豊田佐吉翁と尊徳思想「豊田佐吉翁と尊徳思想」と「トヨタ自動車と報徳について」以下はこの学会で発表された、北京郵電大学助教授の左漢卿女子と東京農工大学客員教授・国際二宮尊徳思想学会常務理事下荒地勝治氏の提出された論文からの抜粋。(民主党:鈴木克昌氏のプログより) 「今や世界に冠たるトヨタグループは何代かの偉大な人物の苦労を経て、現在の発展を成し遂げてきた。 その成長の原点は、始祖、豊田佐吉氏の「奉仕精神」に行き着く。 彼の64年の生涯をみてみると、その発明における研究と会社の経営理念はすべて国家のため、社会のため、人のためになることを原動力にしてきたことがわかる。 豊田佐吉は慶応3年に静岡県敷知郡吉津村(今の湖西市)に貧しい大工の父豊田伊吉の長男として生まれ、小学校を卒業後は父の大工の仕事を手伝っていた。 18歳のとき隣村の学校の先生から発明の素晴らしさ、大切さを説かれ、「西国立志編」の書を目にしたことで発明家を志すようになった。彼は父の反対を押し切って、東京や横須賀の工場を見て回り、機会を知った。と、同時にすべてが外国製である事実に心を痛めた。 いったん帰郷した佐吉は、物置小屋を借りて機械を発明するための研究を始めた。 機械の研究、発明への道のりは失敗の繰り返しで険しく、加えて父伊吉の猛反対もあって、周りの人からは嘲笑と誤解の日々だった。 しかし、佐吉の負けず嫌いの性格はすべての障害を乗り越え、機織機の発明に成功した。苦心と工夫、改良に改良を重ね、豊田式人力織機、かせくり機、豊田式木製動力織機などを発明した。 そして最後に、長男喜一郎に「自動車をつくれ」という遺言を残してこの世を去った。 豊田佐吉の発明と企業経営の思想は、それぞれ物づくりの基軸と会社経営の基本方針として、今日のトヨタにも受け継がれてきたと言える。 佐吉の精神活動の源には日蓮主義と報徳主義に色濃く感化されたようすがうかがえる。 生まれた吉津村は昔から日蓮宗の天領のようなところで、祖師日蓮上人の情熱的な信念と勇猛心から発祥した思想は郷里の民衆の心に沁みこんでいただろう。 これは、佐吉の失敗から立ち上がる粘り強い意志の源といえるかもしれない。 しかし、彼の生涯に遺憾なく貫徹された「労働・感謝・奉仕」生活の美徳のもとを成したものは、やはり“報徳思想”であろう。 二宮尊徳の報徳思想は江戸末期に自主的に「報徳社」が各地に設立され、思想普及の一役を担った。とりわけ、遠州、三河地方で農村の救済・改革に著しい成果をあげた。父伊吉は報徳思想の伝奉者であり、幼少期の佐吉に大きな影響を与えた。佐吉は父と自らの経験から教育を得て、至誠、勤労、分度、推譲の思想の影響を受け、一生『労働・感謝・奉仕』の生活を送った。 佐吉の「労働」意欲の源は尊徳の「勤労」と同じく、貧困改善のためであると言える。「労働は人間の義務なり」、「一日働かなければ、一日食わず」と信じ、彼の労働に熱する姿勢は、世界的発明者となった後も、作業服を纏い、工場に入り込んで労働者と一緒になって働くことが日常茶飯事であった。 まさに道徳のメインの教義である「勤労」を実践しているといえる。 尊徳は「報徳の道」に関して、 「我が教は徳を持って特に報いる道だ。 天地の徳から、君の徳から、親の徳から、先祖の徳など、人々は皆、広大な恩徳をこうむっている。 この恩徳を報いるのに(中略)自分は徳行をもってする、これを報徳というのだ」(「二宮翁夜話」)と述べています。 佐吉は、厳父伊吉がそうであったように、神々への敬意を持って、自分の持っているものすべてを神々の賜物と考えていた。 「神に感謝し、祖先に感謝し、父母に感謝し、国家に感謝し、社会に感謝し、部下に感謝し、一片のパンにすら感謝した」 と『佐吉伝』にあり、天地に感謝し、祖先と父母に感謝し、国と社会に感謝し、部下と支持してくれたすべての人に感謝していました。 そして、部下の知恵を重視し常にその気持ちを忘れないように努めていたことは、今の、トヨタ綱領に「上下一致、至誠業務に服し」ということばがあることに示されています。 佐吉の奉仕における行動は、その事業家としての社会観および、その企業的精神を語るものである。 常に「何にいくら儲けたいの、これだけ儲けねばならぬのと、そんな欲張った自分本位の考え方じゃだめじゃ。 世の中には自分以外に人がいるよ。(中略) 世の中の多くの人のために、お国のためにという考えで一生懸命に働いてゆけば、食うものも、着るものも、自然と随いてくるものじゃ。」