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2022年01月10日
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カテゴリ:遠州の報徳運動
「駿州報徳の師父と三遠農学社―静岡県・報徳の師父 第二集―」(仮題)

訳注「静岡県報徳社事蹟」

七) 駿河東報徳社 その1

4 事業
 本社は各支社を監督する外、左の事業を行う
一 社員中、力耕精業及び特別善行者を褒賞すること
一 社員中、遭難または薄命者を救助すること
一 公益事業殖産事業費のため、社員に対し無利息年賦金の貸付をなすこと
 また毎月十五日常会を開き報徳学を講話し春秋二季に総会を開き、道徳経済の要義及び実業に関する事項を講演もしくは研究する。その研究すべき事項おおむね左のごとし。
一 耕耘の改善、肥培の方法
二 殖産興業に関すること
三 商法の利を正しうし、公利を謀ること
四 勤倹を行い窮民を救済する方法
五 荒蕪を開拓し水利を便にし、山林を繫殖すること
六 勧業の方法
七 風俗を醇良ならしめ、徳義を厚くする方法
支社は各その定款の規定に従い毎月常会を開き、報徳学を研究し、毎会土台金善種金加入金等適意応分の出資をなさしめ、これを以て社員興産資本として低利貸または無利息年賦貸をなし、あるいは米を買入れて蓄積し、また毎年社員中特別善行あるものに褒賞を与え、あるいは社員に共同貯金を奨励してこれを銀行に預け入れ、もしくは郵便貯金となし、以て利殖を図らせる等のことをなします。
一 貸付
報徳金の貸付は毎年十二月二十日常会においてこれを行う。貸付金高は役員の協議を以て定める。その償還方法は五か年賦、七か年賦、十か年賦の三種で、すべて無利息とし、毎年春秋二季大会の日において年賦金の払込をなさしめる。ただし別途加入金を以て貸付けるものは必ず五か年賦に限ることとなす。
二 風教
 風俗道徳に関しては特筆すべき事例なしといえども、報徳の結社のある部落は人民勤勉にして風俗また良好であることは一般の認める所です。報徳社員であって、いまだかつて租税を滞納した者があることを聞かないようなことはその効果の一つです。
三 殖産興業
 殖産興業は徳に報いるものの務める所であるを以て、報徳社の結成ある部落は特に発達している。今その著しいものを挙げれば左のごとし。
庵原郡庵原村尾羽は明治の初年までは住家多くは茅屋草舎なりしが牧田勇三報徳社を興して以来、火災風害の憂いを除かんとして苦心の末、低利の貸付金をなす方法を講じ、これによって一部落四十余戸の民家を瓦葺きとした。故に文部大臣井上毅子爵かつてこの地を過ぎた際に、これを見て大いに賞揚された。
 庵原郡庵原村杉山は柑橘の適地であるが、その産額僅かに一か年二百五十円に過ぎなかったが、明治九年故片平信明報徳社を結成し専ら殖産のみちを鼓吹した結果、今や一か年の収穫金一万五千円となり、また茶の収入は従来一か年一千円だったものの今や一万余円に上り、その他蚕業大いに起り、その産額もまた少なくなかった。
 庵原郡小島村但沼はかつて貧村の聞こえがあったが、明治十年平岡喜太郎、望月久作の二人が報徳社を設け、産業を奨励して以来、漸次回復し、近年にいたっては蚕業の収入だけでも一か年金七千余円に達したという。
 庵原郡庵原村吉原報徳社は社員僅かに十一名であるが、社員よく勤勉し、大いに産業に勤めた結果、現今山林十二町歩を買い得て杉苗五万本余を植栽した。
安部郡入江町朶美報徳社は社員中の力農精業者に褒賞貸付をなすにあたって現金ではなく公債証書を貸付けてその証書はこれを報徳社に預かりおいて、公債利子の外、年賦返納を行わせ満期に至って公債証書を交付している。これは即ち貯蓄の方法であって、これによって産を興したものが少なくはない。
庵原郡庵原村杉山報徳社は明治二十四年より山林を購入し、現今その反別八十五町歩に達し、内二十一町歩には杉、松、桧の植栽を行った、従来この材木は社員中山林を有しない者に対し、家屋の建築を助けるため、無代交付を行う予定であるという。
四 水 土木
