GAIA

2014/11/23(日)04:05

非戦論の原理 内村鑑三 その2 自然を学んで、自然は戦争でなく、平和の宣伝者であることが明らかに分かります

 戦争と天然 しかし人は言います。戦争は広く天然に行われるところ、戦争は天然の法則であってまた進化の理であると。なるほど、戦争は広く天然界に行われます。優勝劣敗の理は天然界いたるところに行われます。私は天然界における戦争の実在と、またある点から言えばその利益とを認めます。しかしながらここに一つ注意しておくべきことがあります。それは天然の法則は戦争にのみ限らないことであります。天然界には戦争とともに協同一致も行われます。愛憐犠牲も行われます。万物が進化して今日にいたったのは戦争のみによりません。優勝劣敗を戦争にのみ限るはごく浅薄なる天然観であります。獅子はなるほど鹿や兎を食います。獅子と鹿と相対すれば勝利はもちろん獅子に帰します。されど鹿には獅子にないものがあります。群居の性があります。したがって多少和合一致、相互共済の性があります。ゆえに戦争においては鹿は獅子に負けますが、繁殖においては獅子は鹿に負けます。ゆえにインド、アフリカの地方において、獅子が絶えても鹿の絶えない所がたくさんあります。獅子はその牙と爪の鋭いために鹿に勝ちますが、その猛烈なる呑噬(どんぜい)の性をもつために、ついに弱い鹿に負けます。天然界を修羅のちまたと見るは大なるまちがいであります。天然界は修羅のちまたではありません、やはり愛と正義とが最後の勝利を占める家庭の一種であります。 広く天然界をその大体について観察してごらんなさい。その中で最も高い、最も貴い、最も美(うる)わしい物は、強い、猛(たけ)しい、厖大なる者ではありません。もし力の一点から言えば、最も強い者は王蛇(おうじゃ:大蛇)と鱷魚(ガクギョ:ワニ)とであります。しかし、誰が大蛇とワニとが、この世界の主人公であると言いますか、詩人ヲルズオス(ワーズワス)の歌うた牝鹿(めじか)は弱くかつ脆(もろ)くありますが、しかし遥かに大蛇とワニ以上の動物であります。鷲(ワシ)は一番強い鳥でありますが、鳥類の王はワシではありません。木蔭涼しき所に五色の錦繍(にしき)を水面に映す翡翠(カワセミ)は遥かにワシ以上の鳥であります。もし力の一点から言いまするならば、原始の人はゴリラ・チンパンジー等の猿猴(えんこう)類に遥かに劣ったる動物でありました。しかるにこの弱い人類が終に世界の主人公となったのであります。もし戦闘的の優勝劣敗が天然界を支配する唯一最大の勢力でありまするならば、この世界は今や全く大蛇、ワニ、ワシ、ゴリラ等に属しておったでありましょう。しかるにそうではなくして、獅子や虎は絶ゆるも、その餌物(えもの)となりし鹿や兎は繁殖し、ワシは山深く巌(いわ)高き所にその巣を作るに代えて、カワセミは里に下りて水辺を翔(かけ)り、ゴリラ・チンパンジーはわずかに熱帯地方の森林にその種族を保存するに代えて、人は全世界をおおうて、いたる所に文明を進めつつあるのを見て、天然界は決して強者必盛、弱者必滅の世界でないことが最も明白に分かります。主戦論はこれを天然界の事実に訴えてその説を維持することは出来ません。天然を深く学んでその、戦争の奨励者でなくて、かえって平和の宣伝者であることが明らかに分かります。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る