GAIA

2012/04/21(土)23:48

なくなったあっこは、画用紙に震える手で「ありがとう」と書き監督に託した。そのコピーを全部員が受け取った。

イマジン(3168)

ドラマ「あっこと僕たちの生きた夏」の後編があった。大分のある高校の野球部女子マネージャー あっこ がガンで余命が少ないことを宣告される。野球部の面々は絶対に 甲子園に連れてやると誓い、驚異的な活躍をする話だ。どうも 実話のドラマ化のようだなと思ったらウィキに早速こう載っている。『あっこと僕らが生きた夏』は、有村千裕のノンフィクション。同作品を原作としたテレビドラマ。第89回全国高等学校野球選手権大会で県大会ノーシードから19戦無敗で甲子園ベスト8進出の快挙を見せ、「伝説の夏」とも称された大分県代表・楊志館高等学校。その裏で、進行性の上咽頭癌に侵されながらチームを支え続けた女子マネージャーの「あっこ」こと大崎耀子の姿を、彼女の闘病ノートと著者の元読売新聞記者としての取材記録からまとめたもの。ドラマの最後に「死んだら・・・きっと、グランドの空にいるから。キモイって言わないで(笑い)」という本人の筆記が出て来る。以下の記事があった。あっこが言う。「病気になってたくさんのことがわかった。空がこんなにも青いとか仲間がこんなにもやさしいとか家庭がどんなに恵まれていたかとか・・・」   天国のあっこと卒業 遺影、級友に抱かれ [2009年03月04日 09:36] 昨年亡くなった大崎耀子さんの遺影を囲むクラスメート=3日午後、楊志館高校昨年亡くなった大崎耀子さんの遺影を囲むクラスメート=3日午後、楊志館高校  大分市の楊志館高校(河野成美校長)の卒業式が三日あり、昨年十月二十九日に上咽頭(いんとう)がんのため十七歳で他界した大崎耀子(あきこ)さん=福祉科三年、同市松が丘=の遺影が友人に抱かれて“出席”し、卒業証書を受けた。  大崎さんは生前、三年W組に在籍。野球部マネジャーを務め、「あっこ」の愛称で親しまれた。  式は体育館で行われた。大崎さんの遺影は、W組ルーム長の山際あかねさん(18)の胸に抱かれて入場。卒業証書授与では、担任で野球部監督の宮地弘明教諭(37)が「大崎耀子」とはっきりと名前を読み上げた。  式後、教室で宮地教諭が「わたしたちは一生、あっこのことを忘れません」と大崎さんの母親(55)に証書を手渡した。母親は「卒業証書をもらえるなんて夢のよう。あっこも喜んでいると思う」と涙ながらに話した。  大崎さんは闘病中、クラスの仲間と一緒に卒業したいと話していたという。四十人のクラスメートから「生前の願いをかなえてあげたい」「あっこと一緒に卒業したい」という声が上がり、学校側も特別に卒業証書を用意した。   甲子園の約束、ごめん 「いいよ」あっこも泣いた 楊志館2009年07月30日<大分大会> ありがとう 白い紙に書いてあるのはその5文字だけだ。 07年夏の第89回全国高校野球選手権大会。初出場の大分代表・楊志館(大分市)で、佐藤翔司(18)は2年生ながら二塁手レギュラーとして甲子園の土を踏んだ。  今は大分市内の機械製造会社に勤め、会社の軟式野球部に所属する。高校時代の写真を収めたA4判のファイル。佐藤の宝物だ。最後のページに入った「ありがとう」の5文字を書いたのが、マネジャーだった大崎耀子(あきこ)。大崎耀子さんが書いた「ありがとう」の文字08年7月5日。高校最後の夏の大分大会。楊志館の初戦は開幕戦となった。あっこは念願だった公式戦初のベンチ入りを果たした。  甲子園経験者7人を擁する楊志館は苦戦を強いられた。7回表で3-8。その裏、先頭打者が安打で出塁した。「絶対打ってくるからな」。佐藤はあっこにそう言い残し打席に向かった。  4球目の直球を力の限り振った。ボテボテのゴロが遊撃手の正面に転がった。次の回に4点を失い、コールドで負けた。佐藤は泣きじゃくり、ベンチに戻った。  「ごめん、あっこ。甲子園に連れて行けなくて」  「いいよいいよ、よく頑張ったよ」  佐藤のユニホームのすそをつかみ、あっこも泣いた。  容体が急変したのは3カ月後。気道を切開し声も出なくなったあっこは、画用紙に震える手で「ありがとう」と書き監督に託した。そのコピーを全部員が受け取った。  08年10月29日、あっこは亡くなった。

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