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2012年10月14日
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カテゴリ:広井勇&八田與一

「評伝 技師 青山士(あきら) その精神の軌跡」高崎哲郎著 その3
 恩師広井勇との出会い
P65 青山の恩師・東京帝国大学土木工学科教授広井勇(1862-1928)は、内村の札幌農学校の同級生で知友であり、内村と同時にクリスチャンの洗礼を受けている。
広井は文久2年(1862)9月、土佐藩広井喜十郎と寅子の長男として、土佐国高岡郡佐川村で生まれた。9歳で父を失い、その後、母方の叔父片岡利和に伴われて上京し、同家の書生となる。13歳で東京英語学校に入学し、その後工部大学校予科に編入する。16歳の時、全額官費の札幌農学校に入る。同校第二期生として土木工学を専攻する。内村と同じ時にアメリカ人宣教師ハリスから洗礼を受けキリスト教徒の生活に入る。
20歳で同校を卒業し、鉄道建設などに従事したのち、明治16年(1883)12月横浜港から単身あめりかに向け出航する。自費での渡航である。22歳。アメリカ滞在中ミシシッピ川改修工事にただ一人の日本人技師として従事したのを手始めに、橋梁や鉄道の設計施工に参加した。その後、ドイツに渡り、シュツットガルト・ポリティニカム(工科大学)で土木工学を学ぶ。明治22年、7年ぶりに帰国し札幌農学校の教授となる。教授のかたわら北海道内の港湾整備事業を手がける。中でも小樽港の防波堤事業はいまなお「模範的土木工事」とされている。
明治32年(1899)9月、招かれて東京帝国大学工学部土木工学科教授に就任する。この年から、港湾・橋梁・鉄道・ダムなど、広井山脈と呼ばれる門下生を数多く育てた。
自宅にあっては、毎朝5時に起床し、書斎にこもって聖書を読み、両手を机の上に置いて頭を垂れ、数分間祈祷を捧げる。この祈祷は逝去するまで40年間続けられた。他者に信仰を押し付けることはなかった。
「自分は決して天才ではない。他人が3日で成就することも自分には一か月もかかる。その点からしてもただ祈りと努力があるのみである」と家人に語ったという。
昭和3年(1928)10月1日、逝去した。享年67歳。内村鑑三は、10月2日の日記に記した。
「同窓同級の友、東京帝国大学名誉教授工学博士廣井勇君が昨夜突然永眠した。直ちに彼の家を訪い、彼の冷たき額に手を当てて実に感慨無量であった。50年前に彼と同時にパプテスマを受け、共に福音宣伝の為に働かんことを誓いしも、彼は日本第一の築港学の権威となり、直接に伝道に携わらざるように成り、其の方面に於ける事業は自分が一人で為さざるを得ざるに至り、堪え難き淋しさを感ぜし事であった。・・・・・今朝旧友の死顔に接して今日は終日悲嘆に沈んだ。」

