2021/01/31(日)14:24
「負けるな、諦めるな、絶対に!」
先生にいただいた三冊のノート 臼木さん
中学2年の夏休みに入る前、体育の先生が突然クラス全員に「ノート」の提出を求めた。
「3日中には全員職員室まで持ってこい!」
臼木さんは動揺した。臼木さんの使用している「ノート」は。広告紙の裏を利用しとじこんでノートの代用品としているものだった。
新聞専売所の二階での下宿生活は、一年近く続いていた。
臼木さんだけ中学生であとは大学生以上がほとんどだった。
長男の臼木さんは家への仕送りが必要だった。父は北海道の炭鉱で三度の倒産にあい、長年定職につけず、遠い友人をたよって一家で横浜に移住した。しかし仕事は臼木さんの給料が一家の貴重な収入だった。
給料を送金したときの母の安堵した顔を思い浮かべることが一番の幸せだった。
配送残りの広告紙を店主に断り、いつも50枚ほどわけてもらい、閉じてノートがわりとしていた。
最終日、覚悟を決めて、職員室に友人がいないときを見定めて、入室した。
先生は最終提出者がおまえだと告げた。
頭を下げて、広告紙のノートを提出した。
先生はあぜんとした表情をうかべた。
正直に一切の事情をうちあけた。家庭生活、父の失業、相次ぐ転校、母への仕送り、新聞店での下宿・・・・
話をしていると涙があふれだした。体中熱くなり嗚咽がとまらない。
先生は一言も発せずに、うなずいて聞いてくれた。
一週間後、「ノート」の返却で職員室を訪れた。
先生は私をみすえて、「絶対に負けるな!あきらめるな!いいか!」といって、両手を肩において、何度もおさえつけた。
返却された「ノート」には「整然としています」とあり、
最後に先生の大きな字で「負けるな、諦めるな、絶対に!」と力強く二度書かれていた。
広告紙の「ノート」は新品のバインダーに閉じられて、別に真新しいノートが三冊、先生から手渡された。
(PHP「生きる」令和2年6月号 抜粋)
(続く)