GAIA

2009/05/22(金)23:33

家族ふれあい新聞第796号の中の木谷ポルソッタ倶楽部

木谷ポルソッタ倶楽部ほか(236)

平成17年第796号 平成17年4月6日号発行   家族ふれあい新聞  ■木谷ポルソッタ倶楽部【「房」という名のお店~3】  マスターは誰にでも丁寧な話し方をした。私に対してもいつも丁寧に接してくれた。  店の扉を開ける。誰もいない場合はよくテレビを見ていた。 野球かサッカーの番組が多かった。マスターがスポーツマンということがわかる。  私だとわかるとリモコンでテレビのスイッチを切った。 ルイアームストロングのCDをセットし流してくれた。 そしておもむろにモスコーミュールをつくり始めるのだ。  マスターは店の中ではバーテンであることに徹底していた。 背筋をいつも伸ばしていた。 自分から話しかけることはしなかった。いつも凛としていた。  そうそう、こんなことがあった。 マスターの様子が少し変なのだ。 なにか顔がくゃくしゃになっているのだ。どうしたのだろう。 私はぼんやりと見ていた。 私の隣にいたカップルが立ちあがって勘定を済ませて店を出て、客は私ひとりになった。 「木谷さん、ちょっと失礼しますよ」  マスターが後ろを向いて私に背中を見せた。 何をしてるのだろう。ティッシュを鼻の穴に差し込んでグチュグチュやっていた。しばらくして振り向き治った。 「ああ、すっきりしましたよ。先程から鼻の中がむずかゆくてね。どうしようもならなかったのです。お客様の前で、鼻をいじくるのは失礼ですからね」  トイレに行く場合でも、常連の客の場合に行くようにしていた。 「お客様はカクテルに夢を見ているのです。 夢を呑むために来ているのです。 バーテンダーはカウンターの中にいる時は夢をつくる人なのです」  うん、マスターはもっと簡単なことを言っていたような気がする。私流に表現するとそのようなことをマスターは言った。  マスターは人の噂や悪口はひとことも言わなかった。 客がたとえ言ってもマスターは微笑むだけだ。 客と話さない時はカウンターの隅にいた。 そこが自分の場所とわきまえていたのだろう。 マスターは怒ることのない人だ。私は思っていた。 違った。ある時、ふたりの若者が店へ入ってきた。 「ドラマチ一杯」  若者が疲れた響きで言った。 「そのようなカクテルはありません」  おっと、マスターが厳しい口調で答えた。 「エッ、ドライマティーニのことだけど……」  若者が呆れたように言った。 「ドライマティーニならちゃんとドライマティーニと言って下さい。カクテルにはちゃんとした名前があるのですから」  若者は照れたように隣の若者を見た。 「オレ、ジンフィズ」 「かしこまりました」  マスターはふたつのカクテルを作り始めた。  ふたりの若者は話しに熱中し出した。 カクテルをつくっている時のマスターの仕草を見るのが、私は好きだった。 格好いいなと思う時がよくある。 マスターは多くの人へ指導をしていた。 由布院や湯平の旅館の若い人たちにも教えていた。 私も試飲の役割でよくついていった。  ミキシンググラスを使ってカクテルをつくる場合、マドラーでかき混ぜる。その時に、ミキシンググラスの手元ではなく向こう側からマドラーを引き上げる。できたカクテルはまず手元でコースターに乗せてゆっくりとお客へ押し出しながら差し出すようにする。  若者たちへそのことを強く言っていた。味そのものよりも、姿勢や出し方次第で、客の受け取る気持ちが変わるらしい。 「カクテルは何種類も覚えなくてもいいでしよう。三種類程度でいいでしょう。酒は自分で確かめながらいいもの使って下さい。それで結構です。後は、何回も練習することです」 そう言うマスターの背中はピシッと決まっていた。 《「房」のひとこと》  人の悪口を言わないことです。人の噂話をしないことです。  そしてね、いつもさりげなく背筋をのばして格好良くしておくことです。  バーテンダーって、それだけさ、木谷さん、簡単でしょう。 (これはマスターは言わなかったけれど、マスターの姿勢を見ながら、私は思ったものだ)

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る