2007/07/20(金)06:41
他者を自分の鏡とみなすby Lise Bourbeau
マハトマ・ガンジーが、その孫アルン・ガンジーに諭した最も重要な教訓のひとつは、
「怒りをいかにして肯定的に取り扱うか」だった。
アルンが南アフリカで育ったころ、人種と肌の色の違いから二度も暴行を受けた。
アルンは非常に怒ってそいつに仕返ししようと決意し、筋力トレーニングに励んでいた。
その時、マハトマ・ガンジーが、仕返しを思いとどまるように言ったのだという。
電気は使い方を誤れば破滅的なことになるが、知恵を使って用いればプラスのエネルギーに変えられる。怒りも同じだ と。
彼は言いました。
怒りは電流のようなものです。
それは力強く有益なものです。
ただし、我々が怒りを適切に知的に利用する限りにおいてのみです。
もし怒りを乱用するならば、我々は自分自身を破壊し、
我々の周囲の全てを破壊することになります。
怒りは電流の様に我々の生活において一般的なものです。
それを善き人類愛の為に用いなさい。
我々は学ばねばなりません。
怒りを善き人類愛の為に知的に利用することを。
いかなる理由であれ、怒りが生じた時は日記に記しなさい。
しかし、その怒りの解決方法も記しなさい。
怒りだけを書くのはやめなさい。
それを読み返した時、怒りを引き起こした事件を思い出し
再び怒りが生じてくるだけだからです。
しかし、その解決方法を書くならば怒りをおさめることができます。
Lise Bourbeauは、鏡の技法でこのように言う。
・他者を自分の鏡とみなす、という方法を私はずっと教えていますが、いまだにこの方法の素晴らしさを毎日確認し続けています。
・私はこれまで様々な<気づきの技法>を学んできましたが、自分がどんな人間であるのか気づくためには、この鏡の技法にまさるものはないと断言できます。
この技法は最も効果的で、最も即効性がある、といってよいでしょう。
・ほとんどの人が、自分を映し出してくれている<相手>を変えようとしますが、これは鏡を変えようとすることと同じなのです。鏡はあなたの体の各部分を正確に映し出します。
あなたが嫌っている部分、受け入れていない部分もそのまま映し出します。
あなたが相手を変えたいと思っているとしたら、あなたは自分にあるその部分を受け入れていないのです。
・鏡の技法を使えば、あなたの心の内であなたが受け入れていない部分、受け入れている部分に気づくことが可能になります。
あなたが他人の振舞いを見て、嫌な気持ちになるとしたら、あなたもまた同じような側面を持っており、しかもそれを受け入れることができていない、ということになります。
つまりだ、人が他人の言動を許せないと思うとき、実はその人も同じような側面を持っていて、しかもそれを受け入れていないということになると鏡の技法は教えてくれる。
少なくともそのように省察するとき、怒りは消えて冷静にその怒りを惹き起こした人の言動を自分もまた行っていないか思い返すよすがとなる。
最初自分にはそういうところはないと思っていても、よくよく省察すると自分もまた過去に同じような振舞いをして人を怒らせたり、不愉快な思いをさせたことがあると思い当たる。
鏡の技法はそうした、自分の欠点を直しなさいというのではない。
自分自身をよく知りなさい、欠点は欠点として認識しなさいということにある。
そうすればその人の意識のレベルがあがるとき、その欠点もまた消えうせるであろう。
そしてさらに、鏡の技法によって感謝することもできる。
・「鏡の技法」を使うことによって、相手に感謝することもできます。
たとえばあなたが車のスピードを出しすぎて警官に捕まり、罰金を払うことになったとします。この場合、もしかするとあなたは生きる上でもスピードを出しすぎており、もうすぐ先に危険が待ち構えているかもしれません。そこでそれを警告として受け止め、もう少し生き方のスピードをゆるめることによって安全に生きられるかもしれないのです。
<鏡の技法>を使って、あなたを捕まえた警官を恨むのではなく、かえって感謝することも可能となるのです。というのもあなたはその出来事を通じて、宇宙のメッセージを受け止めることが可能となったからです。その出来事を通じ、メッセージを受けとめることが可能になったからです。
さらには、自らのよい点にも気づくことができ自信を持つことだってできるのだ。
・あなたが他人をどう見るかが、あなたの心のありさまを反映していることを気づく必要があります。もし、あなたにとって自然がますます美しく見えるようになり、人々がますます美しく見えるようになったら、あなたは自分自身をもまたそう見ているのです。
・あなたがある人の優しさ、思いやりなどにあこがれるときは、実はあなたの中にもそれと同じ優しさや思いやりがあるのです。
イエスも「あなたが他人のなかに見るものは、すべてあなたの中に、もっとたくさん存在している」といっています。
つまり、あなたが憧れる他人の一面は、もっとたくさんあなたの中にあるのです。
つまりだ、私がある人を憧れるとき、実は私の中にもその人を素晴らしいと思うところがもっとたくさんあるというのだ。
人は願ったとおりの人になるのである。
そうであれば人は願いをこの上もなく高いところにおくべきであろう。
そうすれば 生まれ生まれ生まれ生まれ 死に死に死に死に するなかにおいて
願いがあなたをその高みへと導いてくれるであろう。