(豊田佐吉翁に聴く原口晃) 尊徳の分度生活はすなわち佐吉の奉仕生活であり、常に人に遇することは厚く、自己に尽くすことは甚だ薄かった。 人のいざこざを和解させるには第三者の自分が大金を出すことを疎まず、発明を奨励するには百万円をも寄付することさえあった。 一方で日常生活は、弊衣粗食を厭わず、研究室に閉じこもって何十年も一日のごとく発明三昧に耽った。 まさに佐吉は、尊徳の報徳教訓を実践躬行した人物といえよう。 尊徳の道歌には「かりの身を元のあるじに貸し渡し、民安かれと願うわが身ぞ」 人々が安らかに暮らしていけるようにすることは元のあるじに奉仕することで、我が身しかもっていまい自分は、我が身を丸出しにするしかない。 全身全霊を極めて、天地人の三才の特に報いることなのである。 佐吉はここから意を借りて、 「一身の他に身方なし」と言っていた。これはその受難また受難、発明また発明の連鎖の一生に、一銭の金もない苦しい境地に立たされた時も、世界範囲で成功して名を揚げたときも堅く守ってきた信念である。この一句に佐吉の人生観、価値観を読み取ることが出来る。 尊徳はまた財富に対応することを海で船を操ることに喩えて語っていた。 「財富は猶、海水の如し、貧富苦楽は水を渡る術を知ると知らざるとに在るのみ。 善く泳ぐものは水を得て楽しみ、善く泳がざるものは水のために苦しみ溺れる。 善く勤むるものは財を得て富み、勤むる能わざるものは財のために苦しみて貧し。 且夫れ水能船を浮かべ、また能く船を覆すは何ぞや。波浪に動あり静あり。 動と静とに処して、しかも操舟の術を知るものは覆没の患いあるなし。 財能人を富まし、また能人を貧しくするは何ぞや。分度に小あり大あり。小と大とに処して経理の術をしる者は貧窮の憂あるなし」(「二宮先生語録」) これで、勤労と分度の間の哲理を極めた。財富は自分を豊かにするだけでなく、他人をも富ませてあげるべき。 分度と推譲は財富の舟を漕ぐ二本の棹であり、至誠を持って貫徹すればもっと広い海を泳ぐことは自由自在ではないだろうか。 彼は「金持ち三代と続かずと言葉もあるが、その一代で産を興した人は武具で身を固めたと同様、闘志満々たる英気がある。 だがやがて、三代目になると、知らず知らずの間に、創業的元気を失い、文事にのみ精通し、家門没落の因をなすものが多い。 だから自分は精神的武具で身を固め、範を子孫に示すと同時に、一般国民同胞に油断大敵を知らしめたい念願である。 佐吉のこの腕を見給え、金鉄そのものと同じく、現代の青壮年の白哲の輩とは徹底比較にならぬぞ」(「佐吉伝」)と、理念を語った。 孟子の言葉に「憂患に生じて、安楽に死す」。 つまり人間は憂患においては知恵を尽くして乗り切ることが出来るが、安楽においては奮闘する気がなくなり、やがて身を滅ぼす。 人生の極端の苦と極端の栄耀を味わった佐吉ならではの名言と言えよう。 トヨタ綱領の中にどれ程までに佐吉の精神を読み解くことが出来るのか。 またトヨタグループは何を精神的な甲冑とし、どんな鎧を着けているのだろうか。 150年以上に渡りゆっくりと世の中の動きに対応するために尊徳思想を改良し、勤め続けてきた軌跡がうかがえる。 「豊田綱領」を改良、発展させたものであるからである「トヨタウェイ」はトヨタグループ各社が社内に保持している諸活動でありまさに企業倫理とも言える。 その構図は(1)Continuous Improvement (2)Respect for Peopleを2本柱に、その下に企業姿勢として(1)の継続的発展の下に1 Challenge 2 Kaizen 3 Genchi Genbutsuを (2)の人間尊重の下に1 Respect 2Teamworkが位置づけられていて、それぞれにトヨタで実践される具体的な行動、たとえば、挑戦のスピリット、改善革新、現地現物主義など15項目が示されている。 15項目を味読してみると、「至誠、勤労、分度、推譲」から派生したと考えられるものが多い。 豊田綱領 一、 上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし 一、 研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし 一、 華美を戒め質実剛健たるべし 一、 温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし 一、 神仏を尊崇し報恩感謝の生活を為すべし ☆平成18年10月21日小田原市民会館で行われた全国報徳サミットの記念講演で「二宮金次郎の一生」を書かれた三戸部さんが、二宮金次郎の思想を受け継ぐ経営者の一人として紹介されていた。 