際の事業を、すべて胸間に分別し、その後に衰廃の根元を除いて、淳朴・篤実、勤勉・倹約の道に導いて、一村あまねく立ち直るように、誠実の世話を加える事

一 一村の進退、行うところの善悪・勤勉怠惰は村内にあるのではく、引き立てる掛りの者の誠不誠によるということを深く心得て申、専ら民に先立って、勤労を尽し、思いやりと憐れみの行い主とし、一村を安らかにする道に導く事。

一 村で孝行の人はもちろん、感心な行いが有る時は、その次第をくわしく記録して報告する事

一 村の心得違いの者がある時は、丁寧に利害を申し聞かせて、改心の行いが立つよう親切に取り扱うこと。わずかに一度説教しても承服しないからといって、捨て置いては、まごころが感通する道を失ってしまう。再三にわたって繰り返し丁寧に教え示して、なお改心の行いが立たないようならば、ほかの掛りの者へ相談し、教えさとすように頼む事

一 村々を取り直すことは、実に大仁の仕法だから、わずかに一時の取り計らいでも、永久に安心できる基となるよう深く考えて取り扱い、必ず姑息の取計いに陥らないようにすることが肝要である事

一 諸事について村内の者から申立てがある時、とにかく自分を是とし、他人を非とするのが人情であるから、必ず一方の言い分を取って、すぐに相手を説教したり取り扱ったりしては、実際の事と違ったりして、民心を失ってしまう。全てにおいて双方の是非をよく聞いてその上で、教訓を下す事
一 長年同じ村に臨んで世話を加えるに随って心やすくなり、たびたび立ち入ってくる者には自然と愛情も生じ、近づかない者は愛する心も生じないのが道理で、知らず知らず普段の取扱いが片落ちに成りやすい。この所に深く心を用い、村民にえこひいきしているといわれないように取り扱うべき事

一 どの村々も長年にわたって困窮し、村人の気風も悪くなっている。これを一洗し、もとのように復するよう導くことは容易なことではない。一村の模範となることであるから、掛りの者の行いは、専ら正しく潔白を守るのはもとより、第一に誠意を先に立てて、万事一身を慎み、諸民から嘲笑を受けないように心掛ける事

一 一村の人民を一体に見て、大きいもの小さいもの・知恵のある者愚かな者ともに、栄安の地に導く仕法であるから、必ず愛憎の心を生じたり、偏った理解で取扱うようなことは無いように、深く心を尽す事

一 一村の行く末や、人々の気風が進むかどうかは、皆、仕法掛りの一身に帰することはもちろんの事である。村がよろしくないのは村の者たちのせいではなく、掛りの者が至らないからだと、日々に自分の身を顧みて、自分の心を責め、万事においてまごころをもって第一に世話を加える事

一 村々の出張の面々は、月が変わるときは暫時引き取って役所へ来て、互いに相談し、諸工事や願い出など、すべて計画を立てて、いいかどうか指図を受け取って行う事

一 富む者は奢りにふけり、貧しい者は怠惰遊興に流れ、終いに貧富ともに退転に陥ってしまうことは人情の通弊であるから、富む者は奢りを戒めて余財を譲り、貧しい者は一生懸命仕事を勤めて、互いに譲道という感心な行いを立てるよう、教え戒めて引き立てる事

一 いわゆる物が同じでないのは当然であって、村々の実情は同じではなく、一物ごとにそれなりの自然の道がないものはない。あちらでよくてもこちらでよくない事があり、こちらでよくてあちらでよくない事がある。一度その処置が至当を失えば、永年の憂いを生じて改める事ができない。たとえ小さな事であっても、取り扱わない前にこの良法の深理で、その当然の道を量って、問い合わせた上で取扱い、すべて自分だけの見解で取計らうようなことは見合わせる事

一 地方の工事の際には、永年便利と成るよう、手堅くできるよう心を尽す事

一 家の建築工事は、専ら丈夫であるようにし、役に立たないような造りなどは無いようにこころがけ、借金して建てる工事は奢りがましい造りなどはしないよう、厳しく指図すべきこ事
ただし家の大小はその分限や本人が一所懸命働くかどうかによる事

