2017/11/20(月)21:19
私は時々、ひどく心細く感じることがあります
愛の働きであっても
仕事のための仕事にしてしまう危険性は
いつでもあります
だれのためにしているのかということを
忘れてしまうと
それが落とし穴になるのです
神と
キリストへの尊敬と愛と献身によって
私たちはできる限り美しく
それをすることができるのです
喜ばしい奉仕の活動を通してのすばらしい経験は
まだ経験していない人たちへと
伝えていかなければなりません
それは私たちの働きの
とても大きなご褒美のひとつです
「マザー・テレサの 愛 と言う仕事」214ページより
マザー・テレサという私の呼び名は、アビラの聖テレサに由来しているのか、ですって?
いいえ、とんでもない。
私は自分のことを、あの大テレサにちなんで名乗ったことはなりません。
リジューの小テレサにちなんで、名乗っているだけなのです。
私たちの仕事は苦しみがなければ、きっと人助けのための社会事業ということになるのでしょう。
しかしそれでは、イエス・キリストのための仕事ではなくなってしまいます。
真の救済にはならなくなってしまいます。
イエスは、私たちがイエスが味われた生活、苦悩、孤独、死を共有することによって、私たちに救いの手を差し伸べてくださるのです。
イエスとともにいるからこそ、私たちを救ってくださったのです。
私たちもイエスと同じことをしなければなりません。
貧しい人々は、精神的な貧しさからだけでなく、あらゆる貧しさからも救われるべきなのです。
そしてその時に、私たちも、彼らと同じ貧しさを共有しなくてはなりません。
貧しい人々と一緒にいることで、私も彼らも救われるのです。
彼らの人生に神をもたらし、神のところに遣わすことで、彼らは完全に救われます。
私は時々、ひどく心細く感じることがあります。
心が空虚になり、自分自身が中身のない貝殻のように思え、私の中の支えを失ってしまいそうになるのです。
ヨーロッパや合衆国に出かけていくたびに、裕福であるはずのその国でひどく不幸な人々に出会い、心が痛くなるのです。
物質的に裕福であるがゆえに、家庭は崩壊し、子どもたちは親から見捨てられているといった現実を、何度も目の当たりにしているからです。
今、このような先進国の人々が取り組まなくてはならないのは、自分の血をわけた家族のために働き、離れかけている夫婦の心を結び、子どもたちが両親の愛をたくさん受けることのできる家庭をつくることです