9322138 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

GAIA

全て | 報徳記&二宮翁夜話 | 二宮尊徳先生故地&観音巡礼 | イマジン | ネイチャー | マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界 | 宮澤賢治の世界 | 五日市剛・今野華都子さんの世界 | 和歌・俳句&道歌選 | パワーか、フォースか | 木谷ポルソッタ倶楽部ほか | 尊徳先生の世界 | 鈴木藤三郎 | 井口丑二 | クロムウェル カーライル著&天路歴程 | 広井勇&八田與一 | イギリス史、ニューイングランド史 | 遠州の報徳運動 | 日本社会の病巣 | 世界人類に真正の文明の実現せんことを | 三國隆志先生の世界 | 満州棄民・シベリア抑留 | 技師鳥居信平著述集 | 資料で読む 技師鳥居信平著述集  | 徳島県技師鳥居信平
2021年02月23日
XML
カテゴリ:ネイチャー
臥龍梅、清楚な薄紅色 樹勢衰えるも開花 熊本県八代市の松井神社
2021/2/23
臥龍梅、清楚な薄紅色 樹勢衰えるも開花 熊本県八代市の松井神社 | 熊本日日新聞社
 熊本県八代市北の丸町の松井神社にある県指定天然記念物「臥龍梅[がりょうばい]」が見頃を迎えている。樹齢400年の古木で、樹勢の衰えが心配されているが、今年も薄紅色の清楚[せいそ]な花を咲かせた。

 江戸初期、八代城主の細川忠興が優れた人材の輩出を願って自ら植えたとされる。幹や枝が地をはうように曲線を描き、竜が寝ているように見える。

 ここ数年、樹勢に衰えがみられ、同神社は2019年、水はけや日当たりをよくするために、周囲の生け垣を伐採するなどした。

*細川忠興は戦国武将として、利休の弟子の茶人として、三斎流という新たなスタイルの甲冑を編み出した美術プロデューサーとして有名。妻は明智光秀の娘たま。ガラシャ。父は細川藤孝。武人であり歌人。足利家、織田家、豊臣家、徳川家に付き従い、時代を見定めるインテリだった。
 加藤清正が改易された寛永年間、細川家は小倉から肥後に入国。当時は3代目の忠利が家督を継ぎ、忠興は隠居として八代に住んだ。徳川幕府での細川家の安定を図るため、忠興・忠利親子は頻繁に手紙をやりとりして方策を練っている。それらがすべて保存され、今でも「永青文庫」に所蔵されている。細川家では「記録を残す」ことを大事にしてきた。
臥龍梅は細川忠興(三斎)が「八代から百花の魁となる人材出でよ」と念じて、自ら植えたと伝えられている
現地説明文
『老幹屈曲、朽ちて朽ちず、ほとんど老龍の地上に 蟠臥するるもののごとし。呼んで、これを臥龍の梅となす。ああこれはこれ、わが肥(後)の先主三斎老公、手ずから栽ゆるところなり。そもそも妙解公(忠利)の東肥に就封するや、公すでに老して(隠居して)八代の城に居る。このときにあたり、海内便武、封域おそれなく、公清間余りあり。ここにおいてか、もっぱら庭園を修し、その中に従容す。かって手ずから梅を植え、もってこれを培養す。・・・』

*元和5年(1619)豊前38万石を忠利に譲って、三斎宗立と改めた細川忠興が、肥後国八代に足を入れたのは寛永9年(1632)12月22日で、隠居してから12年後でした。その夜は、先乗りの部下があらかじめ手配していた町屋に宿泊し、その居城たるべき八代城に初めて足を踏み入れたのが翌23日。家臣の知行地や屋敷割振りが終わったのを待っていたかのように、年明け早々三斎の元に、忠利の家臣を通じて将軍家の懸念が伝えられます。三斎が返事として在府中の忠利へしたためた書状(寛永10年2月20日付)には次のように記されています。

「三斎の知行が多いのは為にならないとの内意とか。立允と興孝に遣すべき知行と城付士の分と自分の三万七千石、それに河内長野(村上縫殿介景則)の一万石を入れると九万七千石になる。稲葉正勝殿(老中)はその事をご存知だが、家光公はそれをご存じないので、今回の正勝殿の内緒のお知らせとなったのであろう。立允(立孝)三万石、興孝二万五千石の内分領と河内の一万石が含まれていることを書面にして提出したら、それでこの件は落着するはずだ。しかし、そう報告したからといつても、自分の知行は前と同じ九万石であると承知しておいて欲しい。
・・・・・その方が味ある儀にて候条、従って幕閣へのことわりようの子細は必ず承るべく候」

大阪の陣の半年ばかり前のことですが、三斎が島津義弘の使者に次のように言っている。

 「信長公が七年もかかって攻め落とせなかった石山城(大阪城)は、その当時よりよほど堅固である上に、諸国の名有る牢人が大勢詰めているから中々落城しないだろう。数年も籠城すれば老人である家康(七十五歳、その翌年死去)は死ぬであろうから、大阪方の勝利は間違いない、というのが世間の多くの見方だが、ワシはそうは思わない。『落城は早速たるべし、と見ている。その子細は、秀頼は乳飲み子にして、お袋専制なればなり』ワシがそのように云っていると維新(義弘)殿に伝えてくれ」






最終更新日  2021年02月23日 13時10分17秒



© Rakuten Group, Inc.