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2018年01月23日
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暮れから正月にかけて手術のため入院していた。

手術後、ICU(集中治療室)で、麻酔から醒めて、この大宇宙に独りぼっちで、一晩眠れぬ夜を過ごした時、自分のうちを探ってみて、頼りになる「よすが」を探した。
あったのは「般若心経」と「観音経」であった。
いずれも座禅会などで覚えたものである。

一晩中、繰り返し「観音経」「般若心経」を唱えて過ごした。
深淵たる孤独のなかで、まことに寄る辺となるべきものを自分のうちに持っていることの有難さを思った。

「般若心経」は玄奘三蔵法師が漢訳した。
中国北京の古寺、雲居寺で発見された石板に「三蔵法師の玄奘が詔を奉じて訳す」と題字されているという。

玄奘三蔵法師は、経典を求めてインドに赴くとき、荒涼たる砂漠をわたっていったが、盗賊の難や妖魔(幻覚?)に襲われたとき、観音経や般若心経を唱えて救われたと『大唐西域記』に記してある。





最古の玄奘三蔵訳の般若心経か 北京の雲居寺

2016.9.28

【北京共同】中国北京の古寺、雲居寺は、同寺が保管していた石に刻まれた般若心経が、唐代の中国の僧で、「西遊記」の三蔵法師として知られる玄奘三蔵による現存する最古の漢訳であることが分かったと発表した。西暦661年に刻まれたとしている。中国メディアが27日までに伝えた。
 般若心経は大乗仏教の教えの一つで、般若経典のエッセンスを簡潔にまとめたもの。原文はサンスクリットで書かれ多様な漢訳があり、日本を含め玄奘による漢訳が最も普及しているとされる。
 般若心経が刻まれた石は雲居寺の石室で保存されていた。専門家は「三蔵法師の玄奘が詔を奉じて訳す」との題字などから、玄奘の訳に違いないとしている。
 中国メディアは、学術界では般若心経を玄奘が本当に漢訳したことがあるのか疑問を呈する見方もあったが、今回の発見で「論争についに答えが出た」と強調している。
 雲居寺は約1400年前の隋代に創建された北京市房山区の古寺。石に刻まれた多数の経典が残っていることで知られる。
雲居寺の「般若心経」の拓本=共同


「玄奘三蔵 大唐大慈恩寺三蔵法師伝」抜粋

砂漠を何十回ともなく往復した老人が法師に言う。

「西への道は険悪で、非常に道が悪く長いのです。

もし鬼魅熱風にあえば免れる者はありません。

大勢でパーティを組んで行っても、なお時々迷います。

師のようにお一人で行かれるのでは、どうして行きつくことができましょう。」

「私は大法を求めんために、西方へ出発しようとしているのです。

もしインドに至らなければ決して帰ってきません。

たとえ中途で死んでも後悔しません。」

法師は、旅支度をして若い胡人の道案内と出発した。

その夜、胡人は刀を抜いて法師に近づいた。

法師はすぐ起き上がって誦経し観世音菩薩を念じた。

胡人はそれを見ると、自分の寝床に戻っていった。そして翌日逃げ去った。

法師は一人砂漠の中を歩いた。

砂漠の中に突然軍隊が見えた。

近づくと消え去る。

法師は妖鬼の仕業であると思った。

すると空中から「怖れるな、怖れるな」という声を聞いた。

この声で落ち着きを得ることができた。

砂漠では、空には飛ぶ鳥はなく、地上には走る獣はなく、草も生えていなかった。

法師はただ観世音菩薩と「般若心経」を心に念じた。

法師はいろんな奇怪な悪鬼が自分をめぐって前後するに会った。

その時、観音を念じても、それらの悪鬼を去らせることはできなかったが、般若心経を読誦すると、声を発して皆消えてしまった。

危険なときに救われたのは、実にこの経のお蔭であった。

法師は専ら観音を念じて西北に進んだ。

暴風・砂嵐が吹き散らして法師を苦しめ、ついに砂の中に倒れ伏した。

法師は観音を念じた。

『私のこの旅は財利を求め、名誉を願うものではない。

ただ無上の正法のためである。

仰ぎ思うに菩薩はすべての人を慈しみ、苦しみを救うのを務めとされている。

どうして知らないのであろう。』

法師が念ずると意識は失われなかった。

更に道を行くと池を発見した。

これは菩薩の慈悲によって生じたものである。

人の至誠が神に通ずるのは、このようである。





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最終更新日  2018年01月23日 05時31分53秒
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