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2009/06/06(土)13:22

ちょっと一息 「大瀬校長について」

木谷ポルソッタ倶楽部ほか(236)

ちょっと一息 「大瀬校長について」  立花隆氏の「宇宙からの帰還」に、  立花隆氏が「無人でも宇宙探査はできるのに、人間が宇宙に行く意味は何か?」         と多くの宇宙飛行士に質問したところ、暫く沈黙した後、 「人間にしか感動できない。その感動をほかの人間に伝えたいのだ」というのがあった。  大瀬校長の「いのちの授業」の感動を友人に送信したところ、正しく感動してくれた。うれしくなってしまう。 ○大瀬校長についての記事をインターネットで集めてみた。 「大瀬敏昭校長は、1998年に、新設の茅ケ崎市立浜之郷小学校に赴任した。 翌年の99年9月に大瀬校長の胃に進行性胃がんが見つかった。自覚症状はなかった。   末期に近い状況だった。入院中はがん患者の闘病記を読み、がんを受け入れようと努力した。 99年11月に、胃を全摘出した。退院後、つらかったのは、「これから再発の恐怖と闘わなくてはならない。」ことだった。 そのころ、偶然「わすれなれない贈り物」と出会った。 00年1月、「がんのおかげで『限りある命』を自覚した。生きることの素晴らしさを子どもたちに伝えたい」と自分の体を題材に「命の授業」を始めた。 02年1月、腸への転移が見つかり、今度は左の腎臓と腸の一部をとった。「余命三ヶ月」と宣告された。週に一回、輸血の交換のため通院した。抗がん剤は極力弱いものを服用した。 3年間で体重は19キロ減った。自分の死までの過程をみせることで「デス・エデュケーション(死への準備教育)」を実践してきた。 03年5月31日毎日新聞に「末期がん、宣告された校長、教壇で命の大切さ教える」と記事が載った。 03年12月24日の終業式まで登校し、翌25日入院した。 1月1日未明、容体が急変し、昏睡状態のまま3日の未明、息を引き取った。     享年57歳。 ○「最近、親戚とかで亡くなられた方はいますか?」  五年生のクラス37人のうち、12、3人の手があがった。 「おじいちゃんが肺癌で」 「おばあちゃんが交通事故で」 「そうそれは急だったね」と大瀬校長はゆっくり語りかける。 「実はね、先生も癌なんです」  一瞬教室が静まり返る。 「みんなに考えてもらいたい。命って何なのかな」  大瀬さんはこうした「校長先生の命の授業」を、自らの学校で続けてきた。  三年生以上が年に一回か二回受ける。  子どもとの対話から、有限な「一人の命」、子孫にリレーする「続いている命」があることを引き出す。 それから、スーザン・バーレイ作の絵本『わすれられないおくりもの』を読み聞かせる。年老いて死んだアナグマを思って悲しむモグラたちだが、残していった知恵や工夫が「忘れられない思い出」だと気付く、という筋だ。 この日は絵本を聞き終えた時、一人の男の子がつぶやいた。 「アナグマの命が、友達の心の中にずっと残っているんだ」 「『永遠の命』もあるということだね。いい言葉をありがとう」  大瀬さんはこう、60分の授業を締めくくった。 ある男の子は授業後、用紙2枚にこう感想を書いた。 「みんなが校長先生のことが好きだから永遠の命だと、思います」 「私の『おくりもの』を受け取ってくれた」と大瀬さんは喜んだ。 「ある医者は私に余命3カ月と言ったけど、1年以上生きている。それは子どもたちに生のエネルギーをもらっているから」 「校長先生、ガンなんて言わないでー。悲しくなり、お母さんのことを思い出してしまいました。けれども、人はみんな命のバトンを持っているんですね」  授業の後に大瀬さんへの手紙にこうつづったのは5年生の女子児童。母親を交通事故で亡くした彼女は授業で泣き出してしまった。  記者が大瀬校長に「命の授業」に込められた思いを聞いた。 「伝えたいことは三つあります。 一つ目に命には限りがあるということ。 二つ目に命を縮めてはいけない。縮めるとは、自殺や自分の尊厳を辱めること、自分を粗末にすることです   三つ目に信じるものを持つこと。神でも家族でも友達でもいい。何かよりどころとなるものを持ってほしい。子供にとっては家族でもいい。 『家族の信頼を裏切るようなことはできない』とかね、人は信じるものを裏切ることはできないんです。」

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