塚越社長の座右の銘は二宮尊徳先生の言葉である。 「近くをはかる者は貧す それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う。まして春まきて秋実る物においてをや。故に富有なり。 近くをはかる者は 春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず。唯眼前の利に迷うてまかずして取り 植えずして刈り取る事のみ眼につく。 故に貧窮す。」 先日、成田市のOさんから「幸福の原点回帰」という本を頂いたことがある。 「同封の本は、私の家族が読んだものです。新品でなく失礼かと存じますが、ぜひ読んで友人にもお勧めください。寒天パパ工場にも行きたいと思っております。」とメッセージがはさまれていた。 平成19年12月発行で、「掃除に学ぶ会」の鍵山秀三郎さんと塚越社長との対談集である。 「原点回帰」こそ真の改革 「いい会社をつくりましょうーたくましく、そして やさしく」。 この社是を掲げて、50年にわたり伊那食品工業という会社を率いてきました。社員の幸福をかなえることをいちばんの目的とし、社員や会社とご縁を結ばれる方々に幸福の波紋を広げていける会社を目指して、一心に努めてきました。 (略) 日本社会には今、「改革」という言葉が満ちあふれています。・・・では、改革とは一体、何でしょうか。 真の改革とは、本来あるべき姿に帰ること、つまり「原点回帰」にほかなりません。私はそう信じます。どんな組織も、高い理念とともに生れていながら、時間がたつにつれて理念や目的から遠のき、道に迷いはじめます。迷ったら、はじめに立ち返ることです。原点を再確認し、ブレを本道へ戻して歩き直すことです。(緑の蛍光ペンでOさん?が記していた) 「原点回帰」という改革を行った結果、組織が目的を果たし、不要になったと判断されるなら、組織の解消を決断することも必要だと考えます。組織のリーダーが自分たちの地位や名誉、既存権益を守るために、目的を果たし終えた組織の延命を図ることは間違いではないでしょうか。 (略) 激しく変化する時代の波の中で、正しい道を歩み続け、自分とつながる人々の幸福を守っていくには、原点回帰という改革が常に必要です。 鍵山さんがこのように塚本社長を紹介している。 「伊那食品工業さんの朝掃除を何回か拝見しましたが、ほんとうに行き届いていますね。ただやっているだけでなく、みなさんが嬉々として掃除に励んでおられます。掃除のレベルも、心の磨かれ方も、社員のみなさんの心からほとばしり出るような自然な笑顔も、全国でトップクラスです。 (略) これはリーダーである塚本さんの強い忍耐力によるところが大きいのでしょう。結果を急ぐ人にできることではありません。競合する同業他社が目覚しく成長するのを見て、焦ってはダメなのです。『遠きをはかる者は富む』という二宮尊徳先生の教えを胸に、絶えず何十年も先へ視線を向けながら、信念をもって会社の将来像を描き、社員やかかわる人々の幸福を考えて日々行動してこられた塚越さんだからこそ、力強い幹を育て、美しい花を咲かせておられるのだと思います。」 塚本さんは、同書の235ページで二宮尊徳に触れている。 「鍵山さんから教わった言葉に、明治の実業家・伊庭貞剛翁の『君子財を愛す、これをとるに道あり』があります。どんな人格者でも財産をもつことを好まないわけではないが、それを手に入れる方法や手段はしっかりとわきまえているということですね。 また、中国の春秋時代の政治家だった晏嬰(あんえい)は『益がなくとも意味はある』という言葉を残したそうですね。自分にとって利益とならないことでも、行う意味や価値があれば実践するという態度です。いずれも、人の道を説いた真理です。 私が尊敬する二宮尊徳翁の言葉に『人生まれて学ばざれば生れざると同じ。学んで道を知らざれば学ばざると同じ。知って行うこと能はざれば知らざると同じ』とあります。伊庭貞剛翁や晏嬰の教えにつうじるものだと思います。学ぶということは、道を知ることだと思います。 では『道』とは何でしょうか。それは人間の本来あるべき姿だと思います。人それぞれの職業や役割・立場において、本来の姿を発見することが学ぶ目的だと、私は解釈しています。 |