 庵原郡庵原村茂畑は山間の部落で道路険悪、車馬の交通極めて困難だったが、茂畑報徳社理事杉山百太郎は明治二十一年十月社員をして自ら開鑿の業に当たらせ、また社金三百円余を支出し、一か年を以て延長二千二百六十八間の車道を開鑿した。それ以来薪炭木材等運搬の便を得、そのために本部落の生産力を増加するに至った。
 駿河東報徳者すなわち本社は明治十六七年の頃、東海道道路破損の個所あるを嘆いてその付近の有渡郡中吉田村及び庵原郡東倉沢村の破損所を社員の力役と社金二百余円とを以て修繕し一般交通の便を計った。
 庵原郡庵原杉山報徳社は杉山区に車道なきを憂え社員等明治九年より同三十六年までの間に金二千二円五十銭七厘を費やして延長千三百八十五間の車道を開鑿した。
 庵原郡庵原村庵原報徳社員西ヶ谷可吉は耕地整理の必要を認むれども、これを実行するものなきを憂え、率先自己の所有地一町二反二畝歩の耕地整理をなし、一般の模範となった。
 庵原郡庵原村杉山報徳社員青木清六は明治十四年より同十六年まで三か年を以て杉山区字足沢大峯の山嶺にある原野四反二畝歩を開拓し二十二枚の棚畑を作り、その畦畔はことごとく石を以て積上げ以て平坦の畑となし、今やこれより何年金五百円の収穫を見るに至ったという。
五 教育
 庵原郡庵原村杉山報徳社理事故片平信明は子弟の夜間徒らに放歌徘徊する悪風があることを嘆き、これを学に就かせて漸次順良の民にしようと明治八年十一月夜学校を創設し、同十四年学資金千円を備え、それ以来その利金を以て校舎の費用を支弁した。この挙は故井上文部大臣の知る所となり、特に視学官にこれを視察させ、ついに実業補修学校の模範とされるに至った。この外庵原、原に実業補修学校があった。また尾羽夜学校があり、その他各報徳社は一般に夜学校を設け青年子弟の教育を行っています。
六 賑恤(しんじゅつ:貧困者等を救済する)
 本社は専ら貧民に自助的精神を煥発させることを以て要旨とし、集会の講話には常に自営自活の道を説き、自己を愛し他に愛するは人道の要義であることを教え、他人の救済を受けることは大なる恥辱であるという観念を抱かせる。要するに清貧の神髄はむしろ精神的救済にあって、その穏健なる思想の涵養にあるとする。この趣旨によって社員で貧を免れた者が多い。また賑恤は遭難者あるときに応分の金銭物品を給与している。
七 難村救済
 難村救済の要旨はその町村の荒廃を開拓するには、村民性格の改善を計ることを先とする。二宮尊徳の教えに雑草を刈ろうとすれば先ず鎌を研げ。鎌がすでに研げれば天下の草は刈り得たるに等しい。村民の個性健全となり勤勉の民となれば難村の救治は手のひらをひるがえすがごとしと。本社はこの趣旨によって専ら個性の改善開発に努めつつある。その事蹟の一二を挙げれば左のごとし。
 庵原郡庵原村杉山区は明治九年報徳社結成当時は区内の土地二百八町歩中三分の一は他村民の所有に属したが、専ら人心の改善と殖産の増進とを計った結果、大いに生産力を増加し、従来他村人の所有に係る区内の土地をことごとくこれを買戻し、なおその余力を以て他町村土地三百余町歩を買得し区民の富力は実質上杉山区を数倍にするに至った。これは難村救済の著大なるものである。
 また庵原郡高部村押切は難村で明治二十五六年のころ、小作人ますます困弊に陥り、地主小作人の調和を欠くに至った。当時大石浅次郎という者がこの状況を憂慮し小作人のみを集合し、明治二十七年報徳社を結成し勤勉力行を奨励したところ、結社後十年で農業が大いに進んで村風また善良となった。
八 篤行者奨励
 本社は毎年役員をして各支社を巡回させ、一社一両名の篤行奇特者を選抜調査し、年々秋季大会の際これに賞品または金員を賞与し以て一般社員の善行を奨励している。その創立以来三十六年までに賞与したものは左(略)のごとし。
九 時局に対する施設(略)
5 本社支社社員数及び資産(略)





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最終更新日  2022年01月10日 20時12分49秒
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