一 地方の工事の際は、多くの人足に先立って、朝早くから工事の場所へ詰めて指図し、夕方になって明日の手配を行い、それぞれ差図するようにして、人足より後れて家に引き取る事

一 村々の家の建築や地方の諸工事に至るまで立ち会って、厚く世話を加え、工事が必要な者は詳細に取り調べて、工事ができたならば、早速先例のモデルに基づいて清書し、役所へ提出し、会計係も少しも延引、混雑しないよう心がけること。もっともすべて扱うことができないときは、その都度延引のないように取り調べる事。

このようにあらまし事だけ記しておく。誠に仕法というものは、興国・安民の大業で、掛りを拝命して勤めることは容易ではないから、わずかに一人の民の取扱いが道理に違っても御大仁の良法を汚し、藩内全体の人気の向背にもかかわることだから、万事戦々恐々の心をもって、一言を言ったり一歩を進退する時も、誠忠の志を失わないで、専ら御仁徳を拡げ、天民が永安する道が目標であると承知して、村々を取り扱うことが第一の事である。


弘化2乙巳年4月
御達書

御指出六万石、新田改出高三万八千石之所、御政事御盛、御国富候時は、惣高拾三万石余、人別九万人、御収納米拾七万俵、天明凶作以後、御政事御衰、御国貧時御蔵高生地五万七千石余、人別三万人余、御収納米六万俵余、大略三分ヶ二を減ず、四民一に困窮難免所以也、於爰文化度御改正は
大殿様御一代之御大業、御暮方御分量を御定、六万俵御割渡之御経済、厳重之御倹約を以、御余沢出来候内、農民御撫育之御仁術、御散財被成候條々、養育料増被下、双子御扱、新軒御取建、二男建縁金、馬代金、種籾並農料御貸出、困民御救、貧村御取建料、江関普請、新堤築立等、年々歳々此米金高幾許ぞや、天保巳申凶荒之御救米は非常にして、六万両に及候得共、于今返納御緩被置候事是は別件也、扨亦郷々陣屋へ
御筆を以被仰出候御国御興復之御仁慮、年々一同拝読仕通御徳沢に浴し、当年在郷人別三万八千三百人余、去辰御収納辻七万八千俵余、追々御潤色に赴候儀は、
偏に
大殿様御仁恵と重々難有奉存候
殿様御家督始
大殿様御国御興復之御仁慮を御継被遊候に付、天下之御儒者林大学頭様へ御入門被遊、民者維レ邦之本、本固ケレハ邦寧シト云
聖人之金言、大学頭様へ御頼、御書被進候大文字之御掛物、御不断御居間へ御掛被遊候は、御領中之百姓御撫育、御仁政御怠不被遊と云
御誠意也、然ば常々百姓之手前堅固にして、暮方心安相成候は其元にて、困民共農業を能勤、暮方立直候得ば、自然と人別も倍、御年貢も相増、終に古之御政事御盛之時、御高拾三万石、九万人、拾七万俵之所へ旧復して、御国富百姓永久安楽に致候様にと之御心願にて、日夜無御怠、書籍之道を御学被遊候得共、元禄以来百五十余年之御衰廃、御困窮、御患難之御領地候得ば、中々以容易に御取直しも無御心元、御辛苦御戦競被遊、先般天下之御老中、故大久保加賀守様御徳儀被為在、御賢明之君と奉称候其下に、相州小田原御領中之御百姓、農業艱難を勤、誠意を以貧村を福村に引直候名人、二宮金次郎と申方御取挙被成、御末家御旗本、宇津ハン之助様御知行所、野州桜町四千石、難村を取直候手法悉く成就致し、巳中之大凶をも、如平年鼓腹して相凌候之由に付、追々中村御領中、貧民引直し方御取合被置候処、右金次郎殿
