2019/03/05(火)17:29
謗るまじ たとえ咎ある 人なりと 我が過ちは それに勝れり
「謗(そし)るまじ たとえ咎(とが)ある 人なりと
我が過(あやま)ちは それに勝(まさ)れり」
二宮翁夜話に「人を誹(そし)り人を言い落とすは不徳なり、たとえ誹(そし)りて至当の人物なりとも、人を誹るはよろしからず」とある。
【90】門人で過って改めることができない癖のある者がいた。その者は多弁で常に過ちを飾っていた。尊徳先生は諭しておっしゃった。「人は誰でも過ちをおかすものだ。過ちと知ったならば、自分で反省してすぐに改める、これが道である。過ちを改めず、その過ちを飾り、かつ押し張るのは、智や勇に似ているようだが、実は智でもなく勇でもない。あなたはこれを智勇と思っているかもしれないが、これは愚であり不遜というもので、君子が憎むところである。よく改めなさい。さらに年が若い時は、言葉と行動とともによく心を付けなさい。ああ馬鹿な事をした、しなければよかった、言わなければよかったというような事のないように心掛けなさい。そういう事がなければ富貴はその中にある。たわむれにも偽りを言ってはならない。偽りの言葉から大害を引き起し、一言の過ちから、大きな禍(わざわい)を引き出す事が往々にしてあるのものだ。だから古人は禍いは口から出ると言ったのだ。人を誹(そし)って人を言い落すのは不徳である。たとえ誹って当然な人物であっても、人を誹るのはよろしくない。人の過ちをあらわすのは、悪事である。嘘を実(まこと)のように言い、鷺(サギ)をカラスといい、針ほどの事を、棒ほどに言うのは大悪である。人を褒めるのは善であるけれども、褒めすぎるのは正しい道ではない。自分の善を人に誇って、自分の長所を人に説くのはもっとも悪い。人の忌み嫌う事は、必ず言ってはならない。自ら禍の種を植えるものだ。慎しまなければならない。
五日市先生の「魔法の言葉」で、イスラエルのおばあさんも「絶対に人の悪口を言っちゃダメよ、絶対ダメ。あなたが自分の部屋にポツンと一人でいる時でさえも、人の悪口を言っちゃダメ。それに、人を怒ってもツキは逃げて打っちゃうわ。怒れば怒るほど、あなたがせっかく築き上げたツキがどんどんなくなっていくのよ。だから、ネガティブな言葉は使っちゃダメ。分かった? どんな言葉にもね、魂があるの。本当よ。だから、ねつ。きれいな言葉だけを使いましょ」と言われている。
「魔法の言葉」の「絶対に人の悪口を言っていけない」と二宮尊徳の言葉と「たとえ悪口を言っても当然の人でも、人の悪口を言うのはよくない」 というのは一致する。
いずれも大切にしている教えである。
最近は「汝を迫害する者のために祈れ」を実践し、人にも勧めている。山上の垂訓は人間の理想の実現不可能な倫理ではなく、実践倫理である、キリスト教がローマの圧政に打ち勝ったのは実に信者がこの山上の垂訓を実践し、迫害するローマ人を愛し、ローマ人のために祈ったからだ。
すると、同僚の若い人に言われた。
「アンガー・マネジメントを超えていますね」と。
そう、怒りのコントロールでとどまっていてはいけない。
高倉健さんの名言に
「 人に裏切られたことなどない。自分が誤解していただけだ」
というのがある。
怒りを感じるような言動の人、そしっても当然のような人さらには国でも、その人や国に「とってもよいことがたくさんありました、感謝します」と口に出して祈る。
すると不思議に自分の心が穏やかになることに気づく。
==(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)
ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、平和そのもののB家とが隣接していた。
ケンカの絶えないA家の主人は、隣はどうして仲よくやっているのか不思議でたまらず、ある日、B家を訪ねて懇願した。
「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず困っております。
お宅はみなさん仲よくやっておられますが、なにか秘訣でもあるのでしょうか。
一家和楽の方法があったら、どうか教えていただきたい」
「それはそれは、別にこれといった秘訣などございません。
ただお宅さまは、善人さまばかりのお集まりだからでありましょう。
私の家は悪人ばかりがそろっていますので、ケンカにはならないのです。
ただそれだけのことです」
てっきり皮肉られているのだと、A家の主人は激怒して、
「そんなばかな!!」と、言おうとしたとき、B家の奥で大きな音がした。
どうも皿かお茶碗でも割ったようである。
「お母さん、申し訳ありませんでした。
私が足元を確かめずにおりましたので、大事なお茶碗をこわしてしまいました。
私が悪うございました。
お許しください」
心から詫びている、お嫁さんの声がする。
「いやいや、おまえが悪かったのではありません。
先ほどから始末しようしようと思いながら横着して、そんなところに置いた私が悪かったのです。
すまんことをいたしました」
と、続いて姑さんの声が聞こえてきた。
「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。
ケンカにならぬ理由がわかった」
A家の主人は感心して帰ったという。
謗るまじ たとえ咎ある 人なりと 我が過ちは それに勝れり