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2009年01月04日
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「永遠に生きる二宮尊徳」(加藤仁平)79~88ページ

民主主義とGHQ

 終戦後ちょうど8ヶ月ばかりたった時、昭和21年4月中旬、私(加藤仁平)は東京文理科大学の研究室にいましたが、そこへ静岡新聞の東京支社長が訪ねてこられ、連合国総司令部の人々に平和主義者で報徳精神の実践者だったニ宮尊徳翁のことを知ってもらい、日本国民の頽廃している道義を昂揚してもらい民主主義国家建設の一助にしてもらえるように、静岡に来ているCICの将校を招いて報徳に関する座談会を開きたいというのです。
 4月23日、私は静岡駅に迎えに来てくれた、静岡新聞社の大石光之助さんに、「私はマッカーサーに土産を持たしてやるという気持ちで話をするから」と言うと「結構です。戦争に負けたからといって歯の浮くようなお世辞を言ったって、アメリカ人が必ずしも喜ぶわけではないですから」と言った。
 その日午前10時から静岡県庁の知事室でCICのドーリン大尉を中心に、報徳の精神を村の自治に活用して、立派な成績をあげた、静岡県下の村長または元村長、すなわち庵原村の片平七太郎さん、富士郡原田村の小沢鼎さん、榛原郡上川根村の松岡嘉平さん、小笠原朝比奈村の小野仁輔さん、これは静岡新聞社の大石さんが庵原村の国持史郎さんに相談して人選したということで、通訳をつけてやったのです。
 その座談会の筆記が4月下旬から5月上旬まで8回にわたって静岡新聞に連載されたのを、GHQの新聞課長インボーデン少佐(後に中佐)が読んで、同氏やGHQに人々によって報徳が新しく見直されたのです。是非一度合いたいと言われ、その昭和21年5月8日に東京放送会館の4階のオフィスで私がインボーデン氏に会ったら、氏はこう言うのです。
「民間から燃え上がらせて行く、この報徳のやり方はきわめて賢明な方法である。法律もまたこのようにして作られなければならない。これで見るとニ宮尊徳という人は、エブラハム・リンカーンや、トーマス・ジェファーソンのような人です。(ジェファーソンはアメリカ民主主義の根本精神である。独立宣言書を書いた人で、第3代目の大統領になった人です。)
 われわれがリンカーンを知っているのに比べて日本人の多くは二宮尊徳を知っていない。日本の新聞はこうした記事を多く取り上げるべきである。日本人のよいところはできるだけ知りたいと思うと同時にアメリカ人の良いところも知ってもらいたい。」
と話が始まりました。
 私が持っていた報徳関係のパンフレット数冊を手にもって「これらは慎重に翻訳させていただきます。」と言ってこう話ました。
「この間、ビアード博士に民主主義の論文を書いてもらって『主婦の友』に乗せました。その論文はアメリカの民主主義をきわめてよく記したものであったものであったにもかかわらず、『主婦の友』の編集者は、これは日本の読者にはむずかしすぎるといった。そこでただいまいただいた書物を翻訳させて右の論文等とつきまぜて物語を作ったならば、日本人に民主主義を理解させることができるであろう。」と。
 いろいろの話の後に、静岡県の掛川に大日本報徳社があり、そこにニ宮先生の全集1万巻の原本があるから、そこへ研究に行かれませんかと勧めたところ、行きたいということで、いよいよ掛川行きとなったのが5月31日でした。
 この日は天皇陛下が2度目にマッカーサー元帥をご訪問になられた日であるとともに、ソ連代表が覚書をマッカーサーに送って、天皇の全国巡幸を非難した当日でもありました。その晩は興津の水口屋へ泊ったが、一切の受け入れ態勢は静岡新聞がしてくれたのです。夕食の席で大石社長ならびに局長等を前にインボーデン氏がこういうことを言いました。
「ニ宮尊徳のことをマッカーサー司令官に話したところ、日本に来てアメリカ第一流の偉人と肩を並べる大偉人を発見したということは非常にうれしい。あなたはこの偉人の生涯を調査研究せよという命令を受けて、きょう出張したのです。日本の有名な人物というと、東条と、荒木と、もっと古いところでは西園寺を考えていた。ニ宮尊徳のような偉人があろうとは思いもかけなかった。日本のよいところを知りたい。ニ宮尊徳のことを知っている人はアメリカにもあまりいない。」と言った上で、さらに
「農村の研究はその中に入ってゆく必要がある。自分も時間があれば部落にも入りたい。」と話したのです。
 ちょうどそこに庵原村杉山の片平七太郎さんがおられたが、私は杉山の偉大な歴史を少佐へ話したのです。すると杉山にも行こうと大石社長が言い出しまして、翌日は掛川から更に牧の原の県の茶業試験場にも寄った上で杉山まで参りました。掛川では社長河井弥八、副社長佐々井信太郎の両氏が中心になって応対されました。杉山では実状を見、杉山70年誌の図解などの説明を聞いてくれたりして非常に喜びました。
「アメリカにもこんなよい村はない」と言い出したのです。
(略)
 インボーデン氏は昭和24年10月号の「青年」という雑誌に「新生日本はニ宮尊徳の再認識を必要する」という論文を出しました。

