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2010年01月17日
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写真は台湾製糖の発起人の一人として名前を連ねた陳中和氏(利純英氏写真提供)

児玉源太郎台湾総督時代の後藤新平、新渡戸稲造の砂糖政策その10

1900年(明治33)12月に創立した当時の台湾製糖株式会社の経営層を見ると、社長(当時は会長)鈴木藤三郎、取締役として益田孝、陳中和、田島信夫、武智直道、相談役がロベルト・ウオルカー・アルウィンであった。台湾製糖会社設立を企画した内山田の井上馨邸に参加していたのは、井上馨、台湾総督府側の児玉源太郎総督と山田煕、三井物産会社側の益田孝とロベルト・ウオルカー・アルウィンである。武智直道は東京ハワイ公使館で移民の事務をしていたのを、ハワイ公使だったアルウィンが見いだし台湾製糖創立のとき発起人として推挙したものである。もう一人の陳中和という人はどういう人であろうか。久保氏は「植民地企業経営史論」69頁でこう述べている。
「陳は、現地台湾における製糖業者の中心的人物であり、台湾製糖にとっては、三井物産(1500株)・内蔵頭(宮内省1000株)・毛利元昭(1000株)に次ぐ主要株主の一人(750株)であるともに、数少ない2名の台湾人出資者の一人であったわけで(*)、彼を取締役に加えることは現地製糖関係者にも台湾製糖の創立が歓迎されたものであることをアピールする役割を果した。」
 田島信夫は毛利家の家老で同家の持ち株を代表して取締役に就任したのだという。
 
* 陳中和は高雄出身の糖商で、1903年に新興製糖株式会社を設立。今一人の出資者である王雪農(250株)は、台南出身の糖商で1904年に台南製糖株式会社を設立した。
※「高雄の歴史」によると「高雄陳氏は高雄地区の有力一族である。高雄陳氏の基礎を築いたのは陳中和(1853年?1930年)であり、清代から日本統治時代にかけて高雄地区で企業家・経営者として成功した。1904年当時、陳中和は日本の「米糖王国」政策に応じ、初めての台湾資本による「新興製糖」を設立した。1923年には「陳中和物産株式会社」を設立し、農産物種苗販売、不動産賃貸、精米関連事業、会が院貿易やその他投資事業を行い台湾南部で重要な経済的地位を獲得した。 高雄陳氏は高雄政界にも相当な影響力を及ぼし、陳中和以外に陳啓川、陳啓清、陳田錨などが市政に参与している。また高雄医学院が創立される際には陳氏による寄付が行われ、その校舎の一棟は「啓川楼」と命名されている。陳啓川在は日本統治時代に州議員に選出され、国民政府時代になると1960年から2期にわたって高雄市長を務めている。このほか高雄市議会の前議長である陳田錨もまた高雄陳氏出身の政治家であり、合計5期(22年2ヶ月)にわたって議長を務めると共に、8期(32年1ヶ月8日)の長期にわたって議員を務め、高雄議会の中で最長期間の記録を有している。」とある。
 鈴木藤三郎も台湾事前踏査の折に高雄で陳中和に面会している。





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最終更新日  2010年01月17日 16時32分22秒



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