10月4日、告別式に当って内村は旧友に弔辞を献じた。
青山は葬儀に参列した。青山は晩年に至るまで、自室の机の上に広井と内村両師の顔写真を置いた。

P68 青山は東京帝国大学土木工学科入学後、内村が発刊した「聖書之研究」の定期購読者となった。同時に毎週日曜日新宿の内村邸での「聖書購読会」に欠かさず出席した。
P72 「聖書之研究」第24号52ページに内村の「青山論」がある。
「青山君は大学の工科生なり。・・・・・・予は青山君を見たり、予は君が微笑を以て三寸の舌をつつみ、多くを語らずして実は大いに心中に語る居る人なることを解せり、予輩は今君について多くを語るを好まず。ただ願わくは君の健在ならんことを祈る」
P73 「聖書之研究」第25号74ページに青山の感想録が載っている。
「在らざる時なく、また所なく、すべてを知り、なしあたわざることなき、愛なる父の神よ。・・・・・・わたしはあなたの真理の説明者たるのみならず、あなたの御業の真の証明者たるべきことを感じ、またあなたによる喜びを感ずるもんもであります。・・・・・・この賎しきものをもあなたの器となしたまいて、あなたのため、わが国のため、わが村のため、わが家のためにお使いくださらんことを・・・・・・」
この青山の祈りに対して、内村は註をつけている。
「かかる祈祷を捧げうる人が工学士となりて世に出る時に天下の工事は安然なるものとなるべく、またその間に収賄の弊は絶たれ、蒸汽も電気も真理と人類との用を為すに至て、単に財産を作るの用具たらざるに至らん、キリスト教は工学の進歩改良にも最も必要なり」
「収賄の弊」に後年の内務技師青山は異常なほど神経を使った。
青山は生涯「内村イズム」を捨てず、娘が嫁ぐ時には「内村鑑三全集」をプレゼントして生涯読み続けるよう求めた。
 青山は明治36年7月11日、東京帝大工科大学工学部を卒業する。卒業論文は、広井教授の指導で鉄筋コンクリート橋の設計を選んだ。この年初めて東京帝大では広井教授が鉄筋コンクリートの講義をした。
 謝恩会の席で、主任教授広井勇は、自らの海外留学やアメリカ・ドイツでの河川改修、橋梁設計の施工、鉄道敷設に携わった経験をもとに、海外で土木事業に携わり経験を積んでくるように卒業生に求めた。
 後年、青山は好んで引用した内村鑑三の「余の見たる二宮尊徳翁」を引用した。

 

先生の印旛沼堀割見分の命を受けその復命をなしたるごとき実に現時の人々(ひと)に見ること能わざるところなり。
先生つぶさに種々の調査を遂げ確かに印旛沼掘割より生ずる大益を認めたれども、その地方人民の道徳腐敗のゆえをもって直ちにこれに着手するもその功なきを認めまず儒者を遣わしてその民を教導ししかる後に事業の挙がるべきをもってしたり。

先生はこの沼の開墾事業をもって道徳問題となしたり。
今日の教師らにこの見識ありや。
測量や水利やただこれをもって土木事業は成就すべしと思うは非なり。
先生は150年以前すでに日本ありて以来の卓抜の識高潔の徳をもってかくのごとき復命をなしたり。
今日の経済学者はまずソロバンを手にす。
先生はまず至誠の有無を質す。
吾人先生に学ぶところなきか。

今や不景気の声高し。
この救済策をもって先生に問わば先生必ず云わん。
人民腐敗せり、まずこれを救わざるばからず。
不景気の救済は不道徳の救済ならざるべからず と。
今どきの人ややもすれば挽回策をもって農工銀行や商業銀行の設立によるとなす。
しかれども人心腐敗すればかくのごときものはかえってこれ不景気の前駆となり破産の機関となり了せん。
予聞けるに越後の人にして所有地を抵当になし農工銀行より金(かね)を引き出し放蕩して遂に破産せるものありき。
畢竟経済の本は金にあらずして人の心にあるなり。
この点において先生の経済論は実に敬服のほかなきなり。
今の経済学者はただこれをもって金銭利欲の問題となして人の意志に関する無形の倫理道徳の問題なるを知らず。
真に憐れむべきにあらずや。

予は農学士なり。
今やキリスト教の伝道者となりて東奔西走すれば友人輩あるいはあやしみあるいは笑えり。
しかれども予思えらく、牛の改良や種子の改良はその事はなはだ容易なり。
ただ人心を改良し罪あるものを悔い改めしめ悲しめる者に慰謝を与えることこれもっとも難きことにしてまた甚だ尊貴なることなりと。
かくのごとき事業こそ万事の根本となるにあらずや。
これ予の喜んでとるところの事業たるなり。
予の伝える福音を信じて破産をなしもしくは放蕩するがごとき人はいまだかって一人もこれあらざるなり。

すべての財産は天のたまものなり。
至誠勤勉の結果なりとは二宮先生の教訓なり。
キリスト教においてもまたしかり。
人往々キリスト教の信仰のごとき絶えて経済などには関係もなきもののごとく思惟するは甚だいわれなきことなり。







最終更新日  2012年10月14日 14時04分33秒
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