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2009年07月12日
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「二宮金次郎の人生と思想」二宮康裕著 320頁

 従来の仕法では、廻村→入札→表彰の順で行われていたが、棹ヶ島村仕法では救急仕法としての窮民救済が優先され、入札表彰は遅れることになった。嘉永2年(1849)9月、13軒による出精奇特人の入札が行われた。選考の基準は従来と変わらずに、「孝行奇特人は勿論、兼々耕作出精心掛宜敷、村内手本」になる人物が選考された。告示文に仕法の方向性が示された。
  荒地開発、用悪水、道橋普請、社堂修復、並分家、新家作、灰小屋困窮人、古家建替、屋根替等(以下略)(全集21巻684頁)
  
 荒村立て直しの根幹として生活基盤たる田畑の復興がめざされた。そのための社会資本の充実が図られた。さらに荒地開発の主体者としての労働力確保が図られ、分家を奨励することによって人口増加がめざされた。また、民心の安定のために居宅・小屋・屋根の修理がなされた。こうして仕法3年目にあたる嘉永3年(1850)を以て棹ヶ島村仕法の復興は達成された。
 また、村の衰微とともに荒廃していた社堂が修理され、永安護持のための議定書が制定された。棹ヶ島村仕法は社堂護持の形で継続されていくことになった。
 金次郎は各地の仕法で社寺の永久護持策を図るが、棹ヶ島村仕法でも永安策として、嘉永4年(1851)に社堂永代修復の議定書を策定した。概要は境内の雑木売り払い代金・推譲金の18両を原資として5ヶ年賦で貸し付け、その返納金で永久に社堂護持費用を賄おうとするものであった。
  神社修復金、無利五ヶ年賦貸付方、世話人、三ヶ年に一度ヅゝ切替、村中一同之眼鏡を以、少も無依怙贔屓、善人相撰、致入札、高札之者へ相頼、若又右善人手違候はゞ入札人引受急度埒明可申事(全集21巻740頁)
  (訳) 神社の修復金について、無利息5ヶ年賦で貸付け方を、世話人を、3年に1度ずつ切り替え、村内の一同の眼鏡(めがね)をもって、少しも依怙贔屓なく、善人を選んで、入札し、高札の者へ頼み、もしまた右の善人に手違いがあれば入札人が引受けて、きっと解決すべき事

 金次郎は、資金の永久運用・旋回を考え、各地の仕法の効率化を図った。棹ヶ島村仕法金は花田村仕法に活用されることになった。
 金次郎も、幕府も、棹ヶ島村仕法を幕府領仕法の範と認識していた。嘉永4年、金次郎は棹ヶ島村仕法を模範とし、幕府領である桑野川村・花田村・板橋見取新田への仕法発業を幕府に申し入れた。
  先ヅ為御試、御陣屋元東郷村より、山本村、桑野川村、棹ヶ島村、花田村等、追々実地正業取行候処、其内棹ヶ島村一村成就仕候に付(中略)棹ヶ島村同様被下置旨被仰渡し、都て見込之趣を以、存分可取行旨被仰渡、重々冥加至極難有趣意に基、左に奉窺候(全集21巻768頁)
  (訳)まずお試しとして、御陣屋の元の東郷村から、山本村、桑野川村、棹ヶ島村、花田村など、次第次第に実地正業を取り行いましたところ、そのうち棹ヶ島村一村が成就いたしましたので(中略)棹ヶ島村同様に下だし置かれる旨を命令され、すべて計画どおりに、思い通りに実施するよう仰せわたしになり、重ねがさね本当にありがたいことです。

 仕法発願にあたって花田村から提出された「願書」は報徳仕法が当時どのように認識されていたかが理解できる注目すべき資料である。
御仕法金暮方立直り候迄無利拝借被仰付、数年難渋仕候借財一時に皆納仕、積鬱を払、一同本業精励仕、難有仕合に奉存候、右に付、向後万端精励を尽し、急度暮方立直り、御恩沢を奉報度、来る正月より、御仕法中村中一同申合、一日一房づゝ日掛縄索、朝暮相励、月々村役人方へ預ケ置、御仕法金御加入被仰付、御取立被下置候様願上候(全集21巻836頁)
(訳)暮し方が立ち直るまで御仕法金を無利息で拝借できまして、数年難渋しておりました借財を一時に皆納でき積年の悩みを払い、一同本業に精励し、有難い幸せと思っております。以上について、今後万端精励を尽し、きっと暮し方を立直して恩恵を報いたいと思い、来る正月から、御仕法実施中の村の者一同が申し合せ、一日一房づつ日掛縄ないを行い、朝暮に励んで、月々に村役人方へ預けおいて、御仕法金に加入していただきたく、お取り立てくださいますようお願い申上げます。

 嘉永4年の段階では、報徳仕法の手段・目的が正確に捉えられるようになっていたことが理解できる。すなわち、報徳金で高利の借財を返済し、農業に専念するとの決意が語られた。報徳仕法の恩沢に感謝するため勤労に励み、節約に努め、生活改善を図るとしている。また、現実的な方策として日掛け縄綯いを実行し積立てられた金銭を仕法金として推譲するというものであった。ここに金次郎がめざす「自助」「互助」が明確に示された。金次郎が仕法で目指したことは「自力復興」であるだけに、花田村の歎願は評価されるに価するものであった。

御仕法金致拝借、皆済仕度段歎願に付、済方手段申諭候処、銘々致憤発、夫食は勿論、山林四壁、竹木不用之家財売払、惣借財金六拾九両余之内、三分一金二拾三両余致調達候に付、金主口々 御仁恵致感動、利金は勿論、元金之内三分一金二拾三両余、無利七ヶ年賦、十ヶ年賦、又は切捨致勘弁候に付、一同暮方立直り候迄、三分一金二拾三両余、無利置据拝借被 仰付(以下略)(全集21巻836頁)
(訳)御仕法金を拝借して、皆済したいと歎願しましたところ、返済方法にして説諭がありましたので、それぞれ奮発して、毎日の食糧は勿論、山林や家の周りの竹木など不用の家財を売払い、総借金69両余りの内、3分の1にあたる金23両余りを調達しましたところ、貸主が口々に御仁恵に感動して、利子は勿論、元金の内3分の1にあたる金23両余りを、無利7ヶ年賦、10ヶ年賦、又は返済を免除してくれました。そこで一同の暮し方が立ち直るまで、3分の1にあたる金23両余りを、無利子で据置きで拝借仰付けになりまして(以下略)

 このように花田村の自力復興の姿勢は、金次郎に積極的に評価され、花田村仕法が展開されることになった。ほぼ同時期に隣村である板橋村見取新田でも仕法が実施された。





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最終更新日  2009年07月12日 17時57分01秒



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