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2021年10月17日
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渡辺和子さんの「忘れかけていた大切なこと:ほほえみ一つで人生は変わる」という本にこんな話が載っている。

曹洞宗の尼僧、青山俊董が書いた「禅のまなざし」という本の中に、
「だいじょうぶの小石」というお話があります。
仕事がら病院に出入りを許されている一人の方が、掌に入るくらいの小さな小石をもっていて、これから手術を受けようとしている人に、その小石を握らせてあげるのだそうです。その小石には、平仮名で「だいじょうぶ」と書いてあるので、それを握らせてもらった人は、
「大丈夫なんですね。手術はうまくいくのですね、ありがとう」
と喜びます。すると、その方は、
「あなたが思っている通りになる大丈夫ではなくて、どちらに転んでも大丈夫、そういう大丈夫の小石なんですよ」
とおっしゃるのだ、というお話なのです。

この話を読んで、私のこれまでの考えは足りなかったと思いました。
これまでは「手術のためにお祈りしてください」と頼まれると「はい、わかりました。きっとお治りになりますよ。大丈夫ですよ」、そういう気持ちで「大丈夫」を使っていたことが多かったと思うのです。

祈れば神が私の願い通りにしてくださる、病気を治してくださる、夫の怪我を治してくださる、子供の暴力を止めてくださる、というのではなく、どっちに転んでも大丈夫、神は悪いようにはなさらないという信頼、腹のすわった心がまえ、そういうものをもって祈ることが大切なのだと気づいたのです。
「祈りは神を変えません。祈りは私を変えます」。
私たちが祈ると神はきいてくださる。
まるで私たちの意のままになる神のように想い勝ちですが、私がどう願おうと、神はご自分の御心をお行いになるのです。
私は「欲しいもの」を願うけれど神は「要るもの」を下さるのです。

私は26年前、うつ病になりました。
50歳で脂が乗っている時、仕事が面白くて仕方がない、その時に欲しくも無い病気をいただきました。
その時、一人のカトリックのお医者さまが、
「シスター、運命は冷たいけれど、摂理はあたたかいですよ」
と慰めてくださったのです。
その当時は、その言葉の意味がわかりませんでした。
治りたい!治りたい!とだけ想い、神をうらみ、愚痴を並べ、そして暗い顔をしておりました。
私が唯一微笑むことの出来なかった時期です。
その後、運命と摂理の違い、それがようやく少しずつわかってきました。
この世の中に起こることをしようがないこと、降って湧いたような天災、人災つまり、運命として受け取るのではなく、同じ受け取るなら、摂理として神のはからいとして受け取る。
だから「大丈夫だ」ということなのです。
私の欲しかったことはその時には実現しないかもしれない、。
でもいつか神の時間に実現されるのだということ、そう信じて生きることが、すべてを摂理として受けとめるということです。
(略)
神の摂理として病気をいただいたということ、
その時はとても辛かったけれども、いまとなっては、あの時あの病気をしてよかったと思います。
病気をしたおかげで人に対して優しくなりました。
それまで人に対してきびしくて、あの人はだらしがない、なぜもうちょっと頑張らないんだ、などと思っていたのが、それを思わないで済むようになりました。
自分の弱さを知ったからです。
私が変わるために、神が摂理として病気をくださったのだと思います。
そして、そう思うことが出来るようになったことをありがたいと思います。
(略)
皆さんも、「だいじょうぶの小石」をしっかり握りしめて生きることが出来る方たちであって欲しいと思います。
時たまポロッと落としてしまってもかまいません。
どこに置いたかわからなくなって探し回ってもかまいません。
でもいつかその「だいじょうぶの小石」をもう一度見つけてください。


「五日市剛氏の心に響く言葉より…」


会社で上司にキツく叱られた、とします。

「ちくしょう、なんでオレばっかりが。腹たつなぁ」。

そんなとき、すぐに自分に「ありがとう」といってみます。

ちょっと深呼吸して間をおいて、もう一度「あ・り・が・と・う」

すると、不思議とそれ以上、腹が立ちません。


次に、つぶやいた言葉に見合った行動をとります。

実はこれがいちばん大事なポイントなんです。

行動なき言葉は弱く、やがて消え去ってしまうからです。

僕なら、自分を叱責した上司のもとへトコトコ歩いていき、もう一度謝罪します。

そして、二度と同じミスを犯さないための具体的な対策と決意を伝え、さらに注意してくださったことに「ありがとうございます」と頭を下げて感謝します。

上司は目を丸くするでしょうが、心の中ではとても感謝するでしょうね。

これで上司に対してのわだかまりはなくなると思います。

そんな行動をとった自分も「よっしゃ!」とガッツポーズ。

そして、腹が立ったときにすぐにつぶやいた「ありがとう」がそのきっかけであることを思い返し、「ほんとうにありがとうだよなぁ」としみじみ感じるわけです。

このように、嫌なことがあっても前向きな行動が伴う感謝の言葉は、結果的に感謝の想いを深め、状況を生きやすい方向へと導いてくれます。

愚痴(ぐち)をこぼしたり、陰口をたたくなんてことはなくなるでしょうからね。

ある日、こういう質問がありました。

「先日、私は犯罪の被害にあいました。

こんなとき、犯人に対して、あるいはその事柄に対して“ありがとう”というのでしょうか?

大切な家族や友人が被害にあっても、やはり“ありがとう”ですか?」

僕は次のようにお返事させていただきました。

「犯人に対していうのではありません。

“ありがとう”は自分に対していうのです。

落ち込んだ自分を励ます“ありがとう”であり、不幸の連鎖を断ち切る言葉なんです。


この言葉を自分に対し心を込めて発すると、それ以上嫌な気分になりませんし、続けてマイナスの言葉が出てきにくくなります。

そして、物事の流れをよりよい方向に切り替えてくれ、後の自分の成長のきっかけとなると思っています。

どうか、魔法の言葉の真意をご理解ください」

『なぜ、感謝するとうまくいくのか』マキノ出版



心は、ある言葉を発すれば、それに見合った状況を探すようになる。

それは、インターネットの検索と同じで、「ありがとう」と言えば、有り難いこと、感謝することを探す。

たとえ、怪我をしたとしても、「この程度で済んでよかった、ありがたい」、というように。


しかし、愚痴や不満を言えば、それに見合った、辛い嫌なことばかりを探し出す。

付き合っている人が、汚い言葉や、愚痴や泣き言、悪口ばかり言う人なら、自分も汚い言葉や、不平不満ばかりを言うようになるのと同じだ。

言った言葉が、現実を引き寄せる。


「行動なき言葉は弱い」

嫌なことがあっても「ありがとう」と発し、それに見合った行動をとりたい。






最終更新日  2021年10月17日 11時02分50秒
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