公辺御召出相成、日光御神領、荒地開作之御主法組立取調被 仰付、其調さへ出来候得ば、則中村取立之御手法に用候共、直に引立候主意に付、此度御国古今歴代之盛衰明に取調、当節之国家患難之地に居候ては、天理自然之天禄分限六万六千俵を以、中庸之御土台と定、患難之道を守り、質素倹約を尽し、所余の米金は困民撫育之筋へ推譲り、毛引を減じ、荒地を起候得ば、不久して御国御興復之道無疑成就致し候主法御座候、依之当秋より在々引立方、猶亦御改正向十ヶ年、是非共天明凶作前人別五万人余相増、困民立直り、貧村福村と相変じ、百姓之手前一同安堵致し候得ば、自然御収納米も九万拾万之所には御出方も可有之候、右之御誠意は第一天理自然に基き
御上御始、御家中給人郷士百姓に至る迄、今日之上之天禄分限を知、夫を守り、勤働質素倹約して、余る所を以て十ヶ年之間、農業永久安楽に相続致し候信実を尽し候主法に御座候間、御国之中央小高郷大井村、塚原村へ御主法手始として、貧村御引立被成候所、其余之村々困窮立直度存入、宜村方を撰、段々御主法御取付被成、先づ大井塚原御手始被成候御主法、百姓為相成候実業を見及聞及、諸村之百姓、実業を勤、出精之所行抽候所之村方先立候事に付、諸郷代官手代肝入以下百姓中、能々申合、諸村に後れ不申様心掛度ものに御座候、此道理を早く合点不致、是迄之様に手前勝手之事而已心掛候得ば、困窮不弁之立直候時節次第遅く相成、後候得ば後候程、永々困窮居候事に相至可申候、扨其村柄立直候御主法之大略は、其根元今日之暮方、たとへば米拾俵取ば、拾俵之所天命自然之天禄分限也、廿俵は廿俵之天禄分限、三拾俵は三拾俵、四拾俵は四拾俵、五拾俵は五拾俵之所、天命自然之天禄分限也、其分限に覚悟を極、心を定め、日夜勤働候得ば、壹俵取増、貮俵取増、三俵取増四俵五俵拾俵と取増、産出候所を余し置、農業永久安楽に相続致候様、誠意を尽候根元之道にて、富ものは質素倹約して、貧ものを恵み、貧ものは勤働て其恵に報じ、貧富之間睦鋪相成候を、貧富和すると申事に候、和漢共いつの古よりか、国家郷村之衰弊と、衰ひたをるゝ費の二つ有事、人欲の常にて、困窮不弁に相成事に候、其二つの費は富もの不知不知驕奢之費あり、貧ものは怠惰の費あり、此二つの費を省くの道は、富ものは奢を戒しめ倹約し、貧者は惰を戒しめ、勤働けば余ある事無限、民豊に国富事也、又天地不相和ば五穀も不生、男女不相和ば、子孫不生、貧者不相和ば国家不治事は、天地自然之道也、男女之道は天地陰陽之道と同じく、不止不変して、独り貧富不相和ものは有間敷道理なれ共、富ものは奢て厭く事なく、貧ものを不恵、貧もの怠て不勤、富ものを怨み、此二つのもの世の中の通患也、依之富ものと貧ものと相互に譲合、勤合、恩を報じ、誠を尽し、天地陰陽之自然に随ひ、男女の道の如くなれば、何ぞ国家郷村之不治所あらんや、此故に君臣上下之間も、天地自然之理を以相和するを第一とす、
然ば
上より御恵の下るに随ひて、下よりも御報恩之心を生じ、農業を勤働き、銘々の手前も引直、安楽に成りて、御年貢も能く上るを奉御恩人の道と云ふ也、此道はしばらくも離べからず、其道を得道する時は、文化度御改正以来既三十年
両殿様御仁恵を以、百姓御撫育被下置候條々之米金高幾許ぞや、郷々村々取調見候得ば、莫太の事なるべし、猶且当秋以来、御分台之外、百姓共勤働、産出候米穀は、向十ヶ年之間、皆以百姓御撫育之御仁術量として、御貸渡相成候御主法候得共、前書之通諸村一キョには廻り兼候間、何れ之村方にても、農業勤働、弥立直候様子之誠意、奇特の所業相顕候所は、一番先に相成、又勢力薄く怠勝之処は、いつ迄も後と廻りに相成候主法に候間、今年以来、在々引立之主法も改正相立、諸村心掛次第、安楽世界に立直候遅速有之事能々心得、農業出精致し度候事
  巳四月
  弘化二乙巳年四月


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