1 日本の生んだ最大の民主主義者
2 静岡県杉山部落の話
3 一生を貫いた百姓魂
4 報徳とは善根を積むこと
5 世界最初の信用組合の創設者
6 真理は時代を超越して永遠に生きるもの

と分けまして「民主主義というものは個人が誤りのない理性と激しい人間愛をもって真理を追究する時必ず到達する唯一絶対の結論である。」という言葉から始まります。
「これは人種国柄の如何をとわない。一口に封建主義と片付けられてしまう日本の過去の歴史の中にも、そうした真理追求のために身を挺した人物が幾人かはいるのである。その一人尊徳二宮金次郎こそは近世日本の生んだ最大の民主主義者、私の見るところでは世界の民主主義の英雄偉人とくらべてもいささかのひけも取らない大人物である。祖先のうちにこのような偉大な先覚者をもっていることは、あなた方日本人の誇りであるとともに、日本の民主主義的再建が可能であることを明確に証明するものであろう。私は日本に来てその歴史にこの人あるを知り地方によってはその遺業が盛んに引き継がれているのを目の当たりに見て驚きと喜びの情を禁じえない。」

 つぎは静岡県杉山部落の話としてどの点を感心したかというと
「私は日本各地を旅行して伝統的美風の多くのもの、勤勉正直、朴訥、隣人愛などが農村にこそ脈打っていることを示す事実に再三ならず出会ったが、中でも特に心を動かされたことが一つある。静岡県庵原郡庵原村杉山部落を訪れた時のことである。この村では70年の間ただの1回の犯罪事件もないことを知って感動した。これは世界歴史をひもといてもなお稀有のことであると思う。」

 また3番目の「一生を貫いた百姓魂」ではニ宮尊徳は、大地にしかと足を踏みしめて立った。
真理の道はただ一つ、儒教も仏教も道教も、神道もあるいは又キリスト教もこの唯一無二の心理に至る道の数多い入口にほかならない。ニ宮尊徳の当時は民主主義という言葉はなかったが、真理を尊ぶ彼の思想のうちには今日言われる民主主義の本質的な精神が脈々と波打っていた。
ある時、尊徳はブッダの天上天下唯我独尊という言葉を引いてさとした。天下に自分より貴いものはないと言われたのは、決してお釈迦様が威張って言われたわけではない。このお言葉の意味はこうだ。お釈迦様ばかりではない。お前も私も天下の人ことごとく、いや犬や猫にいたるまでみんな自分自分を何ものよりも尊いとする権利をもっている。我れというものを除いて天地の間に一物もあり得ない。一人一人の尊厳それを認めることが人の世の根本なのだ。尊徳のこの考え方と我々アメリカ人が民主主義の基礎と思っている、独立宣言書の核心とのあいだにいささかの開きも私は認められない。
独立宣言書はこういっている。万人は平等に創造され創造主により他に譲り得べからざる権利を授けられている。この権利の中にこそ生活も自由も幸福の追求もある。

 この文章の出る前ですが、昭和21年10月に東京の三越で開かれた新聞文化展覧会で「ニ宮尊徳と新聞」というポスターにインボーデン氏がペンをとって
「150年前において、今の新聞倫理綱領にいっているようなことをニ宮尊徳がいっている」というようなことを書きました。それをインボーデン氏の部下の将校がこの会場をご覧になった天皇陛下にご説明申し上げた。
天皇陛下が「ニ宮尊徳を研究して下すって有難う」と言われたというようなことが、当時の新聞に出たものです。









最終更新日  2009年01月04日 21時09分03秒



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